苺をつぶしながら*田辺聖子

  • 2006/01/31(火) 17:29:56

☆☆☆・・



新・私的生活

苺をつぶしながら、私、考えてる。
女の幸福って、何かしら?
結婚? 試してみたけど、違うみたい。
もう、私、焦らない。楽しく生きてみるわ!

離婚した女のささやかで自由な暮らしを描きながら、女と男の理想的距離を考える傑作長編小説。
  ――帯より


前回書いた『私的生活』の続編である。
『私的生活』では結婚している三年間が主に描かれていたが、こちらでは、離婚してからの暮らしぶりや、幸福感の変化などが描かれている。
結婚時代を振り返って「服役中」だったと言い放ち、一人暮らしを謳歌する乃里子なのだった。
乃里子の豊かな幸福感が読む側にもじわりと伝わってくるようで、羨ましくなるほどである。

大阪弁で語られているというのが、とても重要なポイントなのだろうと思われる。もしも標準語で語られていたとしたら、まったく違う物語になっていたかもしれない。
たとえば、江國香織さんの書く恋愛物語と 描かれている内容はそれほど違っているとは思えない。しかし、雰囲気はこれほどガラリと変わるのである。
どちらが良いとか悪いとかではなく、乃里子の物語はやはり大阪弁だからこそ乃里子の物語なのだろう。

また、直接筋には関係ないが、なるほど、と頷かされたのは、

男の社会革命家と女の人生革命家のちがいは、男は赤眼を吊って、しゃかりきになるが、女は、
「ニヤリ」
と笑って革命するのである。


というフレーズである。

私的生活*田辺聖子

  • 2006/01/29(日) 17:29:45

☆☆☆・・
昭和五十一年発行というから、30年も前の作品である。
なのにまったく色褪せていない。何故だろうと考えてみたら、風物がほとんど描かれていないのである。タイトルからも伺えるように、「私的生活」が描かれているからなのだ。家の中で、家庭の中で、家族の中で、夫婦の間のあれやこれやが全てなのだ。外のことが描かれているときでさえ、それは乃里子の気持ちであり、極私的な部分として描かれているのである。
そしてやはりいちばんに言えるのは、男女のありようがいつの時代でも変わらないということなのだろう。

後ろ向きで歩こう*大道珠貴

  • 2006/01/28(土) 13:50:15

☆☆☆・・



表題作の他、旬、多生の縁。

博多弁がいつもほど多く出てこないので、読み初めてすぐはなんとなく勝手が違って訝りながら読み進む感じだった。
だがやはりこの人は主人公とその周りのほんの狭い範囲のことを書いているんだな と思う。何か主張があるのだろうか?とも思うが、声を張り上げて伝えることがなくてもただ描いているのだという気がする。もしかすると著者自身が自分のために書いているのかもしれない と思えるほどに。

みずうみ*よしもとばなな

  • 2006/01/27(金) 17:34:16

☆☆☆・・



母を亡くしたばかりの壁画描きのちひろが語る物語。
その頃住んでいた部屋の道路をはさんだ向かい側の窓辺越しにいつも会っている人と少しずつ近づき、とうとうその人はちひろの部屋に泊まるようになった。それが中島君だった。
彼は窺い知れないほど傷ついていて その傷痕と今でも闘っているような人で、ちひろは何もしてあげられないながらどんどん惹かれていく。

中島君の深い傷が新興宗教もどきの団体絡みだったりするところに多少時代性のようなものを感じなくもないが、著者の立つ場所は初めの頃からずっと変わらない、と思わせられる。良い悪いは別にして。
気持ちが膨らみすぎて器に入りきれずにぱんぱんになって溢れ出しそうなパワーを見せつけられ、それでいて逆に あまりにも静かで漣も立たない湖のように 内側のものを見せずに外側ばかり映してしまうようなそっけなさを感じさせられるのだ。ばななさんのどの作品にもそれは共通して言えるように思う。

風味絶佳*山田詠美

  • 2006/01/26(木) 17:41:25

☆☆☆・・



世に風味豊かなものは数多くあれど、その中でも、とりわけ私が心魅かれるのは、人間のかもし出すそれである。


――とあとがきに書かれているように、人間から滲み出てくる味わい深さがまことに美味しそうに描かれた一冊である。
登場する男たちはともすれば人に嫌がられ、蔑まれかねない仕事を生業とし、目一杯躰を使ってきつい仕事をこなしている。対する女たちはさまざまなやり方――美味しいものを拵えて待つ、ぬくぬくと甘える、足りないものがないくらいに至れり尽せり世話を焼く、など――で男に尽くしているようにも見える。
常識からほんの少し外れた関係の興味深いが危うい成り立ちに、その暮らしに当然のようにある食べものに対する慈しみあふれた描写が豊かさを添えている。そして、食べ物が出てくるたびに、日常が描かれているのだという感じを強く思い出させられるのである。

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異人たちの館*折原一

  • 2006/01/25(水) 17:47:51

☆☆☆・・



失踪した息子の伝記を作り、自費出版したい――ゴーストライター・島崎のもとにその話が舞い込んでから、彼は広大な館で残された資料の山と格闘することになった――。年譜、インタビュー、小説中小説、モノローグを組み合わせながら進行する、これは読者への挑戦状!  ――見返しより


小松原淳は幼い頃から際立った知能の高さを示し、学校時代には勉強しなくても常にトップの成績を取っていた。小学生の頃児童文学の賞を取り、将来は小説家になるという夢を確固としたものにしたのだった。
殻に閉じこもりがちでエキセントリックな性格でもあり、いじめられたりさまざまなトラブルを起こしたりするのだが、母の再婚相手の連れ子であるユキとの関係を母に見つかったことがきっかけとなり富士の樹海に入り行方不明になっていた。
小松原淳の伝記を書いてくれと母の妙子に依頼された島崎潤一は淳の部屋に篭って資料を読み執筆を始めたのだが...。

眩暈がするような物語だった。
錯覚や思い込み、時間の入れ替え、執筆者の交替。いくつものトリックが仕掛けられ、小説中小説もどんどん上書きされていくような 落ち着かない心持ちにさせられる。読み始めたときには思ってもみなかった結末に茫然とする。
二つの母と息子の物語とも言えるかもしれない。

おしゃれな復讐*白石晃三

  • 2006/01/24(火) 13:33:05

☆☆☆・・
図書館から借りていた本を読みきってしまったので以前リサイクル本のコーナーからいただいてあったこの一冊を。

溝口剛造はあくどいやり方で企業を買収し自分の富を増やし、用がなくなれば一顧だにせずに切り捨てることをなんとも思わない男だった。
溝口が買収した「ホテル・アオヤマ」が火災で焼け、防火対策の不備で被害が拡大したいまも、被害者に対する誠意のかけらも見せないのである。
他にもいたるところで恨みを買っているのは明白であった。

そんな折、溝口の隠し子の女子大生が誘拐され、身代金50億が要求された。
担当刑事浜崎の説得により、現金を準備した溝口だったが、その受け渡し方法は、関連会社の男性社員200人に傘下のキャバレーのユニフォームである真っ赤なすけすけのドレスを着せ、指定された馬券を買わせるという前代未聞のものだった。

溝口対被害者という図式と、刑事浜崎と そのの過去の心情を探る女性刑事佐知子との関係という二つの図式が愉しめる。

夢のカルテ*高野和明+坂上仁志

  • 2006/01/22(日) 17:42:32

☆☆☆・・



高野和明さん坂上仁志さんがお二人でストーリーを考え
高野和明さんが執筆された作品。

来生夢衣(きすぎゆい)は人の夢の中に入り込んでその人の夢をみることができるという不思議な力を持ち、それを前向きに活かそうとカウンセラーになった。いまはマンションの一室で、REMカウンセリングルームを開設している。
夢見が悪く不眠で悩んでいた刑事の麻生健介は、電話帳で偶然見つけたREMカウンセリングルームに電話をし、電話に出た女性の応対に信頼できそうなものを感じて通うことになった。

健介の夢に入り、手がかりを見つけることで 彼の不眠は解消されたが、二人は惹かれるものをお互いに感じ、プライベートで付き合うようになる。しかし、夢衣も健介も心の奥底にまだ別に抱えるものがあったのだった。

読み初めて間もなくは、次々と夢衣が誰かの夢に入って事件を解決していく連作短編集なのかと思った。
実際刑事である健介の頼みによって何人かの夢に入り、事件解決の糸口をつかんではいるが、それだけではなく夢衣は夢衣で、また健介は健介で抱えるものと向き合い悩みながら物語りはラストに向かうのである。
夢衣の夢衣としての弱さ・淋しさとカウンセラーとしての誇りと冷静さ、健介の人間として・刑事としての優しさと情けない想い、そして二人がお互いを思いやる気持ちがもどかしくもあり清々しくもあった。

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工学部・水柿助教授の逡巡*森博嗣

  • 2006/01/21(土) 17:24:55

☆☆☆・・



著者によるとどうしても小説らしい。
感想は二つ前の『工学部・水柿助教授の日常』とほぼおなじである。
少し付け加えるなら、森博嗣さん――水柿君と言った方がいいのだろうか――の頭の良さが改めてよくわかったということである。
前作でこの趣向に慣れたからか、より愉しく読めた。

池袋ウエストゲートパーク*石田衣良

  • 2006/01/20(金) 17:41:39

☆☆☆・・



池袋西口公園、この辺りの少年たちは池袋ウエストゲートパークと呼んでいる。舞台はタイトルの通り池袋。そこで暮らし遊ぶ少年たちの闘いの物語、とでもいうのだろうか。主人公・真島誠はある事件がきっかけで自分たちの池袋の平和を守ろうという使命感を抱き、具体的に自分にできることは何かと考えて解決していく。
物語はテンポも良く、誠の熱い想いにも共感できるのだが、わたしは基本的に不良少年――十把一絡げにしてはいけないことは承知の上で――をヒーローのように扱うことに違和感があり好きではないので、のめり込むことはできなかった。IWGPファンの方々からはブーイングの嵐かもしれないが。

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工学部・水柿助教授の日常*森博嗣

  • 2006/01/19(木) 17:09:08

☆☆☆・・



小説だ、小説だと念を押されれば押されるほどエッセイにしか思えない小説。
内容も、日常 というよりもおのろけだったり、言い訳だったりである。もちろんそれだけというわけではないのだが、そこがいちばん印象に残りのである。
また、犀川助教授が著者そのものではないが確実にその一部であることもはっきりとわかるのである。
そしてやはり、わたしは小説家の書くものは、エッセイ――これは小説なのだそうであるが――よりも小説の方が好きだと思う。

魔王城殺人事件*歌野晶午

  • 2006/01/18(水) 17:45:12

☆☆☆・・



児童書、なんだろうか。歌野晶午さんなのに。

舞台は東京の郊外、まだ自然がたくさん残る町・星野台である。
星野台小学校 5年1組一斑の五人は雑木林の奥に建つ怪しげな洋館をゲームに出てくる魔王の城になぞらえ デオドロス城と呼び、偵察に出かける。
探偵ごっこのようなつもりだったのだが裏庭にある小屋で死体を見つけてしまう。しかも、死体はほんの少し目を話した隙に忽然と消え、なんと大阪で発見されたのである。

五年生の男子3人と女子2人の五人組は、互いに意識しあって憎まれ口を利いたりしながらも助け合い思いやり合いながら事件と関わるのである。四年生でも六年生でもないこの年齢の特徴が、いい具合に物語のスパイスになっているように思う。

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残響*柴田よしき

  • 2006/01/17(火) 17:58:31

☆☆☆・・



頭の中に反響する声・・・・・
それは、過去から運ばれてきた聞こえるはずのない「声」。
ドメスティック・バイオレンスから逃れ新しい人生を歩きだした杏子の抱える闇が残留思念と共鳴したとき、時間の底に眠っていた冷たい真実が浮かび上がる!
特殊な能力を持つが故の苦悩を静謐なタッチで描いた連作ミステリー。
  ――見返しより


鳥居杏子は暴力団の組員の夫・石神の暴力によって心身ともに壊れる寸前だったが、組長とのある取引によって正式に離婚し、身の安全を保障された。しかし、暴力による心の傷は消えるわけもなく、恐怖から逃げる無意識が 杏子に過去の声を聞かせることになったのだった。
彼女のその力は、あるきっかけから警察の捜査にも役立つことになるのだが...。

この不思議な力を使うことは、杏子にとって石神に直結するものであり、精神的にとても辛いものだったのだが、それによって立ち直ることにもなるのである。それによって事件を解決したりもするのだが、それ自体がメインではなく 物語の芯はドメスティック・バイオレンスによって壊れかけた杏子の心の再生なのだろう。
真紅の薔薇の花束の贈り主が明かされていなかったような気がするのだが 読み落としたのだろうか。贈り主は石神かもしれないと思う。

白愁のとき*夏樹静子

  • 2006/01/16(月) 17:56:52

☆☆☆・・



わたしが、失われてゆく――
アルツハイマー病。精神余命1年。
働き盛りの造園設計家(ランドスケープ・アーキテクト)・恵門潤一郎を突然襲ったそれ(・・)は、自分が病気であるという意識さえ彼から奪いながら、ゆるやかに、しかし確実に、心と体を冒してゆく。
生への執着と死への誘惑の間で揺れ動く男の絶望と救済を、精妙で叙情あふれる筆致で描いて、新境地を開く長編小説。
  ――帯より


恵門潤一郎は今年五十一歳になる。妻と、息子と娘の四人家族で、十一年前にゼネコンから独立して興した≪恵門ランドスケープ・デザイン事務所≫の所長である。
仕事は軌道に乗り数々の依頼を受けて忙しくしていた。そんな折、物忘れが多くなっていることを自覚し、高校以来の友人・八木がいる病院を受診する。彼には、亡き叔母のアルツハイマー病を診てもらったことがあったのだった。
初回の診察で叔母のことを話題に出され、恵門は自分が若年性アルツハイマーかもしれないと思い至り、事実その疑いがあると八木にも告げられる。
精神活動がほとんど阻害されていない初期の段階で、自分がアルツハイマーという病気であることを認め、それからどう生きていくかを葛藤の中で選び取る物語であり、恵門本人の胸中を思い、最初の衝撃から 当面の仕事の段取りをつけるまでの葛藤を思うと 胸が締めつけられるのだが、それにしてはあまりにも家族の存在が軽く描かれてはいないだろうか。最後に気持ちを救うのがどうして妻や子どもたちではなく 若い女性でなくてはならなかったのか、と その辺りは腑に落ちなくもある。

砂漠*伊坂幸太郎

  • 2006/01/15(日) 17:40:00

☆☆☆☆・



砂漠に雪を降らせてみせよう!
ファン待望、著者1年半ぶりの書下ろし長編!
青春小説の新たな傑作が、いまここに誕生した――

「大学の一年間なんてあっという間だ」
入学、一人暮らし、新しい友人、麻雀、合コン・・・・・。
学生生活を楽しむ五人の大学生が、社会という“砂漠”に囲まれた“オアシス”で超能力に遭遇し、不穏な犯罪者に翻弄され、まばたきする間に過ぎゆく日々を送っていく。
パワーみなぎる、誰も知らない青春小説!
  ――帯より


春・夏・秋・冬、そしてまた春 と章は季節を追っているが、大学生活の一年間を描いているのではなく、最後の春の章では(ひとりを除いて)卒業の年を迎えている。
学生なら誰でもが過ごしたような日々でもあり、彼らにとってだけ特別な日々のようでもある四年間の≪取り立てていうほどのこと≫だけが書かれている。
彼らの四年間には、たとえば 一年の春の花見のことだとか、二年の夏に北村が鳩麦さんと小岩井農場へ行ったことだとか、三年の秋に広瀬川の河川敷で、西嶋と鳩麦さんと一緒に豚汁を作った時に、蛇を見つけて大騒ぎになったことや、西嶋がレンタルビデオ店で借りようとしたアダルトビデオの題名を店員に読み上げられて激怒したことだとか、出来事は書き切れないほどあるのだが、それについてはここでは語られていない。語られないと知りたくもなるのだが、著者の頭の中にはきっとこれらの出来事が語られる物語も別に出来上がっているのだろう。章の最後のこの思わせぶりもなんだかたのしい。
学生時代の守られた≪オアシス≫に対して、社会の厳しさを≪砂漠≫に見立てているのだが、≪砂漠≫はそれだけではなく、その時々に誰かの心の中に現われたりもするのである。オアシスの中の砂漠はオアシスの外をとりまく砂漠に比べればちっぽけにみえるかもしれないが、それぞれにとっては何よりも広大なものであり、その砂漠を潤すのはいつも仲間たちなのだ。
それにしてもオアシスのような学生生活、と思って読み始めたらすぐに鳥井が左腕を失くしたのには驚いた。

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フィンガーボウルの話のつづき*吉田篤弘

  • 2006/01/13(金) 17:37:02

☆☆☆☆・



夕方になり、空気がすっかり青くなると、食堂から主人がぬっとあらわれ出た。
見事な太鼓腹をさすりながら、店の入口にあるガス灯にぽつんと灯をともす。
     ・
     ・
     ・
食堂と花屋が向かい合うその袋小路に他に目立った店はない。誰かがそこを「世界の果て」などと呼んだせいかもしれない。
  ――本文より


主人公の吉田はこんな食堂の物語を想い描くのだが、書こうとするといつもするりと物語りに逃げられ未だに書くことができずにいるのだった。
そんな吉田が出会った物語――というか物語の中に入り込んだ吉田の物語かもしれないが――が何層にも入れ子状に入り組んでいる。遠い時と場所へ飛んだかと思うと 思いのほか近いところに出口が繋がっていて、不意に見知った景色のなかに佇んでいるというような。
ビートルズのホワイトアルバムに振られているシリアルナンバーをキーワードにして物語りはあちらに飛びこちらに迷い込みながら気まぐれのように振り出しに戻ったりするのである。
もうひとつのキーワードは雨かもしれない。霧のような細かい雨がよく似合う物語でもある。

I LOVE YOU

  • 2006/01/13(金) 13:11:39

☆☆☆・・



愛してる、って言葉だけじゃ足りない(オール書下ろし)

恋愛には物語がある。
初めて異性を意識しはじめたとき、
相手とのあいだに微妙な距離感を感じたとき、
初恋の同級生との再会を果たした時、
そして別れを予感したとき・・・。
     *
さまざまな断片から生まれるストーリーを、
現在もっとも注目を集める男性作家たちが紡ぐ、至高のレンジアンソロジー
  ――帯より


伊坂幸太郎・石田衣良・市川拓司・中田永一・中村航・本多孝好の描く6つの恋愛物語。
恋愛小説とは言っても、ベタベタ・ドロドロ感は微塵もなく、さらりと爽やかである。
ときに二股のカモフラージュに利用され、またときにまさに別れの瞬間だとしても。
決して冷めているわけではないのだが、どの物語の主人公たちにも どこかに僅かに冷静な部分が残され、自分たちのありようを高見から観察する目を持たされているような気がする。著者が男性作家だということと何か関係があるのだろうか。

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gift*古川日出男

  • 2006/01/12(木) 17:33:52

☆☆☆・・



19の短編集。
平凡なのに平凡でなく、普通なのに普通でない。
日常からほんの少しズレたひとコマが、一風変わった筆致で描かれている。
胸に染みるとか、あたたかいとか、感動させられるとか、ためになるとか。そんなこととはまったく関わりのない ただそこにある19の一場面。

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有限と微小のパン*森博嗣

  • 2006/01/12(木) 09:40:59

☆☆☆・・



THE PERFECT OUTSIDER
善と悪、正と偽、明と暗。
人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。
自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。
だけど、彼ら天才はそれをしない。
両極に同時に存在することが可能だからです。
 ――表紙より


日本最大のソフトメーカ「ナノクラフト」の経営するテーマパークを訪れたN大生西之園萌絵と友人たち。
そこでは「シードラゴンの事件」と呼ばれる死体消失があったという。
彼女らを待ち構えていたかのように事件は続発。
全てがあの天才の演出によるものなのか!?
全編に漲る緊張感!最高潮森ミステリィ!
 ――裏表紙より


犀川助教授と西之園萌絵のシリーズ十作目。

萌絵が牧野洋子と反町愛と共に、ナノクラフトの経営する長崎のテーマパーク・ユーロパークを訪れた途端、不思議な事件が立て続けに起こる。
『すべてがFになる』で姿を消した天才科学者・真賀田四季博士がユーロパークの地下の研究所の立ち入り禁止区域に潜んでいることを疑わせる出来事も次々に起こり、萌絵は巻き込まれていくうちに自分を失いそうになる。

真賀田四季は実際はどこにいるのだろうか。そもそも現実世界に形を持って存在するのだろうか。ラストに謎解きが明かされてはいるのだが、頭の中で何かが信じるなと警告する。凡人であるわたしには、真賀田四季の意図がまったく判らない。判らないから解らない。
真賀田四季は並外れた天才であり、自分ひとりで充分すぎるほど完結しているので、淋しいとか哀しいとかいう感情とはおそらく無縁なのだろうと思われる。しかし、凡人のわたしには彼女の存在そのものがこの上なく淋しく哀しく映るのである。

蛇足だが、萌絵が体験し、洋子や愛が観たヴァーチャルリアリティ(VR)ルームでの場面を読みながら、自分の読書がまさにこんな感じだと思った。
あるときは登場人物に寄り添い、俯瞰し、ときにはその人物の内側に入り込み、また別のときには洋子や愛が観ていたように、スクリーンに映し出され目が見たままを愉しむのである。いちばんの違いは、自分の行動が物語にほんの僅かも反映されないことだろうか。

金春屋ゴメス*西條奈加

  • 2006/01/08(日) 17:54:37

☆☆☆☆・



よく来たな。(ニヤリ)
竹芝埠頭から舟に揺られて江戸国に!?
第17回日本ファンタジーノベル大賞
大賞受賞作

300倍の難関を潜り抜け、日本から江戸国へ入国を果たした大学生の辰次郎。連れは、元外資系金融勤務の時代劇オタク松吉(NY出身・24歳)&28ヶ国を渡り歩いた海外旅行マニアの奈美(25歳)。身請け先は、容貌魁偉、冷酷無比、極悪非道、厚顔無恥、大盗賊も思わずびびる「金春屋ゴメス」こと長崎奉行馬込播磨守だった!ゴメスは、辰次郎に致死率100%の疫病「鬼赤痢」の謎を追えと命じる――。
 ――帯より


江戸に入る、というからタイムスリップするのかと思いきや、この物語の江戸国はれっきとした現代日本にある場所なのだった。治外法権というのか日本の属領というのか、外国からは国として認められていないが、日本からは外国扱いされているという いたって珍しい立場に置かれた場所なのである。
江戸国に入国するには非常な高倍率を潜り抜け、しかも、文明日本の物を持ち込んではいけないのである。一旦江戸国へ入ると、そこはもうまるで本物の江戸時代なのである。辰次郎が世話になるのは「裏金春」と呼ばれる長崎奉行馬込播磨守、通称金春屋ゴメスである。ゴメスとは見かけどおりな呼び名だと思えば、本名の馬込寿々(マゴメスズ)の真中を抜き出したのだそうな。

辰次郎が難関を一度で突破して江戸国入りができたのは、彼が、15年前に起こり、また最近もチラホラと起きている「鬼赤痢」からの唯一の生還者だったからであった。不可思議な疫痢の謎を解くために 失われていた15年前の記憶を辿る辰次郎だったが__。

こんなに狭い日本の中に 治外法権の別の国があり、しかもそれが江戸時代そのままの江戸国だというところからまず頭の中が「???」でいっぱいになる。
辰次郎等と共に舟に揺られて入国した心地になって読み進むと、確かにあらゆることが現代日本と比べて不便であるのだが、それがなんとも言えず心地好いのである。何をするにも自分から働きかけなければ あちらからやってきてくれることはないという暮らしは休む間もないようにも思えるが、実は精一杯その日その日を生きている実感を伴うのではないかと思われる。辰次郎と共に江戸に渡った現代日本の若者たちが帰りたくなくなる気持ちがわかる気がした。

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数奇にして模型*森博嗣

  • 2006/01/07(土) 13:59:10

☆☆☆・・



NUMERICAL MODELS
自分は、どこまで一つなのか?
生きていれば一つなのか?
生きているうちは、どうにか一つなのか?
 ――表紙より


那古野市内で開催された模型交換会で、モデルの首無し死体が発見された。死体と共に密室の中で昏倒していたのは、大学院生、寺林高司。彼には同じ頃に起きた女子大学院生の絞殺事件の容疑もかけられていた。もう一つの事件も、死体が見つかったのは「密室」の中。
犀川創平、西之園萌絵の師弟が事件の謎に挑む!
 ――裏表紙より


犀川助教授と西之園萌絵のシリーズ九作目。

今回も、萌絵がまずひとりで事件に関わり、後に犀川にアドバイスを求める形になっている。元々のパターンに戻ったわけである。
しかしこの物語には世間一般の常識とか定型とかに当てはまらない人間が多く登場する。犯人もまたそんな種類の人間なのだ。従って萌絵には考えの及ばないことが多々あるのである。犀川にとってもそれは同じことなのだが、彼はそれを踏まえた上で推理を進めることができるのだった。
ホラー仕立てになっているというわけでもないのだが、少なからず異様で後味は決していいとは言えない作品だった。

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今はもうない*森博嗣

  • 2006/01/05(木) 12:47:35

☆☆☆☆・



SWITCH BACK
人間が世界を支配している?
誰がそんなことを言ったのだろう?
もちろん、人間以外に言わない。
            ――表紙より


電話の通じなくなった嵐の別荘地で起きた密室殺人。
二つの隣り合わせの密室で、別々に死んでいた双子のごとき美人姉妹。そこでは死者に捧げるがごとく映画が上映され続けていた。そして、二人の手帳の同じ日付には「PP」という記号が。名画のごとき情景の中で展開される森ミステリィのアクロバット!
           ――裏表紙より


犀川助教授と西之園萌絵シリーズの八作目。

やられた!
これまでの犀川&萌絵シリーズとはまったく構造の違う作品になっている。
プロローグ以後なかなか登場しない犀川先生を訝しみ、ひとりでこれだけ推理できるなんて 萌絵ちゃんもずいぶん成長したものだ、などと思いながら読み進んでいたのに...。
とんでもない思い込みだった。犀川先生を伴って萌絵が西之園家の別荘へ行く途中立ち寄った橋爪家の別荘跡地に暮らす滝本の姿を見た――あくまでも文章からの想像なのだが――ときの驚きといったら、時計の針がぐるぐると逆に回り始めるような めまいがするような心地だった。
事件そのものにも、作品の構造にも唸らされるばかりである。
そして、萌絵ちゃんが たしかに睦子叔母様の血筋であることがここではっきり証明されたのである。睦子叔母様もなかなかである。

此処彼処*川上弘美

  • 2006/01/03(火) 17:34:39

☆☆☆☆・



近所の川べりから
マダガスカルの森まで。
いとおしく、懐かしい場所を、
のびやかな筆致で辿る
待望の連作エッセイ集。
 (帯より)



こんかいはじめて、場所のことを書いてみようと思った。
名前のはっきりとした、場所のことを。
いつその場所へ行ったか、指を折って示せる時のことを。
一年間、さまざまな場所について、書いた。
具体的な場所の名を示す、ということは、つまり、
私個人のことをはっきりと書くことなのだということを、この仕事によって教わった。
 ――あとがきより




月ごとにさまざまな場所のことが書かれているのだが、それは時系列ではなく、あの年のあの場所、この年のこの場所、という風に 季節が同じというだけでほとんどが関連はない。
そして、あとがきに書かれているように、はっきりと指し示すことのできる場所でのことが書かれてはいるのだが、やはりそれはその場所から浮き上がってくるとりとめのないことになっているように思える。それが悪いというわけではなく、かえって味わい深いのだ。
4月のなかに書かれている246号が胸が締めつけられるようでとても好きだった。

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本当はちがうんだ日記*穂村弘

  • 2006/01/02(月) 17:23:03

☆☆☆・・


今はまだ人生のリハーサルだ。
本番じゃない。
そう思うことで、私は「今」のみじめさに耐えていた。
これはほんの下書きなんだ。
いつか本番が始まる。
そうしたらものすごい鮮やかな色を塗ってやる。
塗って塗って塗りまくる。
でも、本番っていつ始まるんだ?
わからないまま、下書き、下書き、リハーサルと思いつづけて数十年が経った。
・・・・・後略               (あとがきより)

                             


人生には多かれ少なかれ「自分はこんなはずじゃない」と思うことがあるのではないだろうか。
「これは本来の自分ではない。自分はもっとやれるはずだ」と思うことで、実際にやれるようになることもあるだろう。しかし、何をどう思おうとやれっこないことだってある。なれっこないものだってある。
そんな格好悪いことばかりを書き連ねた一冊である。
しかしなぜか うしろ向きの負のイメージはないのだ。微笑ましいとさえ思えてしまう。それこそが著者の人柄なのかもしれない。

本当はちがうんだけれど、何がどうちがうんだろう。そしていつちがわなくなるのだろう。
人がみな立ち止まらないところで暫し立ち止まってしまうと、何がなんだかわからなくなる。かも。

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夏のレプリカ*森博嗣

  • 2006/01/01(日) 17:29:05

☆☆☆・・



 REPLACEABLE SUMMER
 たとえば、「子供に夢を与える」といいながら、
 本当に夢見る者を徹底的に排斥しようとする社会。
 集団はいったい何を恐れているのだろう。
       (表紙より)

 那古野市の実家に帰省したT大大学院生の前に現われた仮面の誘拐者。
 そこには血のつながらない詩人の兄が住んでいた。
 誘拐が奇妙な結末を迎えたとき、
 詩人は外から施錠されていたはずの 部屋から消え去っていた。
 朦朧とするような夏の日に起きた事件の裏に隠された過去とは!?
 事件は前作と表裏をなし伸展する!
           (裏表紙より)


犀川助教授と西之園萌絵シリーズの七作目。
奇数章だけで成っていた前作に対して、こちらは偶数章のみから成っている。
同時期に別々に起こった事件の片割れということである。

萌絵の高校時代からの友人・簑沢杜萌が帰省したとき、家族はすでに誘拐されており、杜萌自身も翌朝誘拐される。家族の誘拐先の簑沢家の山荘に杜萌が着いたとき、彼女を誘拐してきた犯人は、仲間がワゴン車の中で殺されているのを発見し、銃を一発発砲してそのまま逃げ去った。
その後、杜萌の義理の兄であり盲目の美形詩人の素生がいなくなっていることがわかり、誘拐事件との関連が取り沙汰される。
萌絵のただひとりの本当の意味でのライバルといえる杜萌とその家族に何が起こったのか。

この事件でも犀川先生と萌絵は別々に推理し、それぞれが真相に到達するのだが、犀川の方が断然早くそこに到達していたことは言うまでもない。
萌絵の叔母である県知事夫人が犀川と事件のことを話した後で、彼女が萌絵に向かっていった言葉は偶然だったのだろうか、それともあの時点で犀川から何らかの暗示があったということなのだろうか。
 「そうやってね、人様のトラブルに首を突っ込むものじゃありません。
 特に、親しい方ならなおさらです。」
 「そんなことをして、どうなると思っているの?
 どちらにしても、後味の良いことにはなりませんよ。
 それに、結局、傷つくのは貴女、貴女自身なんですよ。わかりますか?」

 「・・・・・、そっとしておかなくちゃいけないことって、
 世の中には沢山あるの。それが大切なマナーなんです。
 答えを出してはいけない問題があるの。
 どれも、算数みたいに、きちんと答えが出るわけじゃないのよ。」


この事件は萌絵にとってはとても悲しいものだっただろう。萌絵のなかの何かが少し変わったのか、杜萌のところから帰るときの萌絵はとても大人っぽく見えた。
そしてこのラストである!
表紙の英語のタイトルがまたまたなんと絶妙なことか!