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にぎやかな落日*朝倉かすみ

  • 2021/08/08(日) 07:15:34


北海道で独り暮らしするおもちさん、83歳。夫は施設に入り、娘は東京から日に二度電話をくれる。実は持病が悪化して、家族がおもちさんの生活のすべてを決めていくことに。不安と寂しさと、ほんのちょっとの幸せと、揺れては消えるひとりの老女の内面に寄り添う、人生最晩年の物語。


身につまされる物語である。日ごとに老いていき、自分で思う自分と現実の差が少しずつ広がっていくもどかしさや不甲斐なさが、手に取るように伝わってくる。加えて、配偶者など身近な人がそばにいなくなったりすると、その喪失感もかなり大きいと思われる。おもちさんは、元来明るく社交的で、友人知人も多いが、普段から人づきあいが少ないと、なおさら孤独感を募らせることになるだろう。おもちさんは、蓄えもあるようだし、家族や周りの人にも恵まれているようで、比較的しあわせである。ただ、日ごろからもう少し自分の身体に向き合っていたほうがよかったかな、とは思う。老いは誰にでも確実にやってくることである。日頃から心構えをしっかりしておかなくては、と改めて思わされる一冊だった。

平場の月*朝倉かすみ

  • 2019/02/27(水) 18:32:25

平場の月
平場の月
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朝倉かすみ
光文社
売り上げランキング: 2,310

朝霞、新座、志木。家庭を持ってもこのへんに住む元女子たち。元男子の青砥も、このへんで育ち、働き、老いぼれていく連中のひとりである。須藤とは、病院の売店で再会した。中学時代にコクって振られた、芯の太い元女子だ。50年生きてきた男と女には、老いた家族や過去もあり、危うくて静かな世界が縷々と流れる―。心のすき間を埋めるような感情のうねりを、求めあう熱情を、生きる哀しみを、圧倒的な筆致で描く、大人の恋愛小説。


何気ない風景や、日常遣いの物の描写がリアルすぎて、立体として見えてしまいそうになるので、物語自体がわが身に迫ってくるような心地である。充分すぎるほど人生経験を積んできた二人だからこその距離感が、互いを思いやる気持ちとともに、胸に迫る。もどかしいようでもあるが、それ以外どうしようもなかったのだろうということもわかる。人生の仕舞い方についても考えさせられる一冊である。

ぼくは朝日*朝倉かすみ

  • 2018/11/29(木) 20:17:51

ぼくは朝日
ぼくは朝日
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朝倉 かすみ
潮出版社 (2018-11-05)
売り上げランキング: 96,560

小学4年生の朝日を中心に、マイペースな父、母代わりのしっかり者の姉、愛猫のくろちゃん、そして家族を取り巻く個性豊かな人々。
ともに笑い、泣き、怒りながら家族の絆は強くなっていく。
アットホームな家族の予想外の結末!あなたの目頭はきっと熱くなる。


昭和の北海道の雰囲気が伝わってきて、なんだか懐かしい心地にさせられる。10歳の朝日は母を知らない。朝日を生んで亡くなったからだ。10歳違いの姉の夕日が母親代わりに家事を担って、一家は暮らしてきた。学校の友だちとの関わり、おばあちゃんの家へ行く愉しみ、「子猫あげます」の貼り紙を見てからの顛末。姉の胸の裡、朝日の心の動き。さまざまな事々が起こりながら、家族の日々は過ぎていく。なんとも言えず、鼻の奥がツンとする一冊である。

満潮*朝倉かすみ

  • 2017/02/14(火) 13:20:29

満潮
満潮
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朝倉 かすみ
光文社
売り上げランキング: 385,060

人に迎合し、喜ばせることが生きがいの眉子。自意識過剰な大学生茶谷は眉子に一目惚れをし、彼女の夫に取り入り、眉子に近付く。眉子。茶谷。眉子の夫。三人の関係は? ロングセラー『田村はまだか』著者の放つ恋愛サスペンス!


少しずつ歪んだ人たち――それはある意味普通の人たちということでもあると思うのだが――が、自分自身の少しずつ歪んだ価値観で抱いた思いが、ぽたりぽたりと底に溜まっていき、ある時はたぷんと外に飛び出したり零れたりしながら、ひたひたと潮位を増し、ついには表面張力をも乗り越えて充ち溢れだしてしまうまでの経緯が描かれている物語という印象である。怖い。満ちている途中はまったく外からは判らないので、その人の内側で何が起こり、なにが進みつつあるのか他人には判断できないところが、ものすごく怖い。だがそれはいたって普通のことで、誰もが経験したことがあることでもあるだろう。だからなおさら怖い。人の見えない内側で一体何が起こっているのか、そしてその過程で、それはどんなふうに外に現れているのか。同じ出来事に対する反応が、それぞれ違うのは当然のことで、読者には時にそれが見えるが、本人たち同士にはそれはまったく見えず、各々が自分の尺度で受け止めているので、決して噛み合うことがないのだ。そして痛ましいラストへと続いていく。怖くて、それでも目が離せない一冊である。

少女奇譚 あたしたちは無敵*朝倉かすみ

  • 2016/06/26(日) 06:52:51

少女奇譚 あたしたちは無敵
朝倉 かすみ
KADOKAWA/角川書店 (2016-06-02)
売り上げランキング: 248,330

このことは、あたしたちだけの秘密よ
朝倉かすみが挑む 少女×ふしぎの物語

小学校の帰り道、きらきら光る乳歯のようなものを拾った東城リリア。同級生の清香と沙羅も、似たような欠片を拾ったという。ふしぎな光を放つこれはきっと、あたしたちに特殊な能力を授けてくれるものなのだ。敵と闘って世界を救うヒロイン。あたしたちは、選ばれた――。でも、魔法少女だって、死ぬのはいやだ。(「あたしたちは無敵」)
少女たちの日常にふと覘く「ふしぎ」な落とし穴。表題作のほか、雑誌『Mei(冥)』、WEBダ・ヴィンチに掲載されたものに書き下ろしを加えた全5編を収録。
◆収録作品「留守番」「カワラケ」「あたしたちは無敵」「おもいで」「へっちゃらイーナちゃん」


どれも朝倉さんらしさが存分に出ている物語である。表題作の女子たちの心の動きは、おそらく女の子だったことのある人ならだれでもわかるのではないだろうか。どこまでが現実で、どこからが妄想なのか、判然としないところが一興なのかもしれない。あの無敵感、結構解る。そしてほかの作品も、思春期の女子の微妙で複雑でアンバランスな心と躰、そして周りの大人――ことに身近な男性である父親――との関わり方の変化の描き方が、極端な部分も多々あるが、絶妙だと思う。父と娘、互いの取り扱いに困って過剰反応を起こす時期がたしかにあるのではないだろうか。最後の物語は、いささか違うかもしれないが……。自己愛にあふれつつ自虐的な朝倉流の少女の物語を堪能できる一冊である。

たそがれどきに見つけたもの*朝倉かすみ

  • 2016/03/15(火) 16:55:25

たそがれどきに見つけたもの
朝倉 かすみ
講談社
売り上げランキング: 136,142

もう若くない、まだ若い、そんな複雑な気持ちを抱えた、人生の折り返し地点にきた女と男が抱える様々な問題――家族、仕事、そして恋愛――を切り取る、短編集

「たそがれどきに見つけたもの」――SNSで高校時代の友だちに久しぶりに再会。彼女はまだ、そのときのことを引きずっているようで。
「その日、その夜」――きむ子は思った。(お尻、出したまま死ぬのはいやだなあ)と。
「末成り」――ちょっと話を盛りすぎちゃったかな……ゼンコ姐さん―内田善子は家に帰って、服を脱ぎ濃いめのメイクを落としながら考える。
「ホール・ニュー・ワールド」――コンビニのパート先でちょっと話すようになった朴くんに、淡い恋心を抱く智子。朴くんも、やぶさかではないんじゃないかと思っている。
「王子と温泉」――結婚して、子どもが生まれてから初めてのひとり旅。夫と娘に送り出されて行った先は、贔屓にしている”王子”との温泉ツアーだった。
「さようなら、妻」――1985年、6月。妻と初めてふたりきりで会った日。彼女はあじさい柄のワンピースを着ていた。


なさそうでいてありそうで、もしかすると身近なところにもあるかもしれないと、ふっと思わせてくれるような物語ばかりである。読む人の心のなかにも、程度の差こそあれ、似たような思いが秘められていそうなところが怖くもあるが、可笑しくもある。気づいていなかったものに気づかされて、笑ってしまいたいような気持になったりもする。誰もが、そこはかとない狂気をはらんでいるようにも見え、案外それが普通なのかもしれないと思い直したりもする。著者らしいテイストの一冊である。

植物たち*朝倉かすみ

  • 2016/01/16(土) 07:25:50

植物たち (文芸書)
植物たち (文芸書)
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朝倉 かすみ
徳間書店
売り上げランキング: 286,325

<この植物、あの子に似てる>
他の木にくっついて生きているコウモリラン、ぽっこりしたお腹の見た目はかわいらしいけれど、大繁殖するホテイアオイ、暗くじめじめしたところにいるほど生き生きするコケ…。
植物のそんな生態は、あの人やこの人の生き方にそっくり。
人間の不可思議な行動を植物の生態に仮託して描く、アサクラ版・植物誌!


とても著者らしい植物図鑑(?)である。まず冒頭に、さまざまな文献などから引用された植物の解説があり、その後一見何の関係もないような物語が始まる。だが、読み進めば、何とはなしに、その植物の生態と似ていると気づくのである。しかもどの物語も一筋縄ではいかない趣である。こんな植物たちが群生している場所があったとしたら、一歩たりとも足を踏み入れたくはないと思わされる。それでもみんな、それなりに一生懸命なのはわかるので、いやな感じではないのも不思議である。装丁とタイトルから、爽やかな物語(朝倉さんでそれはないと思うが)だと思って手に取る人がいたら、手ひどく裏切られる一冊でもある。

わたしたちはその赤ん坊を応援することにした*朝倉かすみ

  • 2015/04/04(土) 18:22:27

わたしたちはその赤ん坊を応援することにしたわたしたちはその赤ん坊を応援することにした
(2015/02/10)
朝倉 かすみ

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どこかで誰かがあなたの味方。
でもストレートには受けとれない、届かない、なぐさめや励まし……
ビターで不思議な7つの世界
◉森のような、大きな生き物――この子の未来を応援しよう、と決めた子がわたしたちにはいた。オリンピック代表の彼女に期待し、夢を託したが……。
◉ニオイスミレ――産む女を国家全体で支援する世界に住むスミレ。〈志願母〉の彼女は今日も国営のサロンへ通う。
◉あなたがいなくなってはいけない――入院が決まった。ステージII。その昔、離婚騒ぎで愚痴を聞いてもらったチョピンを思い出していた。
◉地元裁判――まちの結束を乱す人間は、亜子ちゃんの地域でも地元裁判にかけられる。ある日、卯月くん一家が消えた。
◉相談――波多野が何か相談したそうだったので課長のおれから飲みに誘った。転職か? 諭す準備はできていた。
◉ムス子――加賀谷は太った中年女に会った。元同級生、あだ名はムス子。彼女に起こったことを、この時の彼はまだ知らない。
◉お風呂、晩ごはん、なでしこ――フージコさんはみんなに愚鈍と笑われる。でも気にしない。かけがえのない仲間はあの中にいる。


初めの物語では、日本人ならだれでも知っているような登場人物たちを熱く応援したり、彼らの行動にちょっとがっかりしたりと、応援する側の者たちの心情や身勝手さが浮き彫りにされていて、自分の中のちょっぴり意地悪な視線が白日の下に晒されたような居心地の悪さと、妙な納得感がもたらされる。そのほかの物語のどれもが、事実を少し斜めから冷めた目で見ているような、気が咎めるようなことをするときに、ふと周りの視線を気にしてしまうような居心地の悪さが感じられて、自分の中の影の部分に一瞬光を当てられているような気分にさせられる。淡々とした文章であるにもかかわらず、心の中に深く食い込んでくるような一冊である。

乙女の家*朝倉かすみ

  • 2015/03/20(金) 06:45:44

乙女の家乙女の家
(2015/02/20)
朝倉 かすみ

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内縁関係を貫いた曾祖母(78)、族のヘッドの子どもを高校生で産んだシングルマザーの祖母(58)、普通の家庭を夢見たのに別居中の母(42)、そして自分のキャラを探して迷走中の娘の若菜(17)。強烈な祖母らに煽られつつも、友の恋をアシスト、祖父母の仲も取り持ち大活躍の若菜と、それを見守る家族、それぞれに、幸せはやって来るのか。楽しき家族のてんやわんやの物語。


若菜の頭の中が文字になってすべて漏れだしているので、映像で見たとしたら単にそこにいるだけの状態にもかかわらず、ぐるぐるあれこれと面倒くさいほど思考が行ったり来たり絡まったり解けたりしているのが手に取るようにわかって、ときどき鬱陶しくもなるが、深くうなずけるところもある。こうやって自分というものを作り上げていくのだったなと、17歳の頃が思い出されもする。世代はもちろん、個性のまったく違う三人――若菜を含めれば四人――の女性と、またまた個性的な若菜の友人、それを取り巻く男性たちの関係性が、世間一般的に言えば不安定なのだが、やけに安定しているようなのも不思議である。初めのうちは、なんだかばらばらでとりとめのない寄り集まりのような印象だったのが、読み進めるうちに次第にぎゅっとまとまって感じられるようになるのも不思議な感覚だった。みんなにしあわせになってほしいと思える一冊である。

地図とスイッチ*朝倉かすみ

  • 2014/11/23(日) 18:14:36

地図とスイッチ地図とスイッチ
(2014/11/07)
朝倉 かすみ

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昭和47年9月8日。同じ日、札幌の同じ病院で生まれたふたりの赤ちゃん――
「ぼく」蒲生栄人と「おれ」仁村拓郎。進学、就職、結婚、離婚etc.……
毎日毎日、無数にあるスイッチの中からひとつを選んで押して、
選択を繰り返したふたりの男は、どんな道筋でそれぞれの人生の「地図」を描いてきたのか――。
感動作『田村はまだか』の名手・朝倉かすみが紡ぐ、40歳の「ぼく」と「おれ」の物語。

「スイッチは無数にあるんだよ。問題はどれを押すかってこと、ちがう?」


同じ病院で生まれた二人の男の子、という時点で、赤ちゃん取り違え事件?と思ったが、そんな劇的なこともなく、二人はそれぞれの人生をそれぞれに歩んでいく。ときどきに選んだスイッチが正解だったのか間違いだったのか、別のスイッチを押していたら今より素晴らしい人生があったのか、そんなことを突き詰めるわけでもなく、二人はそれぞれにスイッチを押し続ける。この先の地図がどうなっていくのか、どこへたどり着くのか。誰しも生まれてきたからにはスイッチを押さずにはいられないのだ。そう思うと、いままで以上に真剣に人生の地図のことを考えるようになる。英人と拓郎がこの先どんなスイッチを押していくのか、どんな地図を描いていくのか、興味が湧いてくる一冊である。

遊佐家の四週間*朝倉かすみ

  • 2014/08/10(日) 16:49:33

遊佐家の四週間遊佐家の四週間
(2014/07/24)
朝倉かすみ

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美しく貧しかった羽衣子、不器量で裕福だったみえ子。正反対の二人は、お互いに欠けているものを補い合って生きてきた。だが、羽衣子は平凡だが温かい家庭を手に入れる。穏やかな日々は独身のみえ子が転がりこんできたことから違った面を見せ始める…。家族のあり方を問う、傑作長編小説。


貧しく育ったが美貌を持った羽衣子は、美しくはないが男らしく頼りがいのある賢右と結婚し、穏やかな家庭を手に入れた。夫に似た娘のいずみと自分に似たが暗い息子の正平と何不自由なく暮らしていたのだった。そんなとき、家をリフォームする四週間、羽衣子の幼馴染のえみ子が遊佐家にやってくることになった。お世辞にも美しいとは言えない個性的なえみ子の容貌に、初めはみな驚くが、なぜか次第に受け入れていく。それぞれがそれぞれなりにえみ子と関わっていくのが興味深いが、初めから終わりまでなんとなく腑に落ちない心持ちにさせられるのもまたみえ子なのである。なんといったらいいのか、生きている尺度がほんの少しばかり一般的ではない感じ、という感じだろうか。読んでいる間中、誰に寄り添えばいいのか判らず釈然としないながらも目が離せない一冊だった。

てらさふ*朝倉かすみ

  • 2014/03/16(日) 11:22:38

てらさふてらさふ
(2014/02/13)
朝倉 かすみ

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自分がまがいものであることは承知の上で、スーパースターになって2010年代を疾走することを夢想する堂上弥子(どうのうえやこ)。耳の中で鳴る音に連れられ、どこかに行きたいというきもちがつねにうねっていた鈴木笑顔瑠(すずきにこる=ニコ)
北海道の小さな町で運命的に出会ったふたりの中学生は、それぞれ「ここではないどこか」に行くため、一緒に「仕事」で有名になることを決める。その方法は弥子が背後に回り、ニコが前面に出るというもの。最初の仕事は読書感想文コンクールでの入選。弥子が書いてニコの名前で応募した感想文は見事文部科学大臣奨励賞を受賞、授賞式にはニコが出席した。
ふたつめの仕事は、史上最年少で芥川賞を受賞すること。ニコの曽祖父の遺品の中にあった小説を弥子がアレンジして応募した小説「あかるいよなか」は、芥川賞の登竜門となる文芸誌の新人賞を受賞する。作品はその後順当に芥川賞にノミネート、そしてついに受賞の時を迎えるが……それは「てらさふ」仕事を続けてきた、ふたりの終わりのはじまりだった――。
てらさふ――とは「自慢する」「みせびらかす」こと。「てらさふ」弥子とニコがたどり着いた場所は? 女の子の夢と自意識を描きつくした、朝倉かすみの野心作。


二人の少女が芥川賞を目指してあれこれ作戦を練る物語、と言ってしまうとただの真っ直ぐな青春物語なのだが、そこは著者、ただ健全に真っ直ぐにとはいかないわけである。現実にはその他大勢という立場に甘んじつつも、いつか自分が行くべき場所へ打って出て、ウィキペディアに名を連ねるような活躍をするイメージを常に膨らませる弥子。同級生たちを心のなかでは斜めから見て、自分は彼らと同じではないと密かに嗤っていたりする心の動きは、多かれ少なかれ、誰にでも思い当たる節があるのではないだろうか。そんな弥子と出会ってしまったニコもまた、別の意味でその他大勢に甘んじられる性質ではなかった。胸の中で鳴り響く音楽に急かされるように、自分がいるべきどこかへと走っていきたい衝動を抱え込んでいる反面、そうやっていなくなってしまった祖母や母を哀れんでもいるのである。卵の白身と黄身のようなニコと弥子が企んだのは、芥川賞の最年少受賞者になること。そこに向かい始めた二人は、何を得、何を失くし、どう成長したのかが、見どころである。弥子の懲りなさが恐ろしくもあり、目が離せなくもあり、ぞくぞくする。実際に堂上弥子の名前が芥川賞候補に挙がったらどうしようと思ってしまう一冊である。

少しだけ、おともだち*朝倉かすみ

  • 2012/11/13(火) 20:50:41

少しだけ、おともだち少しだけ、おともだち
(2012/10/25)
朝倉 かすみ

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ほんとうに仲よし?ご近所さん、同級生、同僚―。物心ついたころから、「おともだち」はむずかしい。微妙な距離感を描いた8つの物語。


「たからばこ」 「グリーティングカード」 「生方家の奥さん」 「チェーンウォレット」 「ほうぼう」 「仔猫の目」 「C女魂」 「今度、ゆっくり」

この物語に出てくるのは、大親友とか、心を許し合った友、とかいうわかりやすい「おともだち」ではない。ただのクラスメイトよりも少し一緒にいる時間が長かったり、上辺だけしか知らない同年代だったり、職場のメンバーの中でたまたまほかの人たちと歳の離れた二人だったり、なんとなく「おともだち」っぽい関係の人たちである。そんな微妙なおともだちの、微妙な距離感の、微妙な日常が普通に描かれていて、妙にお尻のすわりが悪いような居心地の悪さと、同時にちょっとした照れ臭さのようなものも感じてしまうのである。秘密をちょっぴり覗き見してしまったうしろめたさと誇らしさのような一冊である。

幸福な日々があります*朝倉かすみ

  • 2012/08/26(日) 16:51:02

幸福な日々があります幸福な日々があります
(2012/08/03)
朝倉 かすみ

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森子46歳。祐一49歳。結婚生活10年を迎える。元日の朝、森子の発言が平穏な結婚生活を一変させた。妻が夫に別れを告げるとき―。移ろい行く夫婦の心情を綴る、長篇小説。


これ以上望めないくらい言うことのない人と結婚し、仲好く愉しく欠けるところのない結婚生活を送っていたはずだった。それなのに十年の間に、何がどう変わったというのだろう。状態は何も変わっていないのに、心の在りようだけが変わってしまったのか。男と女の感じ方の違いとか、しあわせの価値観の違いとか、だろうか。おそらく女性なら誰でも「わかるわかる」とうなずく場面があるのだろうと思う。言葉にするとほんとうのことからどんどん遠ざかるような理由を並べても、虚しいだけである。夫として好きじゃなくなった、それに尽きるのだ。ほかにどうしようもない森子にそっと寄り添いたい一冊である。

とうへんぼくで、ばかったれ*朝倉かすみ

  • 2012/06/19(火) 17:06:15

とうへんぼくで、ばかったれとうへんぼくで、ばかったれ
(2012/05/22)
朝倉 かすみ

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札幌のデパートに勤務する吉田は、中年の男性にひとめぼれしました。あとは、まっしぐらです。張り込み、尾行と地道な活動で情報収集をはかり、やがて男を追いかけ上京、拠点を池袋周辺に移します。ストーカー?いえ、違います。「会いたい」と「知りたい」と「欲しい」で胸がいっぱい、男のことを、ただ「好き」なだけです。問題は、男が吉田の存在すら知らない、ということ―。


ひと目会ったその日から、その人のことが頭から離れなくて――というか、その人に魂がくっついて行ってしまったかのようになって――寝ても覚めてもその人その人、となってしまう吉田であった。その人の名は、エノマタさん。取り立ててどうということのない、職場では影が薄いと言われる独身四十男である。だが、仕方がないのである。恋なのだから。彼のことは何から何まで知りたくて、こっそりあとをつけてみたり、行動を見張ってしまったりするのも、決してストーカーなどではないのである。恋なのだから。彼の転居とともに引っ越してしまうあたりの行動力には少々驚かされるが、そうまでしても知りたいのである。恋なのだから。片思いの切なさとこの上ない幸福感が見事に描かれていて惹きこまれる。この物語の、恋が実るまでの張りつめた幸福感が好きである。実った後の幸福は、もはやつけたしのようなものであると言ってしまいたくなる。吉田を応援したくなる一冊である。