劇場*又吉直樹

  • 2017/07/31(月) 19:00:03

劇場
劇場
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又吉 直樹
新潮社 (2017-05-11)
売り上げランキング: 1,300

一番 会いたい人に会いに行く。
こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。

演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。
夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。

『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、
書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。

夢と現実のはざまでもがきながら、
かけがえのない大切な誰かを想う、
切なくも胸にせまる恋愛小説。


脚本を書くことで演劇という手段で自分の世界を作り出そうともがく永田は、自分の中に湧き上がるものと時代の流れとをうまくすり合わせることができずにいる。それでも、諦めたくない何ものかを持っているので、安易にその流れに乗っていくことはできないのである。深く考え、悩むこともあるのだが、声として外に出る言葉は、胸の裡とは裏腹に軽薄でふざけた調子になってしまったりもする。先の先を読み、裏の裏へ思いを致して、結局空回りするような感じとでも言えばいいのか。それは、すべての人に理解してもらえるわけではなく、落ち込み自己嫌悪に陥ることも多々あるのである。水鳥が悠々と泳いでいるように見えて、水面下では大忙しなのと似ているような気がする。永田もまた、傍から見れば、恋人の沙希に寄りかかってぐうたらしているようにしか見えない。沙希も、精いっぱい解ろうとしていたのだが、やはり追いつかなくて疲れてしまったのだろう。面倒なものである、人間というものは。不器用で面倒で、外からはうかがい知ることのできない思いに溢れた一冊である。

カウントダウン*真梨幸子

  • 2017/04/27(木) 07:07:37

カウントダウン
カウントダウン
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真梨 幸子
宝島社
売り上げランキング: 33,721

余命、半年――。海老名亜希子は「お掃除コンシェルジュ」として活躍する人気エッセイスト、五十歳・独身。
歩道橋から落ちて救急車で運ばれ、その時の検査がきっかけで癌が見つかった。余命は半年。
潔く〝死〟を受け入れた亜希子は、“有終の美"を飾るべく、梅屋百貨店の外商・薬王寺涼子とともに〝終活〟に勤しむ。
元夫から譲られた三鷹のマンションの処分。元夫と結婚した妹との決着。そして、過去から突きつけられる数々の課題。
亜希子は“無事に臨終"を迎えることができるのか!?
人気ファッション誌「大人のおしゃれ手帖」大好評連載作品、待望の単行本化。
装画は大人気イラストレーター・マツオヒロミさんによる描き下ろし!


歩道橋から転落して怪我をしたことがきっかけで甲状腺に癌が見つかり、余命半年を告げられた海老名亜希子が主人公。有名百貨店の外商・薬王寺涼子の手を借りて、最期の日までのカウントダウンを始めるのである。だが、身辺整理を始めると、来し方のあれこれに引きずり込まれて、記憶違いや記憶の改ざん、憤りや後悔などなど、さまざまな感情に翻弄され、自分の人生を改めて思い返すことになるのである。登場人物たちもすべて腹に一物抱えた癖のある人たちで、誰にも肩入れできないのが著者らしい。そして、ずっとなんとなく影が薄かった担当編集者の牛島君が終盤になって俄然その存在意義を見せつけてくれ、すべてが繋がるのが小気味よくもある。最期の日へのカウントダウンというと、暗いばかりな印象であるが、絶妙なコメディタッチもにじませて、興味深く読める。終活のこと、人間関係のこと、などなどさまざま考えさせられる一冊でもある。

いちばん悲しい*まさきとしか

  • 2017/02/16(木) 16:55:43

いちばん悲しい
いちばん悲しい
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まさきとしか
光文社
売り上げランキング: 104,130

ある殺人事件が抉り出す、常人の想像の及ばない、劇毒。

ある大雨の夜、冴えない中年男が殺された。不倫相手の妄想女、残された妻子、キャンプでの不幸な出来事――事件の周縁をなぞるような捜査は、決して暴いてはならない秘密をつきとめる――女たちの心の奥底にうずまく毒感情が、人の命を奪うまでを描いたイヤミスの誕生! !


登場人物がみんな自己中心的で、誰にも感情移入できない。誰もが、自分こそがいちばん悲しい被害者だと、まるで悲しさ比べでもしているような物語である。存在感のない中年男・戸沼暁男が何者かに殺された。一体犯人は誰なのか。警察が探る中、次々に関係者と思われる人々の内情が明らかにされ、やり切れなさがどんどん増していく。そして真犯人がわかってみれば、これもまたなんとも哀しい事情を抱えているのだった。いちばん悲しいのは、こんなに悲しい人たちをたくさん見せられた読者かもしれないと思わされる一冊である。

インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実*真梨幸子

  • 2017/02/11(土) 18:32:51

インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実 (徳間文庫)
真梨幸子
徳間書店 (2012-11-02)
売り上げランキング: 84,887

一本の電話に月刊グローブ編集部は騒然となった。
男女数名を凄絶なリンチの末に殺した罪で起訴されるも無罪判決を勝ち取った下田健太。その母・茂子が独占取材に応じるという。茂子は稀代の殺人鬼として死刑になっ たフジコの育ての親でもあった。
茂子のもとに向かう取材者たちを待ち受けていたものは。50万部突破のベストセラー『殺人鬼フジコの衝動』を超える衝撃と戦慄のラストシーン !


ひとつ前の読書のほのぼのした気分が一遍に吹き飛ぶような殺伐とした始まりで、一瞬本を閉じようかと思ったほどである。フジコの事件の再現も含まれてはいるが、一体何人殺されるのだろう。フジコと彼女を形成した環境、そして、彼女が生み出してしまった悪意の数々が、あとからあとから押し寄せてきていたたまれなくなる。下田茂子にインタビューはできるのだろうか、これからどんな厭な展開が待ち受けているのか、半分怯えながら読み進んだが、最後の最後でやっとこの件を仕組んだ張本人が姿を現す。この厭な連鎖はまだ続くのだろうか。ほんとうに厭な読後感の一冊である。

殺人鬼フジコの衝動*真梨幸子

  • 2017/01/14(土) 16:30:49

殺人鬼フジコの衝動
殺人鬼フジコの衝動
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真梨 幸子
徳間書店
売り上げランキング: 713,552

一家惨殺事件のただひとりの生き残りとして、新たな人生を歩み始めた十歳の少女。だが、彼女の人生は、いつしか狂い始めた。人生は、薔薇色のお菓子のよう…。またひとり、彼女は人を殺す。何が少女を伝説の殺人鬼・フジコにしてしまったのか?あとがきに至るまで、精緻に組み立てられた謎のタペストリ。最後の一行を、読んだとき、あなたは著者が仕掛けたたくらみに、戦慄する!


「殺人鬼」とタイトルにある時点で、人が死ぬことはわかってはいるが、それでもあまりにもたくさんの人が、あまりにも簡単に殺され過ぎて、震えがくる。しかもその動機がすべてなんとも利己的な理由なのだから、胸がふさがれる思いである。だが、殺人鬼に成り果ててしまったフジコは、どこで何を間違ったのだろうと考えると、因果とか業とか、自分では如何ともしがたい何者かに突き動かされているようにも見えて、哀しみすら感じられるのである。さらに本書自体が著者の見事な企みであり、最後の最後にそのことに一層驚かされる。頭の中がぐるんぐるん回るような心地の一冊である。

私が失敗した理由は*真梨幸子

  • 2017/01/09(月) 16:53:13

私が失敗した理由は
私が失敗した理由は
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真梨 幸子
講談社
売り上げランキング: 197,634

落合美緒は、順風満帆な人生から一転、鬱々とした生活を送っていた。ある日、パート先の同僚のイチハラが、大量殺人事件を起こしたと聞く。彼女とコンビニで会った夜に事件を起こしたらしい。イチハラが言っていた言葉「…成功したかったら、失敗するなってこと。…」を思い出し、かつてないほどの興奮を感じた美緒はあることを思いつき、昔の恋人で編集者である土谷謙也に連絡を取るが―。失敗の種類は人それぞれ、結婚、家族、会社―様々な人間の失敗談から導き出される真理。美緒は一体何を思いついたのか、そして事件の真相は?


冒頭部分だけ読むと、エッセイのような印象だが、すでにそこから物語は始まっているのだった。田喜沢市にあるセイダイスーパー田喜沢南店から物語は始まるのだが、スーパーのパート主婦たちの確執の物語かと思いきや、あとからあとから殺人事件や自殺や失踪といった恐ろしい事件が起こる。真犯人探しを軸にしながら、登場人物たちが裡に秘めた屈託を暴き出し、人間の欲や悪意が波紋のように広がる様があちこちで描かれていて、いや~な気分にさせられる。語り手がコロコロ変わり、「あれ?いま語っているわたしは一体誰?」ということが再々あるが、それも著者の企みのひとつなのだろう。どんどんずんずん深みに引きこまれていく心地である。ある種怖いもの見たさといったところだろうか。相変わらずに読後感も散々だが、目が離せない一冊であることは間違いない。

更年期少女*真梨幸子

  • 2017/01/02(月) 06:24:38

更年期少女
更年期少女
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真梨 幸子
幻冬舎
売り上げランキング: 211,088

池袋のフレンチレストランに集まったのは、往年の人気少女漫画「青い瞳のジャンヌ」をこよなく愛する「青い六人会」。無様に飾り立てた中年女性たちが、互いを怪しい名前で呼び合い少女漫画話と噂話をするだけの定例会だったはずが…。いつのまにやらメンバーの度重なる失踪、事故死、腐乱死体発見!ヒロインになりたい女たちの、暴走ミステリ。


タイトルと装丁でなんとなく内容は想像がつくが、そう思って読み進んだのは初めの方だけで、物語はその後どんどん泥沼にはまり込んでいく。往年の人気漫画「青い瞳のジャンヌ」のコアなファンクラブの会員たち、ことに「青い六人会」と呼ばれる幹部たちは、自分たちの世界に入り込み、場の空気を読まずに会合を開く姿は、傍目からは滑稽以外の何物でもないのだが、本人たちはいたって真剣なのがなおさら痛々しい。そんな彼女たち、それぞれが日常生活では、自らにも家族にも様々な問題を抱えており、もがき苦しんでいるのである。そのギャップがホラーのようでもあり、さらに痛々しく、目を逸らしたくなる。いつものミスリードもあり、やはりまんまと騙されてしまう。そう思って読めば、腑に落ちることがたくさんあるのに。またまた厭な後味の一冊である。

四〇一二号室*真梨幸子

  • 2016/12/31(土) 16:25:56

四〇一二号室
四〇一二号室
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真梨 幸子
幻冬舎
売り上げランキング: 297,175

タワーマンションの最上階、四〇一二号室に暮らす人気作家、三芳珠美は、人生の絶頂にいながら満たされずにいた。ある日、古本屋の老婆に「あなたに」と古い写真を見せられるが、そこには見知らぬ赤ん坊の姿が写っていて…。一方、根岸桜子は同時期にデビューした珠美の成功を安マンションで妬ましく思う日々。そして、1999年11月22日、大停電の日。珠美がマンションから転落。その日から女たちの運命が逆転した―のは悲劇の始まりに過ぎなかった。“人間は、あっという間に地獄の底に転落するのよ”四〇一二号室からはじまる“不幸”の連鎖。著者が仕掛けた夥しい数の罠。『殺人鬼フジコの衝動』の著者、最恐イヤミス。


心理的瑕疵物件である、所沢のタワーマンションの最上階・4012号室を鍵とした厭な厭な物語である。女たちの妬み合いも、それを裏で利用する男の狡さ汚さも「厭」の要素のひとつである。そして、頻々と移り変わる語り手や、夢と現実の境目が曖昧すぎる展開が、物語の筋をますます混沌の中へと引き込んでいくので、幾度となく自分が立っている地平が揺らぐような、めまいにも似た心地にさせられるのである。夢と現の間だけでなく、時の流れをも行きつ戻りつしながらたどり着いた真実は、切ないというかやり切れないというか、人間の浅ましさを見せつけられたようない厭な後味を残すものである。まんまと騙された一冊である。

6月31日の同窓会*真梨幸子

  • 2016/12/25(日) 16:58:56

6月31日の同窓会
6月31日の同窓会
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真梨 幸子
実業之日本社
売り上げランキング: 223,906

神奈川の伝統ある女子校・蘭聖学園の89期OGが連続して不審な死を遂げる。同校出身の弁護士・松川凛子は、同窓生の証言から真相を突き止めようとするが―学園の闇と女たちの愛憎に、ラスト1行まで目が離せない!女子校育ちの著者が、かさぶたを剥がしながらダーク過ぎる“女の園”を描く、ノンストップ・イヤミス!


神奈川県にある初等科から短大まである女子校・蘭聖学園の卒業生たちが主人公の物語である。6月31日に催される同窓会の案内を受け取った者が、相次いで亡くなっていく。伝統ある女子校の同窓生というつながりの強さと怖さはもちろんひしひしと伝わってくるし、そもそも学生時代の女子校に特有の雰囲気が濃密すぎて息苦しくなるほどである。一体誰が犯人なのか。想像を巡らせながら読み進むが、最後の最後まで正解にたどり着けはしなかった。伝統を守るということ、同窓生同士の強いきずな、それが執念深さにも見えてしまうような厭な後味も感じられる。面白かったが、犯人が判ってもまったくすっきりしない一冊ではある。

お引っ越し*真梨幸子

  • 2016/12/11(日) 16:55:42

お引っ越し
お引っ越し
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真梨 幸子
KADOKAWA/角川書店 (2015-03-28)
売り上げランキング: 314,940

引っ越した先は闇の中。マンションの内見、引っ越し前夜の片付け、隣人トラブル…「引っ越し」に潜む“恐怖”を描いた、世にも奇妙な連作短編集。


「扉」 「棚」 「机」 「箱」 「壁」 「紐」 「解説」

この解説には鍵かっこをつけたくなる。解説であって解説ではなく、それ自体ひとつの物語である。解説者の名前を見た途端、なにやら背中がぞくりとする。そして本編。それぞれのタイトルがモチーフとなった引っ越し秘話だが、どれもブラックで、引っ越しが怖くなるものばかりである。しかも連作なので、恐ろしさ、おぞましさが増幅される。引っ越したばかりの人は特に、絶対に読んではいけない一冊だと思う。

人生相談*真梨幸子

  • 2016/12/04(日) 21:05:02

人生相談。
人生相談。
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真梨 幸子
講談社
売り上げランキング: 107,079

大洋新聞に連載されている「よろず相談室」には老若男女から様々な相談が寄せられている――。

「居候に悩んでいます」――自分たちの家に居候が住んでいて、あるとき主従が逆転してしまった。このままでは居候たちに追い出されてしまう!
「しつこいお客に困っています」――同僚に生理的に嫌なお客を押しつけられて困っているのだけれど……。
「隣の人がうるさくて、ノイローゼになりそうです」――25年住んでいる賃貸の部屋。今までは何もなかったのに、隣から急に壁をたたかれるようになり、生活もままならなくなってきたのですが……。
「セクハラに時効はありますか?」――14年前、残業後、8歳年下の後輩に思わず抱きつき、そのまま最後まで……。部長への昇進にあたっての、審査で、この点だけ気になっています。
「大金を拾いました。どうしたらいいでしょうか」――家の裏の雑木林で見つけたゴミ袋。その中には札束が! 持ち帰って1年そのままなのですがどうしたらよいのでしょうか。
「西城秀樹が好きでたまりません」――「傷だらけのローラ」は私のことを歌っているんです! 秀樹が呼んでいる! どうしたら秀樹に会えますでしょうか。秀樹に会わせてください!
「口座からお金を勝手に引き出されました」――1500万円ほどの蓄えがあったのですが、どうやら夫が勝手に引き出したようです。これって窃盗にあたりますか?
「占いは当たりますか?」――来年、結婚する予定です。祖父母が心酔している占い師に、この結婚は不吉だと言われたと告げられて。そのうち、私も不安になってきたのですが。

一見、なんの連関性もない人生相談の数々。
ところがこの相談の裏には衝撃の事件が隠されていた!


新聞の人生相談コーナーに載った相談事がまずあり、その後に物語が始まるのだが、どれもがその相談事と似通っている。しかも、物語の後に配されている回答編を読むと、その皮肉さに気づくのである。そんな趣向なのだと思って読み進んだのだが、またしばらく読むと、あちらこちらで繋がっていることに気づかされる。こんがらがった毛糸がもつれて解けなくなったようである。しかも毛羽立ったところがまたもつれ合って、さらなる混沌に迷い込む心地である。いろんなところがいろんなところと繋がり、影響を与え、因果関係を持ち、ぐるぐる回っているようでもある。ただ、要素が多くて、さらっと読んだだけでは印象に残らない登場人物もいて、それがいささかストレスにならないこともない。それさえなければ、次はどことどこが繋がるのだろうという興味もあり、惹きこまれる一冊ではある。

もういっかい彼女*松久淳

  • 2016/10/17(月) 17:07:36

もういっかい彼女
もういっかい彼女
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松久 淳
小学館
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大人切ないタイムスリップ号泣ストーリー

私は、何度か過去に戻ったことがある--。雑誌のインタビューで出会った初老の官能小説家が話し始めた内容は、想像を絶するものだった。
これは、夢か、現実か、それとも彼の戯言なのか?

雑誌のライター・富谷啓太(通称・タニケー)は、自分が担当する「オールド・タレント」というインタビュー連載に、なんとなく訳ありのある人物を取材するよう依頼される。取材相手は、佐々田順という官能小説家で、20年前に9作の小説を世に出した後は、すっかり鳴りを潜めていた。
カメラマンの野田奈々と、その初老男性の取材を終えたタニケーは、ひょんなことから佐々田のとんでもなく長い話を聞くことになる。


雑誌のインタビューで、老作家・佐々田が亡き恋人・菜津子との過去のことを語る物語、かと思ったら大違い。過去のことを語ってはいるのだが、それは現在の佐々田が若き日の自分の元に帰り――どうやら若い佐々田には老佐々田の声だけしか聞こえないらしい――、子どものころから自分と出会うまでの菜津子の姿を見守る様子なのだった。老佐々田と若い佐々田、二人の目を通してみた菜津子の成長は、いつしか少しずつ違って映るようになっていったのかもしれない。話を聴く記者の啓太とカメラマンの奈々の興味と読者の興味とがするりと連動し、タイムトリップという不思議なことも自然に受け入れてしまう。老佐々田の死の後明らかになった事実は、その不思議さのさらに上をいくものだったが、啓太と奈々の想像通りだといいなと思わされる。悲しく切ないが胸があたたかくなる一冊である。

まぼろしのパン屋*松宮宏

  • 2016/06/24(金) 18:33:56

まぼろしのパン屋 (徳間文庫)
松宮 宏
徳間書店 (2015-09-04)
売り上げランキング: 95,535

朝から妻に小言を言われ、満員電車の席とり合戦に力を使い果たす高橋は、どこにでもいるサラリーマン。しかし会社の開発事業が頓挫して責任者が左遷され、ところてん式に出世。何が議題かもわからない会議に出席する日々が始まった。そんなある日、見知らぬ老女にパンをもらったことから人生が動き出し……。人生逆転劇がいま、始まる!
他、神戸の焼肉、姫路おでんなど食べ物をめぐる、ちょっと不思議な物語三篇。


パン屋さんの物語とは思えないサラリーマンの悲哀満載の出だしなのだが、次第に「しあわせパン」の紙袋から香る焼き立てパンの香ばしさに魅入られていく。それぞれに日々は苦労の連続で、そんな中で出会うべくして出会った人たちが、人のためにしあわせを作り出してくれるようで、あたたかい心持ちになる。新しい「しあわせパン店」を探しに行きたくなってしまう。ほかの二編も、ラストのほのぼのぶりが胸に沁みる一冊である。

ふたつの名前*松村比呂美

  • 2016/04/03(日) 09:23:15

ふたつの名前
ふたつの名前
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アドレナライズ (2014-11-11)
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高齢者向けの結婚相談所“サードライフ”で働く保奈美。控えめな母、義理の関係だが優しい父との平凡な家庭に育ち、仕事では女性社長からの信頼も厚く、何の問題も見当たらないはずの彼女を、ときおり「不安」としか言いようのない発作が襲う。保奈美がその正体を探りはじめたとき、平穏な家庭がひた隠しにしてきた哀しい事件が蘇る。長篇心理サスペンス。


穏やかな中に不穏な空気が時折混じりこんでくるような印象が初めからある物語である。それは、読者に与える、何事かが起こりそうなそこはかとない不安感であり、また、主人公の保奈美に不意に現れる厭な気持ちの真の原因でもある。なにかとても不安定な地盤に建てられた家のような居心地の悪さが感じられる。そしてそれだからこそ、先を知りたい興味は尽きない。DVの連鎖やそれに伴う殺人という事件の恐ろしさと、現在の人間関係の円満さの対比も、不安定感をより増している。善悪は於くとして、とても面白い一冊だった。

火花*又吉直樹

  • 2015/06/08(月) 07:15:37

火花
火花
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又吉 直樹
文藝春秋
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お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。


期待値が高すぎたのだろう。芸人界の裏側、芸人の葛藤と日常を垣間見られたという意味では、興味深い点もあったし、徳永が心酔し、師匠とあがめる神谷に対する複雑な思いに胸が騒いだりもするが、導入部分のこれから何かが始まろうとするようなわくわく感が、物語が進むにつれて、できごとの羅列に色をつけた印象になっていき、尻すぼみになってしまうのが残念でもある。人を笑わせることの裏側の苦労を思わされて一冊ではある。