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アスクレピオスの断罪*北里紗月
- 2022/02/27(日) 16:35:26
医師が殺された。被害者は三年前に起きた強姦事件の加害者の一人。殺された医師が拷問とも思える傷を受けていたことが分かり、捜査一課の陽山承と真壁剛は、解剖医である楠衣春の協力を得ながら事件の真相を追う……。
どうにも憤りが抑えられない物語である。唯一人体に傷をつけることを法的に認められている職業である医師が、犯罪を犯した自覚を持たないまま、あるいは、症状が進行していたので仕方がなかったと自分を納得させながら、患者の命を結果的に縮め、周りの医療関係者たちがそれに異を唱えられない組織の体制が揺らがないということに、どうしても承服しかねる。具合が悪くなっても病院にかかるのを躊躇してしまうくらい衝撃的でもあった。実際には、もっと早い段階で、誰かが食い止めてくれるだろうことを祈りたいが、どうなのだろう。法的に裁かれない医師たちに復讐したい遺族の気持ちは痛いほどよくわかる。だが、その手段は、短絡的にすぎ、大きすぎる影響を周囲に与えている。それもまた、苦しみ悲しみを増幅させるという意味では、医師たちと変わらない罪ではないだろうか。気持ちの持っていき場がないほど、やりきれなさすぎる一冊だった。
感染連鎖*北里紗月
- 2021/12/31(金) 18:13:06
2019年、9月。千葉県にある神宮総合病院では重症患者が次々と運び込まれた。共通するのは、脱水症状を伴う激しい腹痛。抗生物質を投与し、落ち着きを取り戻したかと思った後に突然高熱を発し、命を落とすという悲惨な結末もまた同じだった……。これは人為的な病気=バイオテロなのか。未知のウィルスに対し、援軍も知見もないまま孤立した病院内で医師達の決死の治療が始まる。
バイオテロ、なんと恐ろしい響きだろう。しかも本作では、いつどこで感染させられたかも判らない菌が使われている。なおさら空恐ろしくなる。それが悪用されるかどうかは、科学者の良心によるというのだから、庶民は信じることしかできないということである。なんとも心もとない。コロナ禍の現在では、医療従事者の方々のご苦労は、数々目にする機会があるが、本作でも、最初の患者が運び込まれ、いままでにない感染症だとわかり、さらにはテロだと判明しても、院内の医療従事者たちのリアリティに富んだプロフェッショナルぶりに頭が下がる。ともすればパニックになりそうな心を抑え、患者と向き合う姿には、尊敬と感謝しかない。そんな緊迫した中で、部外者と言ってもいい大学院生の利根川由紀の、優秀だが、奔放な振る舞いに、ちょっぴりほっとさせられる。誰もが自分のできることを目いっぱい行い、命を助けるというただひとつのことに向かっている姿に感銘を受ける。由紀の活躍によって、テロの真相が解明され、有効な治療薬が超高速で生み出されたが、さまざまなプロの仕事と連携が不可欠で、自分の仕事をきっちりする人たちの格好良さに感動した。これからの戦争の在りようを垣間見た気もして、身体が震える一冊でもあった。
ハッピーライフ*北大路公子
- 2020/12/17(木) 07:48:24
朝、夫は見知らぬ人になっていた――という第一話から、ページを繰る手が止まらなくなる本です。喜びも悲しみも絶望も希望もない〈穏やかで均された世界〉とはいったい何か? 北大路公子が描かずにはおれなかった〈もう一つの日常〉に心揺さぶられること請け合い。濃密な連作短編を堪能してください。
何気なく穏やかに語られる物語なのだが、描かれている内容はと言えば、わたしたちがよく知っている世界とは、ほんの少しずれていて、読み進めれば読み進むほど、胸の中に得体の知れないぞわぞわ感が根を張っていくようである。それでも物語のなかの日常は、それなりに穏やかに営まれており、それがさらに、どうすればいいのだろうという焦燥感のようなものを抱かせる。知らず知らずのうちに、制御の利かない何ものかに取り込まれていくような印象の一冊である。
ひみつのしつもん*岸本佐知子
- 2019/12/15(日) 19:00:34
奇想天外、抱腹絶倒のキシモトワールド、みたび開幕!ちくま好評連載エッセイ、いよいよ快調な第三弾!
こんな視点で物事を見ていたら、日々飽きないだろうなぁ、と思う。うらやましいくらいである。そしてときどき、うんうん、と同意したくなる。ここに引っかかるか、という些細なところに立ち止まり、観察し、掘り下げてしまう著者の可笑しみがじわりじわりと伝わってきて、身体の外側からじわじわと内側へと浸透していくような気がする。少しずつ岸本化していきそうである。クラフト・エヴィング商會の装丁とイラストが、これまた絶妙で、つい見惚れてしまうのである。文句なく面白い一冊だった。
カゲロボ*木皿泉
- 2019/08/04(日) 16:19:11
今日も、誰かがささやく。「あいつがカゲロボらしいよ――」。いつも、誰かに見られている……。最初は他愛のない都市伝説の筈だった。しかし、イジメに遭う中学生、周囲から認知症を疑われる老人、ホスピスに入った患者、殺人を犯そうとする中年女性など、人生の危機に面した彼らの前に、突然現れた「それ」が語ったことは。いま最注目の作家が描いた、救いをめぐる傑作。
荒唐無稽とはいいがたく、じわりじわりと身の回りに迫りつつある現実物語のような気がする。ものガタリの前半では、カゲロボの存在は、都市伝説のようであり、なんというか、いわゆる良心のようなものでもあるように思われるのだが、物語が進むにつれて、少しずつ現実味を帯び始め、とうとう最後には、確固とした現実になっていて、それこそが恐ろしくもある。それは、こんな風にして、現実の世の中も、少しずつ自分の力の及ばない何者かに侵食されていくのかもしれないという恐怖なのかもしれない。カゲロボの存在が人間の敵なのか味方なのか、それはもしかすると人間次第なのかもしれないとも思わされる一冊だった。
雪子さんの足音*木村紅美
- 2018/03/22(木) 18:49:24
東京に出張した薫は、新聞記事で、大学時代を過ごしたアパートの大家・雪子さんが、熱中症でひとり亡くなったことを知った。
20年ぶりにアパートに向かう道で、彼は、当時の日々を思い出していく。
人間関係の襞を繊細に描く、著者新境地の傑作!
第158回芥川賞候補作。
いまどき珍しい、店子と距離を近く取りたがる月光荘の大家の雪子さんを、大学生だった薫は、ある意味いいように利用しながら、次第に鬱陶しく面倒くさく思うようになり、若さゆえもあり、相手の思惑を思いやることもできずに、突き放すようにして引っ越してしまったのだった。社会人になった彼は、新聞の片隅に、雪子さんの死亡記事を見つけ、出張帰りに月光荘の前まで行ってみることにした。そこまでの道筋で思い返したあの日々の物語である。大家の雪子さんと、湯佐薫、そして、もうひとりの住人で薫と同い年の女性・小野田さんとの、ちょっぴり不思議な関係が、ある角度から見ると微笑ましくもあり、別の角度から見ると互いに依存しすぎにも見えて、登場人物それぞれの気持ちが判るだけに、やり切れなくもある。心の窪みを何かで埋めたいという欲求がお互いを縛り合っているようにも見え、三人ともが少しだけ不器用だったのかもしれないとも思う。ほんの少しの違いで、まったく別の関係性が築けたかもしれないと思うと、もったいないような気もする。懐かしいような、切なく哀しいような、さまざま考えさせられる一冊である。
不愉快犯*木内一裕
- 2015/11/09(月) 16:59:03
人気ミステリー作家、成宮彰一郎の妻が行方不明になった。事件性が高いと見た三鷹署の新米刑事ノボルは、先輩刑事の佐藤とともに捜査を開始。次々に容疑者候補が浮かぶ一方、警視庁本部の組対四課や捜査一課も事件に関与してくる。「どうせなら死んじゃっててくんないかなぁ…」不愉快な言動を繰り返す夫、成宮の真意とは―。完全犯罪を「完全」に描き切る、前代未聞の傑作ミステリー!
ミステリ作家が自ら考えた完全犯罪の完全さを証明すべく策を練り、犯行後の体験をも自分の次回作に生かそうとする物語である。そもそも主人公の作家・成宮彰一のキャラクタや考え方が、極めて身勝手で不愉快である。もちろんそれが著者の狙いであるので、まんまと成功していると言える。たとえ罪に問われなくても、これ以上ないほど心証は悪いのは当然である。だが、思わぬ人物が思わぬ反応をすることで、心の揺れが一瞬露わになるところは、少なからず胸がすき、その後の刑事の対応も応援したくなる。だが結局はどんな罪に問われようと、反省することはないのだろうな、と思えて後味はよくない。ラストのエピソードが唯一の救いである。絶対に現実にあってほしくない一冊である。
OUT-AND-OUT*木内一裕
- 2015/09/11(金) 07:29:25
自称・探偵の矢能が突然呼び出された先で目撃したのは、依頼人の死体と覆面姿の男。銃を向ける覆面男の意外な行動に、矢能は窮地に追い込まれる。周到に用意を重ね、完璧にやり遂げた殺人。予期せぬ闖入者が現れたが、無事に問題を処理した。はずだった。成功の喜びの直後、若き殺人者に絶望が訪れる。あの男は何者なんだ。
ハードボイルド探偵物語である。元やくざの矢能が陥った不可解な状況と、恩義に駆られて引き受けざるを得なかった殺人者、預かっている小学生の娘、やくざの組織、政治家。さまざまな人々の思惑と欲得をかいくぐって、何が真実かを見極めつつ、ターゲットを追いつめていくのが見事である。矢能の心がたどり着いたところがほっとさせられる一冊である。
昨夜のカレー、明日のパン*木皿泉
- 2013/08/27(火) 16:33:21
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悲しいのに、幸せな気持ちにもなれるのだ―。七年前、二十五才という若さであっけなく亡くなってしまった一樹。結婚からたった二年で遺されてしまった嫁テツコと、一緒に暮らし続ける一樹の父・ギフは、まわりの人々とともにゆるゆると彼の死を受け入れていく。なにげない日々の中にちりばめられた、「コトバ」の力がじんわり心にしみてくる人気脚本家がはじめて綴った連作長編小説。
人は大切な人を失ったときどうすればよいのだろうか。涙を流し続けることも、俯き続けることも、孤独な世界に籠り続けることもできるが、それはたぶん誰も望まないことだろう。明日も生きていかなければならない遺された者に、ほんとうの意味での命を吹き込むのは何だろうか。そんなことを考えさせてくれる一冊である。
なんらかの事情*岸本佐知子
- 2013/02/20(水) 07:17:57
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「ああもう駄目だ今度こそ本当にやばい、というとき、いつも頭の片隅で思うことがある」第23回講談社エッセイ賞受賞『ねにもつタイプ』より6年。待望の最新エッセイ集。
おそらく普通の大人の真面目な顔をしているのだろう。人と会っていたり、電車の座席に座っていたりする著者は。だがその頭の中は、めまぐるしく活動し、世の中で起きていること――あるいは著者の頭の中だけで起きていること――を絶妙なおもしろさにしているのである。そのことを想像すると、くすり、と笑いがこみあげてくる。クラフトエヴィング商會に通じる部分もあるような気がする。大好きなテイストの一冊である。
道警刑事サダの事件簿*菊池貞幸
- 2012/10/08(月) 14:13:03
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サダは走る。ひったくり犯を追って。車泥棒のヤクザを追って。北海道江別署の駅前交番を振り出しに、機動捜査隊や銃器対策課などで刑事として活躍後、熱血ゆえの左遷もなんのその、真っ直ぐに正義を貫いた42年間の警官人生!サダの熱い心が、逮捕した自販機破損の高校生を改心させ、ヤクザが隠匿していた大量の拳銃や機関銃押収の糸口を掴んだ。事実の迫力が小説やドラマを越える。
警察小説ではなく、なんの捻りもないただの事件簿?と思ったら、ほんとうにただのサダの事件簿なのだった。退官後の元警察官が著者なのである。だが、フィクションよりもずっと信じられないような展開もあり、被疑者や被害者との情の通い合いもあり、著者だからこそとも思われる無謀さもある。それを、熱意を胸に秘めつつ淡々と事件簿として綴っている姿に、警察官という職業への愛を感じて胸が熱くなる。読後に改めて表紙を見るとしみじみとありがたくなる一冊である。
味なしクッキー*岸田るり子
- 2012/04/04(水) 07:38:33
白椿はなぜ散った*岸田るり子
- 2011/11/23(水) 19:54:19
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望川貴は幼稚園で出会った日仏混血の少女・万里枝プティに心を奪われ、二人は永遠の絆で結ばれていると確信する。小中高大学と同じ学校で過ごし、大学でも同じ文学サークルへ入会するが、そこで出会った大財閥の御曹司が万里枝に急接近する。貴は凡庸な容姿の自分とは違い、驚くほどの美貌を誇る異父兄・木村晴彦に、万里枝を誘惑するよう依頼する。貴の計画は成功するかに見えたが―。錯綜する愛憎。はたして真実の絆はどこに。
幼稚園のときに出会ってひと目で惹かれあったタカと万里枝。小・中・高・大と同じ学校で過ごし、大学でも同じサークルに入ったが、そこには万里枝に視線を送る大財閥の御曹司がいた。自分に自信のないタカは、美形の異父兄・晴彦にある計画を持ちかける。まさにそこが間違った道の分岐点だったのである。微笑ましかった幼稚園時代から、歳を重ねるごとに拘りが生まれ、執着が強まり、妄想が膨らんで、現実をそのままに見ることができなくなっているようなタカの姿には哀れみさえ感じさせられる。その彼の純粋すぎる愛情が周囲に広げた波紋の大きさは、彼自身の想像をもはるかに超えるものだった。殺人事件の容疑者にされそうになっている作家の恋人を助けたい一心で奔走する香里がたどり着いた真実を知ったとき、読者はどうしようもない空しさに胸をかきむしりたくなる。タカもおそらく同じだっただろう。救われない物語である。一途さが恐ろしい一冊である。
お月さん*桐江キミコ
- 2011/11/18(金) 19:39:12
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あまりにも小さくて、かなしくて、さびしい。でも、泣きたくなるほど、いとおしい。こんなふうでも、人は生きたいものなのだ。淡い人生の味がつまった珠のような短編集。
表題作のほか、「モーニングセット」 「クリームソーダ」 「金平糖のダンス」 「キツネノカミソリ」 「薔薇の咲く家」 「葬式まんじゅう」 「愛玉子ゼリー」 「デンデンムシと桜の日」 「寒天くらげ」 「アメリカン・ダイナー」 「三月うさぎ」
取り立ててなんということもないことごとが、至極穏やかに綴られている。ほんの少し世間が考える標準からずれていたりもするが、だからといってどうということもない、ああこんな人がいたなぁと、誰にでも思い当たるような人びとが主人公である。そして、表題作はもちろん、どの物語の中にもいろんな形の月が出てくるのが一興である。ちょっぴりもの哀しくてやさしく、それでいてなにか後ろめたいような気持ちにさせられるのはどうしてだろう。小さくても大切な人びとに会える一冊である。
虚言少年*京極夏彦
- 2011/10/19(水) 14:05:12
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僕は、まあやる気のない、モテない、冴えない子供だ。かといって憤懣やるかたないわけでもなく鬱々と陰に篭っているわけでもなく、人気者でもなければイジメっ子でもなく嫌われ者でもなければイジメられっ子でもない。毎日がそこそこ楽しくて、そこそこ幸福であり、なのにそれを自覚していないことが多いので不平不満を垂れたりして、面白ければ笑うし悲しければ泣くし好きなことはやりたいし嫌いなことはやりたくなくて、学校も好きでも嫌いでもないという、まあべたっとしたどうでもいい子供なのである。ただ、まあ特徴を一つ挙げるなら。僕は―嘘吐きなのだ。
ソノ一・三万メートル ソノ二・たった一票 ソノ三・月にほえろ! ソノ四・団結よせ ソノ五・けんぽう ソノ六・ひょっこりさん ソノ七・屁の大事件
主役の僕・内本健吾は小学校六年生である。そして学校ではそ知らぬ顔をしてつるまないが、下校時はいつも行動を共にし、似たり寄ったりの馬鹿さ加減を競い合う友人たち・京野達彦と矢島誉が準主役という役どころである。内容は・・・、と言って語ることはこれといってない気もするが、要するに毒にも薬にもならない小学生男子のどうしようもない頭のなかを覗き見しているような一冊なのである。427ページという厚みのある本であるが、読んでも読まなくても世間の動向になんら影響を与えない類のものであろう。だからといって面白くないわけではない。馬鹿らしい面白さ満載なので、ツボにはまれば笑いが止まらなくなるかもしれない、ということもあるかもしれない。名前の似かより具合から、京野達彦には著者が投影されているのだろうか、などと思い巡らしながら読むのもまた興味深いものである。忙しく慌しいときは避け、ゆったりと時間のあるときに読むといい一冊である。
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