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御社のチャラ男*絲山秋子
- 2020/02/26(水) 12:16:42
社内でひそかにチャラ男と呼ばれる三芳部長。彼のまわりの人びとが彼を語ることで見えてくる、この世界と私たちの「現実」。すべての働くひとに贈る、新世紀最高“会社員”小説。
チャラ男の存在の可笑しさや迷惑さやあれやこれやがコミカルに描かれている物語を想像していたので、それとはいささか異なる趣向ではあったが、チャラ男を見る周囲の人たちの視点が、それぞれ(当然のことながら)自分基準であるがゆえに、チャラ男をさまざまな角度から分析することになっていて、興味深い。さらに言えば、チャラ男を表することによって、その人自身の在りようまで見えてくるので、それはなかなかに怖いことでもある。自分を見つめ直すきっかけになっていると言えなくもないチャラ男の存在が、有益なのか害悪なのかと言えば、どちらかというと有益なのではないかとさえ思えてくる。チャラ男侮りがたし。時にグサッと深部を刺されながらも面白い一冊だった。
薄情*絲山秋子
- 2016/03/09(水) 07:35:26
境界とはなにか、よそ者とは誰かーー。
土地に寄り添い描かれる、迫真のドラマ。
地方都市に暮らす宇田川静生は、他者への深入りを避け日々をやり過ごしてきた。だが、高校時代の後輩女子・蜂須賀との再会や、東京から移住した木工職人・鹿谷さんとの交流を通し、徐々に考えを改めていく。そしてある日、決定的な事件が起き――。季節の移り変わりとともに揺れる主人公の内面を照らし出す、著者渾身の長編小説。
群馬という、地方というには東京が身近にあり、だがやはり人々の暮らしは田舎暮らしに近い地方都市を舞台に、地の者と、一旦外に出て戻ってきた者、そして都会からやって来た者との微妙な感覚の差異と、それに気づいて揺れる気持ちが描かれた物語である。いまいる所に、自分というパズルのピースがかっちりはまる場所がないような、心もとない気分を「薄情」と表したのだろうか。宇田川の思考の過程――ことに蜂須賀に関する――が、個人的にはあまりよく理解できないのだが、地方都市で生きていくということの鬱屈が関わっているのだろうか、とは思わされる。自分の立っている場所を無条件に受け入れられない葛藤は、じわじわと沁みこむように伝わってくる。鹿谷さんはずるくて嫌いだ。宇田川が、薄い卵殻越しに見ていた世界が、殻が壊れることでクリアになることを祈るような心地になる一冊である。
小松とうさちゃん*絲山秋子
- 2016/02/26(金) 18:49:29
52歳の非常勤講師小松は、新潟に向かう新幹線で知り合った同い年の女性みどりが気になっているが、恋愛と無縁に生きてきた彼は、この先どう詰めればいいか分からない。一方、みどりは自身の仕事を小松に打ち明けるかべきか悩んでいた。彼女は入院患者に有料で訪問サービスをする「見舞い屋」だったのだ。小松は年下の呑み友だち宇佐美に見守られ、緩やかに彼女との距離を縮めていくのだか、そこに「見舞い屋」を仕切るいかがわしい男・八重樫が現れて……絲山秋子が贈る、小さな奇蹟の物語。
表題作のほか、「ネクトンについて考えても意味がない」 「飛車と騾馬」
大学の非常勤講師の小松の、不器用な大人の恋心の行方と、ネトゲにはまるサラリーマン宇佐美の在りよう。居酒屋友だちの彼らの交流、
そして、コマツが恋した女性・みどりの葛藤が交互に描かれ、少しずつ物語が進んでいく。まるで舞台を見ているような心地である。それがラストでこんな展開になるとは。リアルの人間関係と、ネットの人間関係の妙まで愉しめた。人生捨てたものじゃないと思わせてくれる一冊である。
離陸*絲山秋子
- 2014/10/19(日) 18:40:09
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「女優を探してほしい」。突如訪ねて来た不気味な黒人イルベールの言葉により、“ぼく”の平凡な人生は大きく動き始める。イスラエル映画に、戦間期のパリに…時空と場所を超えて足跡を残す“女優”とは何者なのか?謎めいた追跡の旅。そして親しき者たちの死。“ぼく”はやがて寄る辺なき生の核心へと迫っていく―人生を襲う不意打ちの死と向き合った傑作長篇。
初めは、中央よりも現場が好きな国交省の若手キャリア・佐藤弘(ひろむ)とダムの話しだと思って読み進むと、いきなりイルベールという黒人が現れ、女優の行方を知らないかと問われる。どうやら女優とは、佐藤が昔つき合っていた乃緒という女性のことらしい。イルベールは、乃緒の息子を預かり、父親役をやっているという。調べてみると、乃緒らしい女はイスラエルの映画に出ていたり、戦中のパリで怪しい仲介人をしていたりと、なにやら得体がしれない。ダムの仕事をしながら、喜んだり悲しんだり、しあわせを感じたり、日常に倦んだりという現実的な物語だとばかり思っていたら、いきなり時空を超えて連れ去られたような浮遊感にとらわれる。確実に生きるとはどういうことか。死んでいくとはどういうことか。すっきりと真相が判ったわけではないが、なんとなく納得させられるものがある。人はいつでも移動中なのかもしれないと思わされる一冊でもある。
忘れられたワルツ*絲山秋子
- 2013/05/11(土) 16:54:18
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地震計を見つめる旧友と過ごす、海辺の静かな一夜(「強震モニタ走馬燈」)、豪雪のハイウェイで出会った、オーロラを運ぶ女(「葬式とオーロラ」)、空に音符を投げる預言者が奏でる、未来のメロディー(「ニイタカヤマノボレ」)、母の間男を追って、ピアノ部屋から飛び出した姉の行方(「忘れられたワルツ」)、女装する老人と、彼を見下ろす神様の人知れぬ懊悩(「神と増田喜十郎」)他二篇。「今」を描き出す想像力の最先端七篇。
主人公も、題材の選び方も、小道具も、もちろん設定も、かなり独特である。すべてがおそらくこの物語たちの中でしかあり得ないだろうと思われる。そしてそれらことごとくが、在るべくしてそこに在るように、極自然なので、さらに驚かされる。ちょっと変なのに違和感なくいつの間にか入り込んで、自分もその世界にいる。不思議な感覚の一冊である。
不愉快な本の続編* 絲山秋子
- 2011/11/20(日) 17:19:35
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女と暮らす東京を逃げ出した乾。新潟で人を好きになり、富山のジャコメッティと邂逅し、そして故郷・呉から見上げる、永遠の太陽―。不愉快な本を握りしめ彷徨する「異邦人」を描き、文学の極点へ挑む最新小説。
富山では地元民ではない人のことを――たとえそこに住んでいても――「たびの人」というらしい。そしてこの物語の主人公・乾は、まさにたびの人である。どこへ行っても誰と暮らしてもそこは彼の居場所ではなく、常に逃げ腰の人生である。嘘しかないいい加減な男だという自覚はあるのに、そんな自分をどこか覚めた目で嘲笑しながら自虐的に生きているようにも見える。典型的なろくでなしなのだが憎みきれないのはなぜだろう。不愉快な本から抜け出したというのに、結局はその続編に封じ込められてしまったような一冊である。
末裔* 絲山秋子
- 2011/03/08(火) 17:23:31
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家族であることとはいったい何なのか。父や伯父の持っていた教養、亡き妻との日々、全ては豊かな家族の思い出。懐かしさが胸にしみる著者初の長篇家族小説。
不思議な物語である。家族小説といわれれば確かにそうなのかもしれない。代々続いてきた一族の中の自分の役割を省みたり、家族の一員としての自分を振り返ったりしながら、自分の足場を確認する公務員の中年男・省三が主人公である。ただ、物語の世界は、確固として揺るぎない現実から、境界線もあいまいなまま薄紙一枚隔てた異世界のような場所へと入り込んでしまう。物語のはじまりからして、ある日家に帰ったら家のドアに鍵穴がなかった――鍵を失くしたとか、鍵が壊れたとかではない――というのだから、はじめから現実の世界などどこにもなかったのだと言われれば、それはそれで納得してしまう。そして省三にとって、彼に起こったことはすべて彼にとって必要なことだったのだと無条件に思えてしまうのも不思議である。夢うつつの心地の内に遠くへ旅をしてきたような一冊である。
絲的メイソウ* 絲山秋子
- 2007/10/11(木) 13:52:55
エスケイプ/アブセント* 絲山秋子
- 2007/09/07(金) 18:27:15
闘争と潜伏にあけくれ、20年を棒に振った「おれ」。だが人生は、まだたっぷりと残っている。旅先の京都で始まった、長屋の教会での居候暮らし。あやしげな西洋坊主バンジャマンと、遅れすぎた活動家だった「おれ」。そして不在の「あいつ」。あきらめを、祈りにかえて生きるのだ。―いつわりと挫折の日々にこそ宿る人生の真実を描く傑作小説。エスケイプ/アブセント
(2006/12)
絲山 秋子
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40歳になり、9・11の映像を目の当たりにして、自分の活動家人生は何だったのだろうと虚無感を覚えて西へと旅立った江崎正臣。そして正臣の胸に不在として存在しつづける「あいつ」。背を向け合うようでいて同じ風景を見ているようなふたつの物語である。
投げやりで自虐的で甘っちょろいような主人公の語り口に反して、胸にずんと響くものがある一冊でもあった。
テーマ:
- 少年陰陽師・二次小説 -
ジャンル:
- 小説・文学
海の仙人*絲山秋子
- 2006/09/21(木) 17:20:22
☆☆☆☆・ 碧い海が美しい敦賀の街。ひっそり暮らす男のもとに神様がやって来た―。 海の仙人
絲山 秋子 (2004/08/28)
新潮社
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「ファンタジーか」
「いかにも、俺様はファンタジーだ」
「何しに来た」
「居候に来た、別に悪さはしない」
心やさしい男と女と神様。話題の新鋭、初の長編。
白いローブ姿でいままで何もなかったところからふっと姿を現すファンタジー。見えない人にはまったく見えないが、見える人にはある種デジャヴのように まさに当たり前のようにファンタジーとして見えるらしい。神様のようだがこれといって何かをしてくれるわけでもないし、現れてほしいときに現れてくれるわけでもない。ただなんとなく一緒にいて飲み、食い、眠り、話すだけなのだ。それでもいなくなると、ふと会いたくなったりもする。なにがファンタジーなのかと思い、彼こそファンタジーではないか、とも思う。
対して、人のほうはまさに<人>である。傷ついた心を抱え、傷ついた想いを抱え、どうにもならない毎日をどうにもならないままに送っている。そんな人と人の間で、ファンタジーが小さなかすがいになってもいるような気がする。
イッツ・オンリー・トーク* 絲山秋子
- 2006/09/10(日) 17:29:31
☆☆☆・・ 引越しの朝、男に振られた。東京・蒲田―下町でも山の手でもない、なぜか肌にしっくりなじむ町。元ヒモが居候、語り合うは鬱病のヤクザに痴漢のkさん。いろいろあるけど、逃げない、媚びない、イジケない、それが「私」、蒲田流。おかしくて、じんわり心に沁みる傑作短篇集。第96回文学界新人賞受賞。十年に一度の逸材、鮮やかなデビュー作。 イッツ・オンリー・トーク
絲山 秋子 (2004/02/10)
文藝春秋
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表題作のほか、第七障害。
自分も躁鬱を患い一年間の入院のあと 貯金を食いつぶしながら直感で蒲田に部屋を借りた橘優子は、引越しの朝あっけなく男に振られた。それでも引越し作業をするうちにそんなことも忘れ、いろんな想いや物事や人を背負いこみ 荷を降ろしながら生きてゆく。
何とはなしに物悲しくて うっすらとしたおかしみもあり、やっぱりやるせない人生物語。
袋小路の男*絲山秋子
- 2006/08/05(土) 17:43:22
☆☆☆・・ 第30回 川端康成文学賞受賞 袋小路の男
絲山 秋子 (2004/10/28)
講談社
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指一本触れないまま、「あなた」を想い続けた12年間。
<現代の純愛小説>と絶賛された表題作、
「アーリオ オーリオ」他一篇収録。
注目の新鋭が贈る傑作短篇集。 ――帯より
これをただ純愛物語と言ってしまっていいのかどうかわからない。 「純愛物語」という語からわたしが連想するものとは 少なくともかなり違う道筋の上にある。 これを恋愛といっていいのかさえ疑わしいのではないかと思うくらいである。 本人たちが恋愛だと思っているならばどんなものでも恋愛なのだろうと思うが、この物語のふたりは 自分たちが恋愛をしているとは思っていないだろう。 それでもこの離れられなさは見事としか言えない。 清々しい心地がするほどである。 進展のないのが運命のような、それでも切りようのない極太の赤い糸で結ばれているふたりに幸あれ。
『アーリオ オーリオ』がどうしてここに置かれたのか、よく判らないが、語り手の中年の独身男で 人間関係を上手く構築できない哲は、やはり言ってみれば 袋小路から抜け出せない男、ということだろうか。 一歩間違えると怪しい人になってしまいそうなぎりぎりのところで好感の持てるキャラクターだった。
沖で待つ*絲山秋子
- 2006/03/16(木) 17:31:25
☆☆☆・・ 芥川賞受賞作
すべての働くひとに――
同期入社の太っちゃんが死んだ。
約束を果たすべく、彼の部屋にしのびこむ私。
仕事を通して結ばれた男女の信頼と友情を描く傑作。
「悪いな」
震えながら太っちゃんが言いました。
「惚れても無駄だよ」
私が言うと太っちゃんは口の端だけで笑ったようでした。
「現場行ったらしゃきっとしなよ。今は寝てりゃいいんだから」
仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。
同期ってそんなものじゃないかと思っていました。(本文より) ――帯より
表題作のほか、勤労感謝の日。
帯の「すべての働くひとに――」っていうのは、どちらの作品にもちょっと当てはまらない気がするし、すべての同期生がこうかというと、それも違う気がしてしまう。
こういう関係ももちろんあるだろうし、同期に限らず職場にこういう関係の人がいたら励みになるし 心安らかにいられるだろうなと それは思う。
でも、やはり一緒に働いていた奥さんの立場で考えたら、少しやるせなくもなるのだ。幽霊になってまで自分ではなく同期のところに現われるなんて。
それでも「沖で待つ」というフレーズの哀しいほどの大きさには参ったというしかない。
逃亡くそたわけ*絲山秋子
- 2005/08/23(火) 14:01:50
☆☆☆・・
逃げるのに、理由なんていらない。
誰も知らないところに行かなくちゃいけない。今すぐ。今すぐ。
あたしは見えないものに追い立てられていた。
「なごやん、車持っとらんと?」
「あるけど・・・・・」
「一緒に逃げよう。もうそれしかなかよ」
「家まで車で送ってやるよ。それから俺は車戻して病院に帰る」
「嫌ったい」
「子供みないなこと言わないの」
けれど、あたしが見つめるとなごやんは目を伏せてしまった。
しばらく、そのまま両膝に手をついてあぐらをかいていたが、
やがて深い溜息をついた。
「ほんとうに逃げるんだ?」
「ほんとくさ」(本文より) (帯より)
福岡の精神病院に躁鬱病で入院している21歳の花には幻聴がある。≪亜麻布二十エレは上衣一着に値する≫という意味不明の――のちにこれは資本論の一節だと判るのだが――男の声が耳から離れないのだ。
今は躁状態の花は薬漬けの生活に嫌気がさして逃げることに決める。ちょうどその場に居合わせた鬱病のなごやんを道連れに、九州を一路南下するおんぼろルーチェでの旅に出る。
なごやんは生まれ故郷の名古屋を嫌悪し、慶応大学入学を機に憧れの東京に出て、卒業してNTT関連の企業に就職するが、転勤で福岡にやってきたのだった。
逃げて逃げて逃げて道なき道をも逃げて、だんだん何から逃げているのかわからなくなってもとにかく逃げつづける。
逃げ切れるなどとはもとより思っていないのに、憑かれたようにただ南へ向かう。
花が逃げたのは病院からだけではない。精神病だとわかった途端に逃げ出したモトカレや友人たち、自分の頭のなかでうるさく喚きたてる何人もの声・声・声、そしてなによりもそんな自分自身から逃げたかったのだ。きっと。
物語は二人が南へ向かったままで終わる。これからのことはわからないまま。
これから二人はどうなるのか。未来は明るいのか暗いのか。
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