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スタッキング可能*松田青子

  • 2021/03/26(金) 07:29:10


“あなた”と“私”は入れ替え可能?小さかろうがなんだろうが希望は、希望。


いままで慣れ親しんできた小説とはひと味違うテイストである。表題作では、主人公がすべてアルファベットの匿名で、同じビルの別々の階で働く人々、という設定である。読み始めは、それぞれのつながりを探そうとしていたが、間もなくそれがまったく無駄なことであることに気づかされる。頭の中で映像化してはいけない物語である。読み続けると、なんだかそこにいるのが自分でなくても一向に構わない心地にさせられて、虚しささえ感じ、辛く投げやりな気持ちになる反面、ちょっぴり気が楽になったりもする。表題作以外も、なんというか、とても実験的な印象がある。不思議な読後感の一冊だった。

あの日、君は何をした*まさきとしか

  • 2020/11/24(火) 07:54:37


北関東の前林市で暮らす主婦の水野いづみ。平凡ながら幸せな彼女の生活は、息子の大樹が連続殺人事件の容疑者に間違われて事故死したことによって、一変する。大樹が深夜に家を抜け出し、自転車に乗っていたのはなぜなのか。十五年後、新宿区で若い女性が殺害され、重要参考人である不倫相手の百井辰彦が行方不明に。無関心な妻の野々子に苛立ちながら、母親の智恵は必死で辰彦を捜し出そうとする。捜査に当たる刑事の三ツ矢は、無関係に見える二つの事件をつなぐ鍵を掴み、衝撃の真実が明らかになる。家族が抱える闇と愛の極致を描く、傑作長編ミステリ。


三分の一ほどを占める第一部では、2004年の連続殺人事件の容疑者脱走に関わる事件が描かれ、第二部では、15年後の2019年に起きた、女性殺害事件の捜査から浮かび上がってくるあれこれが描かれている。担当の三ツ矢刑事は、変わり者と評判だが、15年前の事件にも関りがあり、捜査するうちに、否応なく15年前の事件にかかわるあれこれが立ち上がってきて、わからないことを知りたいという思いに突き動かされる。三ツ矢と組まされた田所岳斗は、自分が頼りにならないふがいなさと、三ツ矢の考えを知りたいという思いとで、三ツ矢に惹きつけられていく印象である。どの出来事も一筋縄ではいかない何かを内包しているように思われ、真実がわからないことにもどかしさが募る。殺人犯に間違われてパトカーに追われたあげくに事故死した水野大樹の真実が見えた、と思ったのも束の間、それもまた幻でしかなく、もどかしさとやり切れなさが消え去ることはなかった。それでなおさら現実のままならなさを思い知らされる。胸の奥をひっかかれたような気分が最後まで残る一冊である。

デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士*丸山正樹

  • 2020/10/01(木) 16:20:24


今度は私があなたたちの“言葉"をおぼえる 荒井尚人は生活のため手話通訳士に。あるろう者の法廷通訳を引き受け、過去の事件に対峙することに。弱き人々の声なき声が聴こえてくる、感動の社会派ミステリー。 仕事と結婚に失敗した中年男・荒井尚人。今の恋人にも半ば心を閉ざしているが、やがて唯一つの技能を活かして手話通訳士となる。彼は両親がろう者、兄もろう者という家庭で育ち、ただ一人の聴者(ろう者の両親を持つ聴者の子供を"コーダ"という)として家族の「通訳者」であり続けてきたのだ。ろう者の法廷通訳を務めていたら若いボランティア女性が接近してきた。現在と過去、二つの事件の謎が交錯を始め…。マイノリティーの静かな叫びが胸を打つ。衝撃のラスト!


両親と兄がろう者で、家族の中で唯一の聴者である荒井は、ろう者と同じように日本手話を話せる。警察事務官だったころに、そのことを知った刑事に、取り調べの通訳を頼まれたことが、そもそもの始まりだった。その後、警察を敵に回すような行いで退職し、ふとしたきっかけで手話通訳を頼まれることになり、法廷手話通訳士をすることになった。そんな巡りあわせで、警察時代の事件と再び向き合うことになり、段々と深くかかわっていくのである。知らなかったろう者の事情や、手話を含む対話方法のことなどを知ることができるだけでなく、ストーリー自体もミステリ仕立てで、興味深く読める一冊である。

人間*又吉直樹

  • 2019/12/12(木) 12:15:03


僕達は人間をやるのが下手だ。38歳の誕生日に届いた、ある騒動の報せ。何者かになろうとあがいた季節の果てで、かつての若者達を待ち受けていたものとは?初の長編小説にして代表作、誕生!!


著者が有名人であるがゆえに、どうしてもご本人に重ねて読んでしまいがちではあるが、どの登場人物も当てはまるようでいて当てはまらず、当てはまらないようでいて当てはまってしまうのだ。著者に限らず、作中の人物には多かれ少なかれ作者自身の成分が投影されているということだろう。人間という、ひとくくりにするには厄介すぎる生きものを語るのは至難だと思う。だが、誰もが少なくとも一度は、潜り抜けたであろうと思われる、自分とは何者かという命題について、そして、それを考えたときに頭をよぎるであろう答えに似たものは描かれているように思う。「凡人Aの罪状は、自分の才能を信じていること」というのが、ひとりの人間の中にある矛盾と葛藤をよく言い表していると思う。他人の悩みを見せつけられてイラっとするところもなくはないが、それもまた人間、と思わされる一冊でもあった。

屑の結晶*まさきとしか

  • 2019/12/10(火) 12:25:10


「誰を殺そうと俺の自由」小野宮楠生は二人の女性を殺害した容疑で逮捕・起訴され、チャラい外見とふざけた供述から「クズ男」と呼ばれている。弁護士の宮原貴子は、小野宮が幼少期を過ごした町へ赴き、ある女性の存在をつかむ――。聖と悪のボーダーをゆるがす哀切のミステリー長編。



一見すれば誰にでも判るような殺人事件の裏に、実はこんなにも複雑な体験とそれに伴う心理状態が潜んでいようとは。起きたことの判りやすさとは逆に、終始、座りの悪い不安定な何かを感じていたのは、弁護士の貴子だけではなく、読者も同じである。楠生の態度や反応は、ステレオタイプでありながら、底の読めない空恐ろしい昏さを内包している気がして、その掴みどころのなさ故に、地団駄踏みたくなるようなもどかしさを感じてしまう。しかし、ある点を突かれると意外にも脆い一面をのぞかせることに気づいたとき、事件の真相はぐっと近づいてくるのである。幼児体験の影響力のすさまじさとともに、人の心の奥底をのぞき込む怖さをも味わわされる一冊である。

ゆりかごに聞く*まさきとしか

  • 2019/08/08(木) 16:48:05

ゆりかごに聞く
ゆりかごに聞く
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まさき としか
幻冬舎 (2019-04-18)
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新聞社で働く柳宝子は、虐待を理由に、娘を元夫に奪われていた。ある日、21年前に死んだはずの父親が変死体で発見され…。遺留品には猟奇的殺人事件の大量の記事の切り抜きと娘に宛てた一通の手紙。「これからも見守っている」。宝子は父の秘密を追うことになるが、やがてそれは家族の知られざる過去につながる。一方、事件を追う刑事の黄川田は、自分の娘が妻の不貞の子ではないかと疑っていた。


親になるとはどういうことだろう。母性は人のなかにいつ芽生えるものなのだろう。父性はどんな条件でどの段階で芽生えるのだろう。そんな、人の生にまつわるあれこれを考えさせられる物語である。親に愛されること、子を愛すること。それは誰にでも無条件に与えられるものではないのだということが、本作を読むと痛いほど伝わってきて、胸が締めつけられる。さまざまな命の扱われ方を考えさせられる一冊でもある。

ある女の証明*まさきとしか

  • 2018/12/13(木) 18:31:53

ある女の証明 (幻冬舎文庫)
まさき としか
幻冬舎 (2018-10-10)
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主婦の小浜芳美は、新宿でかつての同級生、一柳貴和子に再会する。中学時代、憧れの男子を奪われた芳美だったが、今は不幸そうな彼女を前に自分の勝利を嚙み締めずにはいられない。しかし――。二十年後、ふと盗み見た夫の携帯に貴和子の写真が……。「全部私にちょうだいよ」。あの頃、そう言った女の顔が蘇り、芳美は恐怖と怒りに震える。


貴和子というひとりの女を、さまざまな年代に彼女とかかわった人々の目で見せられているような印象の物語である。貴和子が本当はどんな女性だったのか、いい人だったのか、悪女だったのか、幸せだったのか不幸だったのか。貴和子自身の言葉で語られることは全くないので、実際のところは判らないが、わたしには、貴和子自身は、その時その時で、自分に正直に生きているように見受けられる。ただ、どの年代でも、確固とした居場所を見つけることはできなかったように見えるのが、切なすぎる。物語全体を通して、もの悲しさが漂っている気がして、やりきれない気持ちにさせられる一冊である。

玉瀬家、休業中。*まさきとしか

  • 2018/09/15(土) 18:32:28

玉瀬家、休業中。
玉瀬家、休業中。
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まさき としか
講談社
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澪子は41歳、バツイチ。"人並み”の幸せを夢見ていただけなのに、もろく崩れる。家財道具は旦那に持っていかれ、お金もない。そんな中、姉の香波が金の無心にやってくる。香波は澪子の状況を知り、久しぶりに実家で暮らすことを提案する。そして10年ぶりに母親が一人で住む家に戻ったのはいいのだが、娘たちの出戻りを笑い飛ばす始末。がさつな母に傷つく澪子。そしてある日、家で怪しい人影を発見するのだが?!


41歳にして自分探しの澪子である。一度人生設計につまずいた後は、すべてを失い、未来さえも失くしたような気になっていた。自分には何もない。何もできない。そうやって日々を無為に過ごし、ほかのだれかの自分よりもわずかに劣るところを見つけては、わずかに自分を慰めるのだった。だが、がさつで人の気持ちをわからないと思っていた母にも、いつも尖って自分勝手だと思っていた姉にも、引きこもりでどうしようもない兄にも、それぞれの人生があって、自分よりもはるかに充実していると知り、ますます鬱々とするのである。家族の知らなかった一面を知るうちに、少しずつ視点が変わってきて、なんだか馬鹿らしく思われてくるにつれ、縛られていたものが少しずつ緩み始める。少しずつでも未来のことを考えられるようになった澪子には、きっとこれまで見えていなかったものがどんどん見えるようになってくるのだろう。家族との関係も、きっと少しずつ変わってきて、玉瀬家もいつか休業中ではなくなるのだろう。前半は、いろんな意味でイライラさせられもしたが、次第に応援したくなってくる一冊だった。

猫の話をそのうちに*松久淳

  • 2018/02/19(月) 08:46:51

猫の話をそのうちに
猫の話をそのうちに
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松久 淳
小学館
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売れないギターデュオ・ネクストマンデイのひとり、野崎周一郎は、相方がこの業界から去り、覚束ない日々を送っていた。そんなある日、偶然居合わせた居酒屋で、人気ミュージシャン・黒沢と飲むことになる。その場で、説教をされ、号泣した野崎だったが、翌日、何事もなかったように黒沢から飲みの誘いを受ける。以降、野崎は、気が付けば頻繁に黒沢と飲むようになった。だが、元カノとの中途半端な交際を指摘されたことをきっかけに、野崎と黒沢は連絡が途絶えてしまう。それから、長い時間が流れた――。


初めは、ただの酔っぱらいのたわごとであり、破天荒を気取るイヤな奴と何も言えずにいいように扱われる後輩の関係の話しかと思い、良い印象を持たずに読み進めたのだが、黒沢の行動パターンや胸の裡が少しずつ察せられるようになるにつれ、野崎自身の不甲斐なさや中途半端なずるさ、そして音楽に対する諦めの悪さが、黒沢に何らかの衝動――あくまでも内面の動きとして――を起こさせ、このような関係を続かせているのではないかということに思い至ると、二人の関係が違ったものに見えてくる。ひとりの人間を一面だけで判断することはできないということもよく判る。情熱的でもあり、しみじみさせられる一冊でもある。

劇場*又吉直樹

  • 2017/07/31(月) 19:00:03

劇場
劇場
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又吉 直樹
新潮社 (2017-05-11)
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一番 会いたい人に会いに行く。
こんな当たり前のことが、なんでできへんかったんやろな。

演劇を通して世界に立ち向かう永田と、その恋人の沙希。
夢を抱いてやってきた東京で、ふたりは出会った――。

『火花』より先に書き始めていた又吉直樹の作家としての原点にして、
書かずにはいられなかった、たったひとつの不器用な恋。

夢と現実のはざまでもがきながら、
かけがえのない大切な誰かを想う、
切なくも胸にせまる恋愛小説。


脚本を書くことで演劇という手段で自分の世界を作り出そうともがく永田は、自分の中に湧き上がるものと時代の流れとをうまくすり合わせることができずにいる。それでも、諦めたくない何ものかを持っているので、安易にその流れに乗っていくことはできないのである。深く考え、悩むこともあるのだが、声として外に出る言葉は、胸の裡とは裏腹に軽薄でふざけた調子になってしまったりもする。先の先を読み、裏の裏へ思いを致して、結局空回りするような感じとでも言えばいいのか。それは、すべての人に理解してもらえるわけではなく、落ち込み自己嫌悪に陥ることも多々あるのである。水鳥が悠々と泳いでいるように見えて、水面下では大忙しなのと似ているような気がする。永田もまた、傍から見れば、恋人の沙希に寄りかかってぐうたらしているようにしか見えない。沙希も、精いっぱい解ろうとしていたのだが、やはり追いつかなくて疲れてしまったのだろう。面倒なものである、人間というものは。不器用で面倒で、外からはうかがい知ることのできない思いに溢れた一冊である。

いちばん悲しい*まさきとしか

  • 2017/02/16(木) 16:55:43

いちばん悲しい
いちばん悲しい
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まさきとしか
光文社
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ある殺人事件が抉り出す、常人の想像の及ばない、劇毒。

ある大雨の夜、冴えない中年男が殺された。不倫相手の妄想女、残された妻子、キャンプでの不幸な出来事――事件の周縁をなぞるような捜査は、決して暴いてはならない秘密をつきとめる――女たちの心の奥底にうずまく毒感情が、人の命を奪うまでを描いたイヤミスの誕生! !


登場人物がみんな自己中心的で、誰にも感情移入できない。誰もが、自分こそがいちばん悲しい被害者だと、まるで悲しさ比べでもしているような物語である。存在感のない中年男・戸沼暁男が何者かに殺された。一体犯人は誰なのか。警察が探る中、次々に関係者と思われる人々の内情が明らかにされ、やり切れなさがどんどん増していく。そして真犯人がわかってみれば、これもまたなんとも哀しい事情を抱えているのだった。いちばん悲しいのは、こんなに悲しい人たちをたくさん見せられた読者かもしれないと思わされる一冊である。

もういっかい彼女*松久淳

  • 2016/10/17(月) 17:07:36

もういっかい彼女
もういっかい彼女
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松久 淳
小学館
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大人切ないタイムスリップ号泣ストーリー

私は、何度か過去に戻ったことがある--。雑誌のインタビューで出会った初老の官能小説家が話し始めた内容は、想像を絶するものだった。
これは、夢か、現実か、それとも彼の戯言なのか?

雑誌のライター・富谷啓太(通称・タニケー)は、自分が担当する「オールド・タレント」というインタビュー連載に、なんとなく訳ありのある人物を取材するよう依頼される。取材相手は、佐々田順という官能小説家で、20年前に9作の小説を世に出した後は、すっかり鳴りを潜めていた。
カメラマンの野田奈々と、その初老男性の取材を終えたタニケーは、ひょんなことから佐々田のとんでもなく長い話を聞くことになる。


雑誌のインタビューで、老作家・佐々田が亡き恋人・菜津子との過去のことを語る物語、かと思ったら大違い。過去のことを語ってはいるのだが、それは現在の佐々田が若き日の自分の元に帰り――どうやら若い佐々田には老佐々田の声だけしか聞こえないらしい――、子どものころから自分と出会うまでの菜津子の姿を見守る様子なのだった。老佐々田と若い佐々田、二人の目を通してみた菜津子の成長は、いつしか少しずつ違って映るようになっていったのかもしれない。話を聴く記者の啓太とカメラマンの奈々の興味と読者の興味とがするりと連動し、タイムトリップという不思議なことも自然に受け入れてしまう。老佐々田の死の後明らかになった事実は、その不思議さのさらに上をいくものだったが、啓太と奈々の想像通りだといいなと思わされる。悲しく切ないが胸があたたかくなる一冊である。

まぼろしのパン屋*松宮宏

  • 2016/06/24(金) 18:33:56

まぼろしのパン屋 (徳間文庫)
松宮 宏
徳間書店 (2015-09-04)
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朝から妻に小言を言われ、満員電車の席とり合戦に力を使い果たす高橋は、どこにでもいるサラリーマン。しかし会社の開発事業が頓挫して責任者が左遷され、ところてん式に出世。何が議題かもわからない会議に出席する日々が始まった。そんなある日、見知らぬ老女にパンをもらったことから人生が動き出し……。人生逆転劇がいま、始まる!
他、神戸の焼肉、姫路おでんなど食べ物をめぐる、ちょっと不思議な物語三篇。


パン屋さんの物語とは思えないサラリーマンの悲哀満載の出だしなのだが、次第に「しあわせパン」の紙袋から香る焼き立てパンの香ばしさに魅入られていく。それぞれに日々は苦労の連続で、そんな中で出会うべくして出会った人たちが、人のためにしあわせを作り出してくれるようで、あたたかい心持ちになる。新しい「しあわせパン店」を探しに行きたくなってしまう。ほかの二編も、ラストのほのぼのぶりが胸に沁みる一冊である。

ふたつの名前*松村比呂美

  • 2016/04/03(日) 09:23:15

ふたつの名前
ふたつの名前
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アドレナライズ (2014-11-11)
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高齢者向けの結婚相談所“サードライフ”で働く保奈美。控えめな母、義理の関係だが優しい父との平凡な家庭に育ち、仕事では女性社長からの信頼も厚く、何の問題も見当たらないはずの彼女を、ときおり「不安」としか言いようのない発作が襲う。保奈美がその正体を探りはじめたとき、平穏な家庭がひた隠しにしてきた哀しい事件が蘇る。長篇心理サスペンス。


穏やかな中に不穏な空気が時折混じりこんでくるような印象が初めからある物語である。それは、読者に与える、何事かが起こりそうなそこはかとない不安感であり、また、主人公の保奈美に不意に現れる厭な気持ちの真の原因でもある。なにかとても不安定な地盤に建てられた家のような居心地の悪さが感じられる。そしてそれだからこそ、先を知りたい興味は尽きない。DVの連鎖やそれに伴う殺人という事件の恐ろしさと、現在の人間関係の円満さの対比も、不安定感をより増している。善悪は於くとして、とても面白い一冊だった。

火花*又吉直樹

  • 2015/06/08(月) 07:15:37

火花
火花
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又吉 直樹
文藝春秋
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お笑い芸人二人。奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼を師と慕う後輩徳永。笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は徳永に「俺の伝記を書け」と命令した。彼らの人生はどう変転していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶ!「文學界」を史上初の大増刷に導いた話題作。


期待値が高すぎたのだろう。芸人界の裏側、芸人の葛藤と日常を垣間見られたという意味では、興味深い点もあったし、徳永が心酔し、師匠とあがめる神谷に対する複雑な思いに胸が騒いだりもするが、導入部分のこれから何かが始まろうとするようなわくわく感が、物語が進むにつれて、できごとの羅列に色をつけた印象になっていき、尻すぼみになってしまうのが残念でもある。人を笑わせることの裏側の苦労を思わされて一冊ではある。