煩悩の子*大道珠貴

  • 2015/06/13(土) 07:06:05

煩悩の子
煩悩の子
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大道 珠貴
双葉社
売り上げランキング: 318,805

桐生極は小学校五年生。
周囲にズレを感じているが、まだその「違和感」を上手く言葉にできない。
どういう局面でも腑に落ちないし、落ち着かない。
でも、油断はしていない。ただひとつだけわかっているのは、
いまここで間違ったら、先々どんくさい人間になりかねないということだ。
少女の素朴でシニカルな視線から描く、ユーモアと哀感漂う傑作長編。


「幸薄い顔の小学五年生」 「敵」 「あの子と遊んではいけません」 「秋」 「色つきの世界」 「白い闇」 「恋がいっぱい」 「真実」

自分自身のことや自分の置かれた状況を冷静に客観的にみつめ、周囲との違和感をも俯瞰しているような極(きわみ)だが、かと言って達観しているというわけでもなく、小学五年生なりの処世術にあれこれ悩みもするのである。大人びているようでもあり、子どもっぽいようでもある、11歳という時期に特有の心理状態であるようにも見える。久々の大道作品だったので、あぁ大道さんってこんなんだったな、という親しみもあり、にんまりしながら読み進むことが多かったが、当事者の極にしてみれば大変な毎日だろうと察せられる。極がどんな大人になるのか見てみたい心地になる一冊だった。

きれいごと*大道珠貴

  • 2012/02/02(木) 16:48:35

きれいごときれいごと
(2011/12)
大道 珠貴

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平尾美々(びび)、44歳・独身。逗子に家を買った。これからは何でも一人でするのだ。でも、妊娠することを妄想してみたり、親戚のお爺さんが転がりこんできたり。気楽だけれど、楽じゃない。独身・家持ち女の静かな暮らしを描く、芥川賞作家の長篇小説。


帯にある「静かな暮らし」を描いている、というよりも、そこへ行き着くまでの紆余曲折が描かれていると言った方が当たっているかもしれない。しかも、表向きに現れる美々の状態が、「静か」と言えるときであっても、胸の裡で膨らませる妄想はにぎやかなことこのうえない。なかなか独特な世界に生きる女の人である。美々のことを深く知るのは無理かもしれない、と思わされる一冊である。

立派になりましたか?*大道珠貴

  • 2010/08/07(土) 13:51:45

立派になりましたか?立派になりましたか?
(2008/01)
大道 珠貴

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「自分の名前さえ書ければ合格」と言われている高校の、そのまたどうしようもない10人が集められたクラス“トッキュウ”。そこから巣立った同級生たちの26年後―。芥川賞作家がシニカルなユーモアとリズムのよい文章で描きだすそれぞれの人生。


  木ノ下はじめの場合
  田中川瞳の場合
  井上真代の場合
  金山岩男の場合
  下地忠彦の場合
  芝田よし江の(母の)場合
  山本キュウリの場合
  陣内マサシ(一学年下)の場合
  陣内亜美(娘)の場合
  目加田力先生の場合


高校を卒業して26年。生徒たちのほとんどは44歳になっていて、それぞれがそれぞれなりに人生を生きている。オトコオンナと言われていた目加田先生は、老母の介護をしながら自らも病を得、残りの人生と過去の輝きのはざまにいる。たくましいような、哀しいような、切ないような、なんともいえない読後感の一冊である。よい思いでとも言えないようなトッキュウでのことを思い出すからだろうか、先生の淋しさが染み出してくるからだろうか、生徒たちの語りようがあまりにもまっすぐだからだろうか。よく判らないながらも胸にずしんとくるものがある。

オニが来た*大道珠貴

  • 2008/02/19(火) 17:20:46

オニが来たオニが来た
(2007/02)
大道 珠貴

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だんなさんの家族を、私がちゃんと看取らなきゃならない―日々のなかで明るくユーモラスに死を嗅ぎ取るお嫁さんの、泣き笑いの“介護日誌”。


四十歳を過ぎて結婚した福太郎とポンコ――どうやら親しみを籠めた「アンポンタン」からきているらしい――だったが、ある日だんなさんが、「いっとき自由な生活がしたいんだ」と言って、ダイエット村とやらへ出かけていってしまい、ポンコはだんなさんの実家・山倉家で義父母と彼らよりもっと年上の家政婦・黄泉さんと暮らすことになったのだった。
帯には「介護」などと書いてあるが、彼らはそれなりに具合の悪いところはあるものの、まだまだ介護を必要としているわけではない。それでもポンコは、次第に義父母や黄泉さんの介護は自分がするのだと自然に思うようになるのだった。
山倉家の主のように大事にされている黄泉さんも、義父母も、不自由なこともある日々を自分たち流に愉しく生きているのがポンコといっしょにうらやましくもあり、愛おしくもある。
明るくて愉しくて、しんみりと切なく哀しい物語。

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東京居酒屋探訪*大道珠貴

  • 2008/01/26(土) 09:14:45

東京居酒屋探訪東京居酒屋探訪
(2006/09/21)
大道 珠貴

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酒を飲みに行って、つれづれなるままに書く。
自らの過去や制作上の秘密を酔いにまかせて赤裸々に告白する
生まれ故郷・博多でのこと、高校のときのデートの話、日々の生活……
いろいろな町の居酒屋で肴を食べ酒を飲みつつ書いた、待望の初エッセイ集
王子の名店で心地よさに浸る/千駄木・よみせ通りのくりから焼き/銀座の夜のそば居酒屋/都電に乗って三ノ輪の商店街へ/早稲田のおでん屋で青年とふれあう/駒込・六義園脇の絶品“上海チキン”/魚、魚、魚で漁師料理の三浦半島/木造の情緒あふれる神田の人気店/緊張感あふれる五反田の老舗洋食店体験/大人の町・新橋の美味と出逢う/春の宵、鎌倉の生しらすに舌鼓/ヨコハマの豚と「エンドレス・ラブ」/梅雨の高円寺、43度の古酒で暴走/吉祥寺・汗だく焼き鳥ナイト/秋のはじめの小旅行(北品川編)/薬草酒片手に西麻布で未知の味/港町・横須賀で、2週間ぶりの酒/パリの都で「末期の眼」/演歌の似あう町・築地で/桜吹雪舞う赤羽の夜、しみじみと/白金フレンチで最後の晩餐


単なる居酒屋紹介ではなく、過去現在未来取り混ぜた著者の生の声が飾ることなく綴られているのも興味深い。また取り上げられた食べ物たちの評され方に著者の独特のものさしが生きているのも面白い。

蝶か蛾か*大道珠貴

  • 2007/05/25(金) 17:03:19

☆☆☆☆・

蝶か蛾か 蝶か蛾か
大道 珠貴 (2006/12)
文藝春秋

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ちょっと不思議な満々子さん。ワンピースのすそをひらひらさせてキャベツ畑で放尿したり、給食のおばさんになったり…。無重力なこころの放浪を描いた長篇小説。『別冊文芸春秋』連載を単行本化。


猿飛満々子(さるとびままこ)47歳。元は 母――とっくに70歳はいっているオババこと風子(かざこ)――の持ち物だった田舎の古家にいまは一人暮らし。お寺に嫁いだ娘・ミツバと大学院生の息子・ノビルの母でもある。
こう書くとどこにでもいそうな普通のオバサンのようだが、そうではない。産後の肥立ちが悪かったせいで(と思っている)いささか頭のネジが緩み加減なのである。自分を縛らずにのびのびと生きている。かといって悩みや思うところがまるでないわけでもなく、その尺度が世間の尺度からほんのわずかずれているだけなのだ。その姿はいっそ伸びやかでうらやましいほどである。
テロテロとした薄い衣の手触りのようなとりとめのなさが魅力の一冊である。

ひさしぶりにさようなら*大道珠貴

  • 2006/02/26(日) 09:10:51

☆☆☆・・



いちど入ったら抜けられない、こわくてたのしい家族の生活。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
新・芥川賞作家が贈る[無敵の家族小説]!

ずっと怠惰に生きてきたら、怠惰同士がめぐり合い、結婚し、その後も怠惰なのだが、どこかでちゃんとまわりから、認められ、夫婦らしくなってきたのだった。そうして、ときが経つにつれ、赤ん坊もこうしてちゃんと成長した。まわりが言うほど、しっかりしていないわけでも、危なっかしいわけでもない。・・・・・(本文より)
  ――帯より


表題作と、『いも・たこ・なんきん』の二作。
都は9歳年下でまだ21歳の集一の子どもを産んだ。「宇宙」と書いて「そら」と読ませたい とチラッと思ったが、夫である集一がのびのび育つようにと「伸一」と勝手に名づけてしまったので何も言わなかった。
集一は ほとんど都と伸一と自分の住まいであるマンションに帰ってこない。だからといって、都や伸一を嫌っているわけでも捨てたわけでもないのだった。たまに帰ってくれば都も嬉しい。
母親があとからあとから子どもを産むので大家族になり、いつもみんながだらだらと怠惰に過ごすゴミ溜めのような実家を倦み、そこから逃げ出すくせに自分の怠惰さを直すことはできない都。まだまだ子どもで 自分のことだけで手一杯の集一。何とか子育てをし、何とか生きてはいるけれど、あまりにも哀しさに満ちている。

後ろ向きで歩こう*大道珠貴

  • 2006/01/28(土) 13:50:15

☆☆☆・・



表題作の他、旬、多生の縁。

博多弁がいつもほど多く出てこないので、読み初めてすぐはなんとなく勝手が違って訝りながら読み進む感じだった。
だがやはりこの人は主人公とその周りのほんの狭い範囲のことを書いているんだな と思う。何か主張があるのだろうか?とも思うが、声を張り上げて伝えることがなくてもただ描いているのだという気がする。もしかすると著者自身が自分のために書いているのかもしれない と思えるほどに。

ハナとウミ*大道珠貴

  • 2005/11/03(木) 17:28:35

☆☆☆・・



ハナとウミは16歳と15歳の異父兄弟。奔放なふたりの母は思うままにどこかへ行ってしまい、ウミは不動産屋のごつい父親と暮らし、ハナは祖母の家でうだうだしている。
母が沖縄にいることがわかり、なんとなくふたりとも沖縄へ行く。しかも別々に。
沖縄の底抜けに明るい空と開放的な空気はハナとウミの腕を引っ張って引き入れるのだった。
それぞれが本能の赴くままに、自然に受け容れられて生きているような雰囲気は、ばななチックでもあるのだが、ばななさんの描く世界では心地好くいられるのに この作品ではなぜか居心地がよくない。なぜだろう。ばなな作品の登場人物たちは 自分を肯定し信じている感じがするのに対し、大道作品の登場人物たちは どこかしら自分を信じきれずに諦めているような印象を受けるからだろうか。

素敵*大道珠貴

  • 2005/02/27(日) 13:35:49

☆☆☆・・


表題作の他、純白・一泊・走る・カバくん

大道作品の底には、なにやら気だるげな温かい流れがあるように思う。
主人公は、多くの物語の中で がむしゃらに頑張るわけではなく、かといって投げやりに諦めているわけでもなく、とりたてて優秀でも劣等でもなく、普通の暮らしを普通に生きている。

何かを解決してもらおうとか、教訓にしようとかという動機で読めば、物足りないかもしれないほどに、普通のゆるいうねりを進むような物語たちである。それが心地好くもある。

銀の皿に金の林檎を*大道珠貴

  • 2004/09/19(日) 18:25:30

☆☆☆・・


お菓子の町でもある観光名所のなかにある町に住んでいる主人公・夏海。
彼女の16歳・21歳・26歳・31歳の生き様が そのまま章を成している。

間違ってもお薦めできる生き方とは言えない日々を送っている夏海なのであるが、そこに何か人間の本質に近いものを見てしまった気がして少したじろぐ。
健全とは言いたくないが 表に現われない深いところから立ち昇る健康な匂いがちらりと鼻先を掠めるので 疎みきれずに着いて行ってしまいそうになる。

巡礼者たち*天童荒太

  • 2004/09/16(木) 18:18:33

☆☆☆☆・


――『家族狩り 第四部』

 孤立無援で事件を追う馬見原は、四国に向かった。
 捜査のために休暇を取ったのだ。
 彼はそこで痛ましい事実に辿りつく。
 夫に同行した佐和子は、巡礼を続けるものの姿に
 心を大きく動かされていた。
 一方、東京では、玲子のことを心配する游子と、
 逃避行を続ける駒田の間に、新たな緊張が走っていた。
 さまざまな鎖から身を解き放ち、
 自らの手に人生を取り戻そうとする人びと。
 緊迫の第四部。

                       (文庫裏表紙より)


心はそれぞれに 少しずつ拠り所を見つけ 解きほぐされ始めているように見える。だが、それとは裏腹に事件は哀しい真相に近づきつつあるようだ。
壊されたものは何で、失ったものは何なのだろう。
物語の先にあるのが光なのか それとも気配さえ殺すような闇なのか、最後の第五章を開くのが怖い。



  # 第三部『 贈られた手』の覚え書きは9/6に。

裸*大道珠貴

  • 2004/09/01(水) 17:55:46

☆☆☆・・


 最近、これほど笑いをこらえながら読んだ小説はなかった。
 …(中略)新世代の作家の魅力が横溢した快作だと思う。五木寛之
 (第三十回九州芸術祭文学賞受賞作「裸」選評より抜粋)

 裸・・・・・・・・・・・・
  伯母は「あんたも若いころから身体をいとったほうがよかよ」
  と助言してくださりもする――。九州芸術祭文学賞受賞作

 スッポン・・・・・・・・・・・・
  イナカノババサンは、女であったが、おじさんかおばさんか
  わからない顔をしていた。
  ふるさとを出て十三年、これからも帰る予定はない――。

 ゆううつな苺・・・・・・・・・・・・
  「ちょっと顔見せりぃってば」母はドアをどんとたたいた。
  ――このひとに新しい男でもできたらいいのに、と心底、思った。

                           (帯より)


「育った環境」ということについて思わずにいられない物語たちである。
たとえそれを嫌ったとしても いくら遠く離れていたとしても そこに懐かしさを覚えてしまうのである。歯がゆいくらいに。
それはどこか 幼子が就眠儀式として手放せずにいる よれよれくたくたのタオルを連想させる。決してシャキッと清潔なわけではなく むしろちょっぴり薄汚れていてすえたにおいさえしそうなタオル。他人にとってはくずのようでも 自分にとってはかけがえのないもの。イヤだイヤだと振り払っても いつの間にかどっぷりとその中に浸っていることに気づいて茫然としながらも陶然となるような。大道作品にはそんな気配が漂っている。

背く子*大道珠貴

  • 2004/08/12(木) 14:08:45

☆☆☆☆・


春日(かすが)という幼い――3歳から6歳まで――少女の心で語られる 胸を締めつけられるような物語である。

自己の基礎を築くべき幼児期に 不当な扱いを受けた時 幼い者はどうしたらいいのだろうか。春日はひたすら学習し その場面で自分はどうするのがいちばん波風が立たないかを考えるようになる。大人は 子どもを[子ども]としか意識せず、それぞれ個性を持った人格とは認識していないことが多い。子どもは 大人が思うよりずっと正確に周りの世界を認識しているというのに。そのギャップが理不尽で大きいほど 子どもにとっては生きにくいのではないだろうか。
春日は しかし、拗ねたりひねくれたり 恨んだりすることなく ただ物事の本質を学習していく。いじらしく切なく哀しい。そしてたくましくもある。
『背く子』というタイトルはどういう意味でつけられたのだろう、と考えてみる。春日は父にも母にも周りの理不尽な大人たちにも反抗するわけではなく その行動から自分なりの規範を作っているのだ。では 「背く」のは何に対してなのだろう。大人が勝手に作り上げた「子どもらしさ」というひと括りにされるものに対して背いているのではないかと 解釈した。あまり自信はないのだが。
自分が大人になったとき 春日は幼い者たちを どんな風に見つめるのかとても気になる。読み進むのが辛い一冊だった。