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椿宿の辺りに*梨木香歩

  • 2019/06/29(土) 16:48:39

椿宿の辺りに
椿宿の辺りに
posted with amazlet at 19.06.29
梨木 香歩
朝日新聞出版
売り上げランキング: 1,090

深遠でコミカル、重くて軽快。
著者五年ぶりの傑作長編小説。

自然、人間の体、こころの入り組んだ痛みは
家の治水、三十肩、鬱と絡み合い、主人公を彷徨えるツボ・椿宿へと導く。

皮膚科学研究員の佐田山幸彦は三十肩と鬱で、従妹の海子は階段から落ち、ともに痛みで難儀している。なぜ自分たちだけこんな目に遭うのか。
外祖母・早百合の夢枕に立った祖父から、「稲荷に油揚げを……」の伝言を託され、山幸彦は、鍼灸師のふたごの片われを伴い、祖先の地である椿宿へと向かう。
屋敷の中庭には稲荷の祠、屋根裏には曽祖父の書きつけ「f植物園の巣穴に入りて」、
明治以来四世代にわたって佐田家が住まいした屋敷には、かつて藩主の兄弟葛藤による惨劇もあった。
『古事記』の海幸山幸物語に3人目の宙幸彦が加わり、事態は神話の深層へと展開していく。
歯痛から始まった『f植物園の巣穴』の姉妹編。


土地に、家に、一族の一員に、連綿と流れ続ける気脈のようなものがあり、それは古の神代のころに始まったもので、言ってみれば、源流から流れ出した川のように、代々受け継がれていくものなのかもしれない。宿命と呼んでも間違いではないだろう。いまここにある自分の身体の痛みさえ、昔々の何事かが差し障っているものかもしれず、大元を解きほぐさないことには、如何ともしがたい。山幸彦という曰くありそうな名前を授けられた佐田山幸彦のルーツを探る物語でもあるが、読者は丸ごとその世界観に呑み込まれ、視えないものまで見えてきそうな心持ちになってくる。痛みの治療の旅であり、一族の果たすべき何かを探す旅でもあり、いまある自分の存在を知る旅でもあり、時間を超えた旅でもあるように思われる。不思議な世界にどっぷり浸かるような一冊だった。

丹生都比売--梨木香歩作品集*梨木香歩

  • 2014/11/16(日) 18:35:37

丹生都比売 梨木香歩作品集丹生都比売 梨木香歩作品集
(2014/09/30)
梨木 香歩

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胸奥の深い森へと還って行く。見失っていた自分に立ち返るために……。蘇りの水と水銀を司る神霊に守られて吉野の地に生きる草壁皇子の物語――歴史に材をとった中篇「丹生都比売」と、「月と潮騒」「トウネンの耳」「カコの話」「本棚にならぶ」「旅行鞄のなかから」「コート」「夏の朝」「ハクガン異聞」、1994年から2011年の8篇の作品を収録する、初めての作品集。しずかに澄みわたる、梨木香歩の小説世界。


当たり前のことのようであって、なにかしらどこかしらがほんの少しだけずれているような、躰半分ここではない場所に滑り込み、あとの半分はこちら側に残ったままでいるようなお尻の座らない感じがなんとも堪らない。世界に浸っている間は確か過ぎたことが、ふと夢から覚めるように現実感がなくなり遠のいていくような一冊である。

冬虫夏草*梨木香歩

  • 2013/12/07(土) 07:44:39

冬虫夏草冬虫夏草
(2013/10/31)
梨木 香歩

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疏水に近い亡友の生家の守りを託されている、駆け出しもの書きの綿貫征四郎。行方知れずになって半年あまりが経つ愛犬ゴローの目撃情報に加え、イワナの夫婦者が営むという宿屋に泊まってみたい誘惑に勝てず、家も原稿もほっぽり出して分け入った秋色いや増す鈴鹿の山襞深くで、綿貫がしみじみと瞠目させられたもの。それは、自然の猛威に抗いはせぬが心の背筋はすっくと伸ばし、冬なら冬を、夏なら夏を生きぬこうとする真摯な姿だった。人びとも、人間にあらざる者たちも…。『家守綺譚』の主人公にして新米精神労働者たる綿貫征四郎が、鈴鹿山中で繰り広げる心の冒険の旅。


「家守忌憚」の続編である。至極当然のこととして、人である者と人に非ざる者が同じ地平に立ち、同じものを見ているのがいい趣である。たとえ見えているものが違うとしても。そしてまたそれをごく当然のこととしている営みも、これぞ本来の生き物の姿、と思わされるものである。生計を立てるための生業も、本能の赴くままの興味も、情愛も、何もかもが混在し人となりを作り上げているのがよく判って興味深い。著者の世界を堪能できる一冊である。

雪と珊瑚と*梨木香歩

  • 2012/08/05(日) 14:14:13

雪と珊瑚と雪と珊瑚と
(2012/04/28)
梨木 香歩

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珊瑚、21歳。生まれたばかりの子ども。明日生きていくのに必要なお金。追い詰められた状況で、一人の女性と出逢い、滋味ある言葉、温かいスープに、生きる力が息を吹きかえしてゆく―。


タイトルからは全く想像できない物語だった。そして、少し読み進めると、まだ年若いシングルマザーの珊瑚が雪という赤ん坊を抱えて、やっていけそうもなくなったときにひとりの女性と出会い、勇気をもらって人生を切り開いていく物語なのだろう、と思った。もっと読み進むと、それは大きく違ってはいなかったが、それだけの薄っぺらなものではなかった。物語には幾人かの女性が出てくるが――もちろん男性も出てくるが――それぞれがしっかりとしたキャラクターで、読者は誰かしらに自分を重ねることができるのではないだろうか。珊瑚にとって彼女たちは、いつも甘いことを言ってくれるとは限らず、時には苦く、触れてほしくないところを抉られるようなこともある。それでもそのことを通して珊瑚は自分自身を再発見することができるのである。ともすると宗教がかってしまいがちなテーマを、人が生きていくことの根源として描き切っているところが素晴らしい。丁寧に心を込めて料理を作りたくなる一冊でもある。

僕は、そして僕たちはどう生きるか*梨木香歩

  • 2011/11/08(火) 17:06:11

僕は、そして僕たちはどう生きるか僕は、そして僕たちはどう生きるか
(2011/04)
梨木 香歩

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やあ。よかったら、ここにおいでよ。気に入ったら、ここが君の席だよ。コペル君14歳、考える。春の朝、近所の公園で、叔父のノボちゃんにばったり会った。そこから思いもよらぬ一日がはじまり…。少年の日の感情と思考を描く青春小説。


大人も、少年も少女も、出てくる人々の誰もが自分に正直で――あるいは正直であろうとして――、自分たちが生きている世界と自分自身のことを考えて、考えて、考えている。そして悔やんだり、悲しんだり、自分を嫌いになったり、喜んだり、満たされたり、さまざまな感情に翻弄され包まれている。無秩序で有無を言わさぬ開発という名の破壊に抵抗しながら亡くなったユージンのおばあちゃんの庭の野放図のように見える植生のなかで描かれることによって、繁っていこうとする年頃の少年たちの心の柔軟さが際立つように思われる。自分の頭と心で考えることの大切さが深く伝わってくる一冊である。

ピスタチオ*梨木香歩

  • 2010/11/07(日) 17:02:22

ピスタチオピスタチオ
(2010/10)
梨木 香歩

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なにものかに導かれてやってきた、アフリカ。棚は、すでに動きはじめたこの流れにのるしかない、と覚悟をきめた…。待望の最新長篇小説。


山本翠、ペンネーム・棚。この物語の主人公である。彼女が主人公であるのは間違いないのだが、主役は、と問われれば「大いなる導きとつながり」とでも答えるのかもしれない。これまで築いてきた人間関係や感性、そしてもっと大きななにかが、棚の行き先を目の前に広げて見せ、選び取ったと思わせておいてそちらに導いているような畏れ――運命と言ってしまってもいいかもしれない――を感じさせられる。自分が自分でありながら、なにかもっと大きなものの一部であり、大きなものの計り知れない動きのなかの一部という役割を担っているというような、抗えない力と安心のようなものも感じられる。動物の本能のように、こうするしかなかった、という心地にさせられる一冊である。

マジョモリ*作・梨木香歩 絵・早川司寿乃

  • 2009/07/28(火) 16:50:46

マジョモリマジョモリ
(2003/05)
梨木 香歩

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春のマジョモリは花が満開。ある朝つばきは、森から届いた招待状を手に初めて森の奥へ。そこで出会ったハナさんとノギクやサクラのお茶でティーパーティー。後からもう一人来た女の子は誰? 「小さな女の子の時間」を描く。


著者の絵本。早川司寿乃さんの絵が、時間と空間の不思議な物語にやさしくおおらかな愛情深さを添えている。
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)がモチーフになっている。
女の子は、いくつになっても女の子なのだと、微笑ましい心持ちにさせてくれる一冊でもある。

f植物園の巣穴*梨木香歩

  • 2009/07/14(火) 17:06:50

f植物園の巣穴f植物園の巣穴
(2009/05/07)
梨木 香歩

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歯痛に悩む植物園の園丁がある日、巣穴に落ちると、そこは異界だった。前世は犬だった歯科医の家内、ナマズ神主、愛嬌のあるカエル小僧、漢籍を教える儒者、そしてアイルランドの治水神と大気都比売神……。人と動物が楽しく語りあい、植物が繁茂し、過去と現在が入り交じった世界で、私はゆっくり記憶を掘り起こしてゆく。怪しくものびやかな21世紀の異界譚。


クラインの壺を思わせるような不思議世界である。次元も時間も複層的に積み重なり、断片的に目前に現れるように見えて、実は熟成されているようにも思われる。裡へ裡へと進んでいるうちに、いつの間にか外側に出ているような、またその逆のような…。自分というものの根源にまで遡りつつ、現在の自分自身の無意識世界を見つめることにもなっている。
生命の根源を想うのに、水生植物園以上にぴったりな場所もないかもしれない。不思議で興味深い一冊だった。

水辺にて*梨木香歩

  • 2006/12/27(水) 12:58:27

☆☆☆・・

水辺にて―on the water/off the water 水辺にて―on the water/off the water
梨木 香歩 (2006/11)
筑摩書房

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生命は儚い、けれどしたたかだ-。
川のにおい、風のそよぎ、木々や生き物の息づかい。
カヤックで漕ぎだす、豊かで孤独な宇宙。そこは物語の予感に満ちている。
『Webちくま』連載に書き下ろしを加えて単行本化。


梨木香歩さんのエッセイ。
著者の小説の種がちりばめられているようだ。そして、空気感は小説作品にそのまま通じるものがある。
そこここにこれだけは譲れないとでもいうような著者の核のような言葉も見受けられ、自然と、水辺とそこに纏わるあれこれと、このように関わりを結ぶことのできる著者の手になったからこそ、あの小説たちが生まれてきたのだと実感させられる。
魅力的な一冊だった。

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村田エフェンディ滞土録*梨木香歩

  • 2005/12/25(日) 10:54:12

☆☆☆・・



エフェンディって名前だと思っていたら、<学ぶ者>というような意味なのだそうだ。村田先生というようなニュアンスなのだろう。
<滞土録>の<土>とは土耳古(トルコ)のことである。村田は土耳古皇帝からの招きでこの地の歴史文化研究に来ているのだった。時代はいまから遡ること100年余。西と東の融合する地である土耳古に在って 村田はさまざまな人種・宗教・習慣とあいまみえて、貴重な体験をするのである。
土耳古での出来事はもちろん大変興味深いものなのだが、村田が日本に帰国してからのほんの短い一章がまたことさら興味深いのである。なんと居を定めるまでの暫しの下宿と定めたのがあの『家守忌憚』の綿貫が住まう いまは亡き高堂の家であり、帰国早々既に亡いはずの高堂とも対面しているのだから...。

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沼地のある森を抜けて*梨木香歩

  • 2005/11/24(木) 13:05:48

☆☆☆☆・



 はじまりは、「ぬか床」だった。
 先祖伝来のぬか床が、うめくのだ――

 だいじょうぶだ。世界は終焉を迎えない。
 どんな形を取っても、何かに形を変えても、伝わってゆく何かがある。
 生命は、いつか必ず、光のように生まれてくる。
      (帯より)


亡くなった叔母からマンションごと引き継いだぬか床。
先祖伝来のぬか床。
何代もの女たちがかしずき人生を捧げたぬか床。
物語はこのぬか床を上淵久美が受け継いだところからはじまる。

子どもの頃からなんとはなしに不思議に思っていたことが、いざ自分がぬか床に仕える身になってみて初めて現実に目の前で起こり、不本意ながらも腑に落ちるのである。ぬか床から人が現われるなんて、目の前で見なければきっと誰も信じられないに違いない。
久美は、ぬか床に取り込まれなかったただひとりとして、ぬか床と自分自身のルーツを求めて故郷の島へと赴くのだった。

ぬか床にまつわる不思議憚の様相をとってはいるが、これはまちがいなく命の誕生を追及する物語である。小さな小さな一個の細胞の、そしてその中で繰り広げられ続けてきた壮大な生命の神秘の物語なのである。
沼地のある森を抜けたそこは、新しく生まれるための闘いの場であり安らぎの場であるのだ。

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春になったら莓を摘みに*梨木香歩

  • 2005/02/15(火) 13:21:09

☆☆☆☆・


 著者が学生時代をすごした英国の下宿。
 かつてそこには、児童文学者ベティ・モーガン・ボーエンこと
 女主人ウェスト夫人とさまざまな人種や考え方の住人たちとの、
 騒動だらけでとびきり素敵な日々があった・・・・・。
 夫人の「理解はできないが受け容れる」徹底した博愛精神と
 時代に左右されない手仕事や暮らしぶりは、
 生きる上で大事なことを、そっと心に落としてくれる。

                            (帯より)


上記のとおり、梨木香歩さんのエッセイです。
彼女の著書の底流に流れるもののことが、とてもよくわかったような気がします。
ウェスト夫人からの手紙がまた、とてもとても素晴らしいのです。
「理解はできないが受け容れる」こと。
たったそれだけのことができるなら、世界に争いなどひとつもなくなるのでしょう。何ら特別なこととしてではなく、日常で自然にそれをしているウェスト夫人との出会いは、著者の骨の一部にたしかになっていることでしょう。

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蟹塚縁起*梨木香歩

  • 2005/02/11(金) 13:14:54

☆☆☆・・


木内達朗・絵

これも大人のための絵本だろうか。

名主の息子に虐められた たくさんの小さな蟹が、助けてもらった恩返しに、名主を襲う。
蟹を助けたとうきちは、その様子を見ながら、自分が生まれる遥か遠い昔の出来事をなぜかまざまざと思い出すのであった。

それはあたかも、静かな月夜の晩をえらんで、連綿と途切れることなく続いてきた恨みの心を終わらせようとするかのようである。

家守綺譚*梨木香歩

  • 2004/08/11(水) 14:07:19

☆☆☆☆・



 たとえばたとえば。サルスベリの木に惚れられたり。
 床の間の掛け軸から亡友の訪問を受けたり。
 飼い犬は河童と懇意になったり。
 白木蓮がタツノオトシゴを孕んだり。
 庭のはずれにマリア様がお出ましになったり。
 散りぎわの桜が暇乞いに来たり。
 と、いった次第の本書は、四季おりおりの天地自然の「気」たちと、
 文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる
 新米精神労働者の「私」と、
 庭つき池つき電燈つき二階家との、のびやかな交歓の記録である。

                           (帯より)

ついこのあいだ、ほんの百年すこしまえの物語。だそうである。
不可思議な世界に迷いこんだような心地になるが 人間界とその他の生き物の世界、あちらとこちら。そこには明確な隔たりなどないのではないかと思わされる。気にしないから気づかない。気づかないから目に映らないだけで 日常のそこここに あちらへとつながる道の入り口が開いているのではないか。気味が悪いと言い捨ててしまえばそれきりだが 自然界の一員として こんな毎日に抗わずに暮らすのも悪くはないのではないかと思ってみる。

川上弘美さんの不思議世界に通じるものがある。

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エンジェルエンジェル*梨木香歩

  • 2004/06/28(月) 08:35:30

☆☆☆・・


おばあちゃんとわたし、という年代を隔てた二つの時代が章ごとに交互に物語られている。

人の中に住まう悪魔と天使。おそらく誰の心にもいるであろう悪魔と天使。悪魔の心になってしまった自分を哀しみ卑しみ恥じ後悔しつづけていたのだろうおばあちゃん、いえ、さわちゃん。
孫であるこうちゃんは そんなこととは知らずにさわちゃんの心を 最後の最後に救ったのだろうか。
悪魔の心を持つことを 恥じる心を持つことがすなわち天使の心を持つことの証しでもあるということを さわちゃんもこうちゃんも わかっているだろうか。

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