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物語のなかとそと*江國香織
- 2021/06/08(火) 16:15:44
読むことと、書くことにあけくれて暮らす著者の日常は、現実を生きている時間より、物語のなかにいつ時間のほうがはるかにながい。散歩も、旅も、お風呂も、その延長のなかにある。
掌編小説と 全身で拾い集めた世界じゅうの瑣末なものものについて書かれた文章たち。著者の創作と生活の「秘密」がひもとかれるスリリングな散文集。
「すばらしい本を一冊読んだときの、いま自分のいる世界まで読む前とは違ってしまう力、架空の世界から現実にはみだしてくる、あの途方もない力。それについて、つまり私はこの散文集のなかで、言いたかったのだと思います」(あとがきより)
短いエッセイや物語が次から次へと表れて、どきどきしてしまう。しかも、もちろんそのどれもに著者がいて、江國香織という人の目を通して世界を見ているような心地にさせられる。子どものころは「世界に直接手を触れていた」なんて、本当にそう思うし、他にも、うなずかされる箇所がいくつもいくつもある。タイトルのつけ方も秀逸で、これ以外ではありえない。素敵な一冊。
去年の雪*江國香織
- 2020/08/27(木) 18:41:12
自由自在に時空をまたいで進む物語は、100人以上の登場人物の日常が織り込まれたタペストリーのよう。覗いているうちに、読者もまた、著者の作り出す世界の住人になってしまう。そして、思いもよらぬ地平へと連れてゆかれる。江國香織小説のエッセンスが最大限に味わえるファン待望の一冊です。
さまざまな時、場所、人びとのほんの小さなエピソードが、降り始めたばかりの雪のように、しんしんとただ積もっていく。いつかどこかで束ねられていくのかと、初めは思いもしたが、読み進めるうちに、これはそういう種類の物語ではないのだろうと、段々とわかってくる。同じ場所にも、時を超えて積もる人びとの営みがあり、場所を変えてもそれはやはりあり、どこを切り取るかによって、見えるものが全く違う。だが、時として、混線するかのように、場所と場所、時と時がつながる瞬間があって、普段暮らしていて、「あら?」と思うようなことが、もしかすると、そんな神様のいたずらのようなことなのかもしれない、などと思ってもみる。ひとりでいても、自分だけではない、というような、あたたかい心もちになれる気もする。多元的で重層的な一冊だった。
彼女たちの場合は*江國香織
- 2019/07/15(月) 07:57:26
「これは家出ではないので心配しないでね」
14歳と17歳。ニューヨークの郊外に住むいとこ同士の礼那と逸佳は、ある秋の日、二人きりで“アメリカを見る”旅に出た。日本の高校を自主退学した逸佳は“ノー(いやだ)”ばかりの人生で、“見る”ことだけが唯一“イエス”だったから。
ボストン、メインビーチズ、マンチェスター、クリーヴランド……長距離バスやアムトラックを乗り継ぎ、二人の旅は続いてゆく――。
美しい風景と愛すべき人々、そして「あの日の自分」に出逢える、江國香織二年ぶりの長編小説。
472ページというボリュームを全く感じさせない物語である。17歳と14歳の日本人の従妹同士が、書置きを残してアメリカを旅しながら見て歩く、という、言ってみればそれだけのストーリーなのだが、二人のつながりや、旅先で出会う人びととの関わり方や価値観の違い、同じものを観たときの二人の受け止め方の違いなど、興味深い事々があふれており、しかも、日常や非日常のほんの些細な引っ掛かりも見逃さずに、極めて自然に描き出しているのは、著者ならではだと思う。折々に挿みこまれる彼女たちそれぞれの留守家庭(特に両親)の受け止め方の変化や家族の在り方の変化も興味深い。さらには、ふとしたところに示唆される彼女たちのこれからのことに、読み終わった後も思いを馳せることができ、ちょっぴりドキドキさせられもする。ひとり旅立ったらおそらく得られなかったたくさんのことを、二人だからこそ手に入れられたのだろう。勇気、不安、心細さ、安心感、などなどさまざまな感情を動かされる一冊だった。
物語のなかとそと 江國香織散文集*江國香織
- 2018/04/22(日) 08:53:39
「本を読むというのはそこにでかけて行くこと」
──小説家は、どのように小説を読んでいるのか、
また、著者にとって「書く」とは、どのような経験なのか?
すべて初収録、過去15年以上にわたって書かれた掌編小説とエッセイから、
江國香織の「秘密」がひもとかれる贅沢な一冊。
小説とエッセイが混じっているのだが、その垣根がとても低く感じられる。なんの引っ掛かりもなく、エッセイからするりと物語の世界に入って行ってしまえるのだ。もう物語が江國香織自身だと言えなくもない気がする。そして、江國さんご自身は、わたしが極個人的に思い描いていたよりも、瑣末なことを気にされる方のようで、一挙に親近感が湧く。失礼な言い方かもしれないが、かわいらしい人、という印象である。ご自身のペースを保ちつつ、その世界を保持しつつ、ひとつひとつ丁寧に暮らしていらっしゃるようにお見受けする。心の凝りをほぐされる心地の一冊である。
ヤモリ、カエル、シジミチョウ*江國香織
- 2015/01/31(土) 10:26:50
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虫と話をする幼稚園児の拓人、そんな弟を懸命に庇護しようとする姉、ためらいなく恋人との時間を優先させる父、その帰りを思い煩いながら待ちつづける母―。危ういバランスにある家族にいて、拓人が両親と姉のほかにちかしさを覚えるのは、ヤモリやカエルといった小さな生き物たち。彼らは言葉を発さなくとも、拓人と意思の疎通ができる世界の住人だ。近隣の自然とふれあいながら、ゆるやかに成長する拓人。一方で、家族をはじめ、近くに住まう大人たちの生活は刻々と変化していく。静かな、しかし決して穏やかではいられない日常を精緻な文章で描きながら、小さな子どもが世界を感受する一瞬を、ふかい企みによって鮮やかに捉えた野心的長篇小説。
大人の世界の中での子どもの存在とその世界が瑞々しく描かれていて胸を突かれる。平然と浮気を続けながら、平然と家にも帰って来る夫と、鬱屈しながらもその状態を崩そうとはしない妻。そんな大人を父と母として、郁美と拓人は日々を過ごしている。幼稚園児の拓人は、心の中で虫と話ができ、それは特殊能力でもあるのだろうが、子どもの本質のようにも思われる。大人から声をかけられた時の反応や、他人の認知の仕方が、おそらくどんな子どももある程度こうなのだろうと、さまざまなことが腑に落ちもするのである。ある意味欲に駆られた大人の事情とは全くかけ離れたところにある子どもの世界のみずみずしさに溺れそうになる一冊である。
ちょうちんそで*江國香織
- 2013/03/04(月) 16:38:54
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取り戻そうと思えば、いつでも取り返せる――闇の扉を開く新しい長編。いい匂い。あの街の夕方の匂い――人生の黄昏時を迎え、一人で暮らす雛子の元を訪れる様々な人々。息子たちと幸福な家族、怪しげな隣室の男と友人たち、そして誰よりも言葉を交わすある大切な人。人々の秘密が解かれる時、雛子の謎も解かれてゆく。人と人との関わりの不思議さ、切なさと歓びを芳しく描き上げる長編。記憶と愛を巡る物語。
高齢者マンションで一人暮らす54歳の雛子が主人公である。自ら周囲の人たちとかかわることをせず、かと言ってまったく人を寄せつけないわけでもなく、周りからは、なんとなくとらえどころのない存在とみなされている。現在(いま)を生きているというより、過去(むかし)を漂っているような印象である。場面を変えて語られる人たちと雛子とのつながりが、章を追うごとに少しずつ明らかになっていき、だからと言って雛子のしあわせな日々が見えてくるわけでもない。物語の本筋には関係のないような細かい描写がとても濃やかで、それこそがいちばん大切なことなのかもしれないと思わされるほどである。殺風景ながらも濃やかな気配に満ちた雛子の部屋が目に浮かぶような一冊である。
犬とハモニカ*江國香織
- 2012/10/23(火) 18:43:36
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絶賛された受賞作に、著者の最新最高の作品を合わせた花束のような短編集! 空港の国際線到着ロビーを舞台に、渦のように生まれるドラマを、軽やかにすくい取り、「人生の意味を感得させる」、「偶然のぬくもりがながく心に残る」などと絶賛された、川端賞受賞作。恋の始まりと終わり、その思いがけなさを鮮やかに描く「寝室」など、美しい文章で、なつかしく色濃い時間を切り取る魅惑の6篇。
表題作のほか、「寝室」 「おそ夏のゆうぐれ」 「ピクニック」 「夕顔」 「アレンテージョ」
登場人物のほとんどは、取り立ててどうということのない普通の人、と括られるような人々である。とはいえ、それぞれにその人なりのこだわりや特別や譲れない事々があり、誰もがそれぞれにとって特別な人生を生きているのである。わかりきったことなのだが、改めてそのことに気づかされるような一冊である。
金米糖の降るところ*江國香織
- 2012/02/25(土) 17:08:23
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ブエノスアイレス近郊の日系人の町で育った佐和子とミカエラの姉妹は、少女の頃からボーイフレンドを“共有すること”をルールにしていた。留学のため来日したふたりだったが、誰からも好かれる笑顔の男・達哉に好意を抱く。しかし達哉は佐和子との交際を望み、彼女は初めて姉妹のルールを破り、日本で達哉と結婚。ミカエラは新しい命を宿してアルゼンチンに帰国する。20年後、佐和子は突然、達哉に離婚届を残して、不倫の恋人とともにブエノスアイレスに戻る。一方、妹のミカエラは多感な娘に成長したアジェレンと暮らしていたが、達哉が佐和子を追いかけ、アルゼンチンにやってくると…。東京とアルゼンチン・ブエノスアイレス、華麗なるスケールで描く恋愛小説。
日本とアルゼンチンの首都ブエノスアイレスを舞台にした恋愛物語である。日本だけでは成り立たなかっただろうし、ブエノスアイレスだけでもまたこの物語にはならなかっただろうと思われる。場の力と、血ではなく育ちの及ぼす影響力のようなものも滲み出てくる。いくつかの恋愛が出てくるが、どれもまっすぐなものであるにもかかわらず、どこか屈折した何かを秘めていて、しかも一対一の関係はひとつも出てこないところが著者らしい。タイトルの金米糖は、佐和子とミカエラ姉妹が子どものころ、土に埋めたら地球の裏側の子どもたちに星が見えるかもしれないと思ってせっせと埋めた、というエピソードからきているのだが、いくつもの三角関係が複雑に重なり合う様をなぞらえているようにも見える。美しい風景とあいまって、なにが真実なのか見失いそうになる一冊である。
やわらかなレタス*江國香織
- 2011/04/26(火) 16:53:37
抱擁、あるいはライスには塩を*江國香織
- 2011/02/15(火) 13:31:15
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三世代、百年にわたる「風変りな家族」の秘密
東京・神谷町にある、大正期に建築された洋館に暮らす柳島家。1981年、次女の陸子は貿易商の祖父、ロシア革命の亡命貴族である祖母、変わり者の両親と叔父叔母、姉兄弟(うち2人は父か母が違う)の10人で、世間ばなれしつつも充実した毎日を過ごしていた。柳島家では「子供は大学入学まで自宅学習」という方針だったが、父の愛人(弟の母親)の提案で、陸子は兄、弟と一緒に小学校に入学。学校に馴染めず、三ヶ月もたたずに退学する。陸子は解放されたことに安堵しつつ、小さな敗北感をおぼえる。そもそも独特の価値観と美意識を持つ柳島家の面々は世間に飛び出しては、気高く敗北する歴史を繰り返してきた。母、菊乃には23歳で家出し8年後に帰ってきた過去が、叔母の百合にも嫁ぎ先から実家に連れ戻された過去がある。時代、場所、語り手をかえて重層的に綴られる、一見、「幸福な家族」の物語。しかし、隠れていた過去が、語り手の視点を通して多様な形で垣間見え――。
とても型破りでありながらとても懐かしく、ものすごく遠い世界のようでいて驚くほど近しくも思われる不思議な物語である。家――というか家系――というもののこと、血というもののこと、そして個人というもののことなどを全身に血がめぐるように考えさせられもする。たいそう窮屈であり、それでいて何ものよりも自由、だがしかしやはり何かに囚われている感じ。それこそが家族と言えるのかもしれないとも思う。柳島家全体にただよう匂いと、この時代にそこに集ったこの家の人々の輪郭がくっきりと浮かび上がって秀逸である。風変わりで懐かしい一冊だった。
がらくた*江國香織
- 2007/09/19(水) 08:53:58
完璧な恋愛小説。がらくた
(2007/05)
江國 香織
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あなたを、あなただけを待っている――
風が樹の葉を揺らしている。金色の粒子になってそこらじゅうに満ちている光。目を閉じて、耳を澄ませ、私は夫を感じようとしてみる。耳のうしろに、首すじに、左の太腿のあたりに。息をすいこみ、その息を吐きだす。
大丈夫。夫の言うのが聞こえる気がした。そばにいるから大丈夫――。
柊子 45歳
今夜キスをしようと決めていた。近づいて、ほんのすこし唇を合わせるだけ。もちろん一瞬で、すぐに離す。ちょっとしたいたずら。えへへ。それから子供ぶってそんな風に笑えばいい。小学生のころ、男の子たちにそんなキスは何度もした。
美海 15歳
二人の女性を主人公に語られる、愛と家族と時間の物語
章ごとに語り手を柊子・美海と換えて語られる。
登場人物の誰もが幸福そうに描かれているのだが、わたしには誰ひとりとして幸福そうに見えない。求める気持ちが強すぎて突き放してしまうような、話したいことがたくさんありすぎて何も言えなくなってしまうような、なにかアンバランスな居心地の悪さがいつもつきまとっているような気がしてしまう。
ただ、物語に終始流れている手触りの冷たさのようなものは嫌いではない。
ぬるい眠り*江國香織
- 2007/05/14(月) 17:42:49
☆☆☆・・ 半年間同棲していた耕介と別れても雛子は冷静でいられるはずだった。だが、高校生のトオルとつきあっていても、耕介への想いはじわじわと膨らんでゆく。雛子は、大学四年の夏、かけがえのない恋を葬った(表題作)。 ぬるい眠り
江國 香織 (2007/02)
新潮社
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新聞の死亡欄を見て、見知らぬ人の葬式に参列する風変わりな夫妻を描く佳編、『きらきらひかる』の十年後をつづる好編など全九編。
著者の魅力を凝縮した贅沢なオリジナル短編集。
表題作のほか、「ラブ・ミー・テンダー」「放物線」「災難の顛末」「とろとろ」「夜と妻と洗剤」「ケイトウの赤、やなぎの緑」「奇妙な場所」
あちこちに書いて散り散りになっていたものを集めた一冊だとあとがきに書かれている。どれもが好きな作品ではないが三編は好きだ、とも。
著者自身どれが好きでどれがそうでないかは想像するほかないが、どれもが(当たり前だが)江國さんである。
どっぷりと溺れながらも妙に醒めたところもある恋する女たちは、人を愛することは自分を好きになることだと教えてくれるような気がする。
どうしようもないことなんかない と言えるうちは、どうしようもない気持ちにまだなったことがないからだということも感じられる。
とろとろとして少しほろ苦い一冊である。
ぼくの小鳥ちゃん*江國香織
- 2006/07/24(月) 12:42:13
☆☆☆☆・ 雪の朝、ぼくの部屋に、小さな小鳥ちゃんが舞いこんだ。 体調10センチ、まっしろで、くちばしときゃしゃな脚が濃いピンク色。「あたしはそのへんのひよわな小鳥とはちがうんだから」ときっぱりいい、一番いいたべものは、ラム酒のかかったアイスクリーム、とゆずらないしっかり者。 でもぼくの彼女をちょっと意識しているみたい。 小鳥ちゃんとぼくと彼女と。 少し切なくて幸福な、冬の日々の物語。 ――文庫裏表紙より ぼくの小鳥ちゃん
江國 香織 (2001/11)
新潮社
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ILLUSTRATIONS BY ARAI RYOJI
解説は 角田光代さん。
ところどころに挟まれた荒井良二さんのイラストがとても好い。 イラストの在処がまさにそこしかない、というところに散りばめられていて ため息が出てしまう。
角田光代さんの解説がまたイジワルっぽくて好い。 反則だと知りながらも先に読んでしまったので、もうそのことばかり考えてしまったのはやっぱりちょっともったいなかったかも。 でも、それでもわたしは 気づくとガールフレンド寄りの立場でページを繰っていた。 小鳥ちゃんがちょっぴり嫌い。 小鳥ちゃんを愛する彼(=ぼく)がちょっぴり(もしかするととっても)憎らしい。 それなのになぜか 小鳥ちゃんにはこのままでいてほしいとどこかで思っている。 ぼくったらまぁ、彼女ったらまぁ、小鳥ちゃんったらまぁ まぁ! という物語。
温かなお皿*江國香織
- 2006/03/28(火) 12:42:02
すきまのおともだちたち*江國香織
- 2005/12/05(月) 13:16:15
☆☆☆☆・
こみねゆら・絵
小説と絵本のまんなかくらいにある作品。
こみねゆらさんの絵が絶妙で、この絵がなければまったく別のものになるだろう と思う。
≪すきま≫の描かれ方がとても好き。淋しくて心細いのに あたたかくてたまらなく居心地がいい。元いた場所に戻りたくてたまらないのに≪すきま≫からも去りがたい。戻ってこられないかもしれないのにまた≪すきま≫に行きたくなってしまう。
すきまのおともだちたちはいついってもそこで同じように暮らしていて、同じようにもてなしてくれる。こちらはどんどん変わってゆくというのに。
ひとつの≪すきま≫にお客さまはひとりずつなのかな。
いまいる場所のおともだちたちと一緒に≪すきま≫に行くことはできないのかな。
嬉しそうにつかまり立ちをしながら不意にすべての動きを止め、一瞬のちに何事もなかったかのように動き出す赤ちゃんは、彼だけの≪すきま≫に行っていたのかな。
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