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一番線に謎が到着します*二宮敦人
- 2016/08/30(火) 18:30:11
幻冬舎
売り上げランキング: 30,327
郊外を走る蛍川鉄道の藤乃沢駅。若き鉄道員・夏目壮太の日常は、重大な忘れ物や幽霊の噂などで目まぐるしい。半人前だが冷静沈着な壮太は、個性的な同僚たちと次々にトラブルを解決。そんなある日、大雪で車両が孤立。老人や病人も乗せた車内は冷蔵庫のように冷えていく。駅員たちは、雪の中に飛び出すが――。必ず涙する、感動の鉄道員ミステリ。
蛍川鉄道・藤乃沢駅の駅員、夏目壮太の毎日きちんと電車を走らせお客さまを送り届けるという地味な日々に時々ある事件というかトラブルに、駅員一丸となって向かう物語である。そして合間に、「幕間」として、なぜか、就職活動に悩む俊平という大学生の物語が挟み込まれている。壮太たち駅員は、日常業務の合間に、原稿をなくした編集者からの申し出で、必死になって原稿を探したり、駅に出るという幽霊の謎を解き明かしたり、大雪で立ち往生した列車の乗客を救出したりと大忙しである。何かが起きると、壮太は聞き込みをして情報を集め、それをつなぎ合わせて解決へと導くのだが、淡々としながらも熱い心を持っているのが見て取れて魅力的である。そして最後に、幕間の意味もわかり、さらに胸を熱くさせられる。何事も、こつこつとひとつずつ積み上げていくことが大切だと改めて思わされる一冊である。
スタフ staph*道尾秀介
- 2016/08/30(火) 07:24:53
街をワゴンで駆けながら、料理を売って生計をたてる女性、夏都。彼女はある誘拐事件をきっかけに、中学生アイドルのカグヤに力を貸すことに。カグヤの姉である有名女優のスキャンダルを封じるため、ある女性の携帯電話からメールを消去するという、簡単なミッションのはずだったのだが―。あなたはこの罪を救えますか?想像をはるかに超えたラストで話題騒然となった「週刊文春」連載作。
大部分が、偶然が積み重なってどんどん深みにはまり、二進も三進もいかなくなる物語のように見える。だがほんとうは、そこに偶然はほんのひと欠片しかなかったのである。途中でさまざまな思いはあったにせよ、詰まるところは「寂しさ」なのだ。動機と行動がずいぶんとかけ離れているようで、そこに却って真実味を感じてしまったりもする。あまりにも切なくて可愛くて愛おしくなる一冊である。
ハタラクオトメ*桂望実
- 2016/08/28(日) 16:33:11
北島真也子、OL。157cm、100kgの愛くるしい体形ゆえ、人呼んで「ごっつぁん」―。中堅時計メーカーに就職して5年が過ぎた彼女は、ひょんなことから「女性だけのプロジェクトチーム」のリーダーに。任務は、新製品の開発。部署を超えて集められた5人と必死に企画を立てるも、その良し悪しを判断される前に、よくわからない男社会のルールに邪魔される。見栄、自慢、メンツ、根回し、派閥争い…。働く女性にエールを送る、痛快長編小説。
結局本名を覚えられたのは、竹内係長だけだった気がする。うら若き乙女である主人公さえ、「ごっつぁん」だし、上司や工場の担当者も、その特徴から、「ミミゲ」やら「バンザイ」やら「筋右衛門」と呼ばれているのだから。本人を前にしてもつい愛称で呼んでしまいそうで怖い。それはともかく、バンザイ発案の、部署を飛び越えた女性だけのプロジェクトチームのリーダーに命ぜられたごっつぁんこと、北島真也子が、何をどうしていいのか全くの手探りながら、メンバーたちと会議らしきものを開き、右往左往しながら、次第に仕事に積極的にかかわることの面白さを見つけていく様子が好ましい。現実にはこう上手くはいかないだろうが、気楽に達成感を得られる物語も結構愉しい。つい腕時計の新モデルを考えたくなる一冊である。
小説家の姉と*小路幸也
- 2016/08/26(金) 18:55:10
五歳年上の姉は、学生時代に小説家としてデビューした。それから数年後、一人暮らしをしていた姉から突然、「防犯のために一緒に住んでほしい」と頼まれた大学生の弟・朗人。小説家としての姉を邪魔しないように、注意深く生活する中で、編集者や作家仲間とも交流し、疎遠だった幼なじみとも再び付き合うようになった朗人は、姉との同居の“真意”について考え始める。姉には何か秘密があるのでは―。
いつものことながら、著者の物語には根っからの悪人がひとりも出てこない。それは今作も然りである。そして、主人公の朗人も姉も、沙羅には朗人の彼女の清香も、幼なじみの千葉くんも、それぞれ境遇は違うが、大切に育てられたのだろうと察せられる育ちの良さがにじみ出ている。誰を見ても考え方が健全なので、多少の行き違いがあったとしても、難なく修復できるのである。お互いを自然に思いやれるさまも、見ていて心地好い。お姉さん=美笑さんの書いた小説を読んでみたくなる一冊である。
偶然屋*七尾与史
- 2016/08/24(水) 20:50:18
その「偶然」は仕組まれたものかもしれない
出会いと別れ、栄光と挫折、幸福と不幸、そして生と死・・・・・・。
運命だと思っていたことは、実はすべて仕組まれていたのかもしれない!?
弁護士試験に挫折して就職活動中の水氷里美は、ある日、電信柱に貼られた「オフィス油炭」という錦糸町にある会社の求人広告を見つける。藁にもすがる思いで連絡を入れると、面接場所に指定されたのは、なんとパチンコ屋!?
数々のミッションをなんとかクリアした里美に与えられたのは「アクシデントディレクター」という聞き慣れないお仕事だった――。
確率に異常にこだわる社長の油炭、かわいいけれど戦闘能力の超高い女子中学生・クロエとともに、里美はクライアントからの依頼を遂行していくが、あるとき「偶然屋」たちの前に、悪魔のような男の存在が浮かび上がる・・・・・・。
ブラックユーモアミステリーの名手、本領発揮!
『ドS刑事』シリーズなどで人気の著者の新たなる代表作!!
なかなかうまくいかない就活中、偶然見つけた電柱に貼られたアシスタントディレクターの求人広告に飛びついて、指定された場所に行ってみると、そこはパチンコ屋で……。始まりからしてほんとうに偶然?と思わされる出来事で幕を開ける。アシスタントディレクターというのは、里美の早とちりで、実際はアクシデントディレクター=偶然屋だったのだが、とりあえず見習いとして採用された里美は、なんとか与えられた仕事をクリアしていくのである。そうしているうちに、時間を前後してあちこちで起こっていた、まったく無関係と思われる事件にある共通項を見つけ、恐ろしい企てに巻き込まれていくのである。偶然なんてないのかも。ドミノ倒しのように、最初のピースが倒れたときには、既に決められたシナリオに向かって、ひとつの絵を描くだけなのかもしれないとさえ思ってしまう。コミカルなタッチで軽く読めるのだが、かなり深く怖い物語でもある。里美と油炭のこの先も気になるし、もっと続きを読みたい一冊である。
あまからカルテット*柚木麻子
- 2016/08/23(火) 16:48:02
女子校時代からの仲良し四人組、ピアノ講師の咲子、編集者の薫子、美容部員の満里子、料理上手な由香子も、いよいよ三十歳目前。恋に仕事に押し寄せる悩みを、美味しい料理をヒントに無事解決へ導けるか!?
まったくタイプの違う女子四人組が、時に反発し合い、文句を言いながらも、お互いを無条件に信頼し、その信頼に応えようとする様は、見ていて微笑ましい。それぞれに持ちあがる日常の謎的出来事を、解決に導く道筋も、それぞれらしくて好感が持てる。ラストの場面での「四人で一人だと思っていたけれど、一人でもやれるから四人でもやれるんだ」という咲子のつぶやきが、すべてを物語っているようである。この世人をもっともっと見たいと思わされる一冊である。
スーツアクター探偵の事件簿*大倉崇裕
- 2016/08/22(月) 13:16:03
怪獣に入って演技する「スーツアクター」の凸凹コンビ、椛島と太田。映画撮影所でおこる事件の謎を、このふたりが解決する!
怪獣役のスーツアクターに憧れて、(食べてはいけないものの)何とか細々と仕事をもらえるようになってきた椛島だったが、着ぐるみを着たままプールに落ち、たまたま現場にいた巨漢だがぼんやりしている太田に助けられた。その時の恐怖からそれ以後着ぐるみに入れなくなった椛島の代役として急遽スーツアクターをさせられることになった太田は、自らの意志に反して、なかなか筋がいいようで、現場で重宝されるようになる。だが、元々やる気のなかった太田は、椛島がいないとやっていけず、椛島は自然に太田のマネージャーのようになる。そして、そんな撮影現場に持ちあがる不審な出来事を、豆田監督の指示によって、探偵よろしく調査し、解決する役目まで背負うようになるのである。撮影スタッフ間のいざこざや、過去の撮影時の出来事など、さまざまな要素が絡み合うが、怪獣映画の撮影現場という特殊な場所の舞台裏も垣間見られて興味深い。なんだかんだ言っても、人間っていいなと思わされる一冊でもある。
代体*山田宗樹
- 2016/08/20(土) 18:39:50
KADOKAWA/角川書店 (2016-05-28)
売り上げランキング: 47,985
近未来、日本。そこでは人びとの意識を取り出し、移転させる技術が発達。大病や大けがをした人間の意識を、一時的に「代体」と呼ばれる「器」に移し、日常生活に支障をきたさないようにすることがビジネスとなっていた。
大手代体メーカー、タカサキメディカルに勤める八田は、最新鋭の代体を医療機関に売り込む営業マン。今日も病院を営業のためにまわっていた。そんな中、自身が担当した患者(代体を使用中)が行方不明になり、無残な姿で発見される。残される大きな謎と汚れた「代体」。そこから警察、法務省、内務省、医療メーカー、研究者……そして患者や医師の利権や悪意が絡む、壮大な陰謀が動き出す。意識はどこに宿るのか、肉体は本当に自分のものなのか、そもそも意識とは何なのか……。科学と欲が倫理を凌駕する世界で、葛藤にまみれた男と女の壮大な戦いが始まる!
人間の躰の中から意識だけを取り出して、代体に移転させ、躰を治療している間、意識だけは日常生活を送ることができる。想像するのは難しいが、過酷な治療を受けなければならない人にとっては、福音と言ってもいいのかもしれない。だがそれも、医療の現場で利用される場合に限ってのことである。個人の野望にその技術が使われるとなると、考えるだに恐ろしい。そして、一度開発されてしまった技術が、正当な事由以外のところにまで派生していくのを止めることができないということは、現在の状況に鑑みても間違いないことだろう。実際にありそうで恐ろしい。ただ、人間的な情が、計算し尽くされた策謀の綻びの元になるラストには、ちょっぴりほっとさせられる。計算ずくでは測れないのが人間だと改めて思わされる一冊でもある。
スティグマータ*近藤史恵
- 2016/08/17(水) 18:34:06
ドーピングの発覚で失墜した世界的英雄が、突然ツール・ド・フランスに復帰した。彼の真意が見えないまま、レースは不穏な展開へ。選手をつけ狙う影、強豪同士の密約、そして甦る過去の忌まわしい記憶…。新たな興奮と感動が待ち受ける3000kmの人間ドラマ、開幕!
相変わらず自転車競技のことはまったくわからないのだが、その過酷さや駆け引きの妙は、このシリーズでずいぶん味わってきた。今回は、レース以前の不穏さに取り込まれそうになるチカ(白井誓)や有力選手たちそれぞれの対応も見ものである。ただでさえ相手の真意を量りきれない世界で、レースの駆け引きとは別次元の陰謀のことにまで神経を使わなければならないとは、なんと過酷なことだろう。ただ、そんななかでも、信頼関係は確かにあって、それが報われるのを見るのはやはりいいものである。チカにベストアシスト賞を進呈したくなる一冊である。
ニセモノの妻*三崎亜記
- 2016/08/15(月) 18:23:16
妻――それはいちばん近くて、いちばん不可解なアナザーワールド。「もしかして、私、ニセモノなんじゃない?」。ある日、六年間連れ添った妻はこう告白し、ホンモノ捜しの奇妙な日々が始まる……。真贋に揺れる夫婦の不確かな愛情を描く表題作ほか、無人の巨大マンションで、坂ブームに揺れる町で、非日常に巻き込まれた四組の夫婦物語。奇想の町を描く実力派作家が到達した、愛おしき新境地。
表題作のほか、「終の筈の住処」 「坂」 「断層」
いつものように、現実世界からほんのわずかずれた隙間に呑み込まれたような物語ではあるのだが、味わいがいつもとは微妙に違う。夫婦を描いたからなのか、それとも別の理由なのかはよく判らない。どの物語も理不尽だが、現実世界とは価値観も違っているせいか、不満の持って行きようがないのでなおさらもやもやする。最後の物語「断層」は普通の設定だったら新婚さんがただいちゃついているだけのようなのだが、この設定で読むと、あまりにも切なすぎて許せてしまうから不思議である。それにしてもいつもながらに、自分では入り込みたくない世界だと思わされる一冊である。
ストレンジャー・イン・パラダイス*小路幸也
- 2016/08/14(日) 16:50:20
ここは阿形県賀条郡〈晴太多〉(はれただ)。観光地も名物産業も何もない、ほぼ限界集落。
そんな故郷を再生するため、町役場で働く土方あゆみは、移住希望者を募集する。やってきたのはベンチャー企業の若者、ニートの男、駆け落ちカップルなど、なんだかワケありなはぐれ者(ストレンジャー)たち。
彼らが持つ忘れたい過去も心の傷も、優しい笑顔が包み込む――。〈晴太多〉へどうぞ。みんなが待ってます!
限界集落と呼ばれるような何もない故郷「晴太多(はれただ)」に、婚約を破棄されて帰ってきたあゆみを軸に、離婚して帰ってきた綾那や、町興しの企画に乗って都会から移ってきたIT企業のメンバー、あゆみが営む「晴太多宿の食事の切り盛りをするヒサばあちゃんなど、晴太多を動かそうとする人たちと、あとからやって来た人たちの関わりにあたたかみがあって好ましい。踏み込み過ぎず、突き放しすぎず、むずかしい距離感を守りながら、少しずつ近づいて親しくなっていき、お互いを思いやるまでに関係性を育てる様は、見ていて気持ちが好い。晴太多再生事業は、物語のラストのそのまた先に活性化されるのだろうが、みんなが生き生きと暮らす様子も見てみたいと思わされる一冊である。
許されようとは思いません*芦沢央
- 2016/08/13(土) 09:11:44
あなたは絶対にこの「結末」を予測できない! 新時代到来を告げる、驚愕の暗黒ミステリ。かつて祖母が暮らしていた村を訪ねた「私」。祖母は、同居していた曾祖父を惨殺して村から追放されたのだ。彼女は何故、余命わずかだったはずの曾祖父を、あえて手にかけたのか……日本推理作家協会賞短編部門ノミネートの表題作ほか、悲劇をひき起こさざるを得なかった女たちを端整な筆致と鮮やかなレトリックで描き出す全五篇。
表題作のほか、「目撃者はいなかった」 「ありがとう、ばあば」 「姉のように」 「絵の中の男」
どの物語も昏く凄惨で救いがないように見える。だが、ラストの思ってもみない仕掛けによって、それまで見えていたものとは全く違う世界が立ち現われ、一点の救いの光が差してくるものもある。どれも読後感がいいとは言えないが、すっと納得できる一冊である。
ビューティーキャンプ*林真理子
- 2016/08/12(金) 07:11:54
苛酷で熾烈。嫉妬に悶え、男に騙され、女に裏切られ。ここは、美を磨くだけじゃない、人生を変える場所よ。並河由希の転職先はミス・ユニバース日本事務局。ボスは、NYの本部から送り込まれたエルザ・コーエン。ブロンドに10センチヒール、愛車ジャガーで都内を飛び回り、美の伝道師としてメディアでひっぱりだこの美のカリスマだ。彼女の元に選りすぐりの美女12名が集結し、いよいよキャンプ開始。たった一人が選ばれるまで、運命の2週間。小説ミス・ユニバース。
読む前に抱いていた期待の方向が間違っていたのかもしれないが、肩透かし感があったことは否めない。もっとドロドロした精神的心理的な闘いが描かれているのかと思ったのだが、ファイナリストたちの内面にはさほど踏み込んでいるとは言えず、由希の目を通したさらっとしたレポートといった印象である。もっと個性と個性のぶつかり合いが見たかった気がする一冊である。
どこかでベートーヴェン*中山七里
- 2016/08/11(木) 09:10:40
宝島社
売り上げランキング: 33,213
ニュースでかつての級友・岬洋介の名を聞いた鷹村亮は、高校時代に起きた殺人事件のことを思い出す。岐阜県立加茂北高校音楽科の面々は、九月に行われる発表会に向け、夏休みも校内での練習に励んでいた。しかし、豪雨によって土砂崩れが発生し、一同は校内に閉じ込められてしまう。そんななか、校舎を抜け出したクラスの問題児・岩倉が何者かに殺害された。警察に疑いをかけられた岬は、素人探偵さながら、自らの嫌疑を晴らすため独自に調査を開始する。
岬洋介シリーズ最新刊であるが、岬洋介始まりの物語とも言える、高校時代の物語である。岬の唯一の友人と言ってもいい鷹村亮が、ふと見たニュース映像から高校時代を思い出すという趣向である。ここが始まりではあるが、やはり大人になってからの岬洋介を知っておいた方がより納得しながら愉しめると思う。岬自身のキャラクタは、ほぼ変わっていないのもちょっぴり微笑ましく、そのままでいてほしいと思ってしまう。ピアノに関わっている以外の岬の性格には、説明されても理解しがたい部分も多くあるが、解らないところも含めて彼の魅力になっているのだろう。岬洋介にとって、この時期が人生最大の試練の時だったことがよくわかって痛ましくもあるが、その後につながっていくのだと思えば納得するしかない。ラストのちょっとした種明かしにも思わず頬が緩む。岬洋介のことをもっともっと知りたくなる一冊でもある。
手の中の天秤*桂望実
- 2016/08/09(火) 07:16:06
刑務所に送るか送らないかを決めるのは、遺族。
裁判で執行猶予がついた判決が出たときに、被害者や遺族が望めば、加害者の反省具合をチェックし、刑務所に入れるかどうかを決定できる制度「執行猶予被害者・遺族預かり制度」が始まって38年がたっていた。30年前、その制度の担当係官だった経験があり、今は大学の講師として教壇に立つ井川。彼は、「チャラン」と呼ばれるいい加減な上司とともに、野球部の練習中に息子を亡くし、コーチを訴えた家族、夫の自殺の手助けをした男を憎む妻など、遺族たちと接していた当時のことを思い出していた。
加害者を刑務所に送る権利を手に入れた時、遺族や被害者はある程度救われるのか。逆に加害者は、「本当の反省」をすることができるのか。架空の司法制度という大胆な設定のもとで、人を憎むこと、許すこととは何かを丹念な筆致で描いていく、感動の長編小説。
執行猶予被害者・遺族預かり制度の担当係官としての現実を直接的に物語にしているのではなく、係官をやめた後に就いた大学教授という立場で、井川が学生たちに、自分が携わったさまざまな案件について考えさせる、という描き方をされている。過去のこととしてワンクッション置くことによって、案件そのものの悲嘆は幾分軽減され、学生の反応によってこれまで気づかなかった面に目を向けることにもなるのが興味深い。いい加減さゆえに「チャラン」と呼ばれていた上司に対する、井川の思いの変化や、井川の講義からチャランの魅力を見抜いた学生たちの感性と、それに戸惑いつつもどこかに喜びを感じている井川の胸の裡も味わい深い。案件そのものはもちろん、そこに関わる人間たちの感情の動きや人間性がじんわり胸に沁みる一冊である。
毒殺協奏曲*アミの会(仮)
- 2016/08/07(日) 08:40:15
致死量に詳しすぎる女、正統派の毒殺、ネットで知り合った女、身近すぎる毒、毒より恐ろしい偶然…サスペンスから本格まで、一冊に閉じ込めたバラエティ豊かな毒物語集。
アンソロジーのお題が毒殺とは、まことに物騒である。だが、ひと言で毒殺と言っても、これほどバラエティ豊かな作品群になるものなのだと、改めて思わされる。どれも著者なりの趣向が凝らされていて興味深い。正統派あり、そうくるかという意表を突いたものあり、昔話の裏側を描いたものありと、見せ方もさまざまで愉しめる。毒を使って誰かを亡き者にするには周到な準備が必要とされる。その過程をも含めて、殺人者の心理に背筋が寒くなる心地の一冊である。そう考えると、女性作家の会のお題としてはふさわしいのかもしれない。
鳥肌が*穂村弘
- 2016/08/05(金) 09:40:09
小さな子供と大きな犬が遊んでいるのを見るのがこわい。自分以外の全員は実は……という状況がこわい。「よそんち」の不思議なルールがこわい。赤ちゃんを手渡されると、何をするかわからない自分がこわい……。
日常の中でふと覚える違和感、現実の中に時折そっと顔を覗かせる「ズレ」、隣にいる人のちょっと笑える言動。それをつきつめていくと、思わぬ答えが導き出されていく。こわいから惹かれる、こわいからつい見てしまう。ただ、その裏にあるものを知った時、もう今まで通りではいられない!?
ユーモア満載で可笑しいのに、笑った後でその可笑しさの意味に気がついたとき、ふと背筋が寒くなる。そんな42の瞬間を集めた、笑いと恐怖が紙一重で同居するエッセイ集。
カバーの触感、スピンなど、祖父江慎氏による、さらに「違和感」を増幅させる、一風変わった装丁にも注目!
まず目を引かれる、というかあれっと思わされるのは、装丁の触感である。祖父江慎氏が手掛けたと知って、なるほど、と納得した。タイトルと見事に連動していて、ほかにも仕掛けがないかと思わず探してしまう。中身は、いつもの著者である。肯かされることも多々あり、それはちょっと極端に過ぎないか、と思わされることもあり、いつもながらになかなか興味深い。その人なりの引っ掛かりポイントが、必ずあるはずで、無意識にしていることが、もしかすると非常識なのでは?とぞくっと鳥肌が立ちそうにもなる一冊である。
キミの名前*朱川湊人
- 2016/08/03(水) 18:44:25
「キミが知らないだけで、この世界には、いろいろな秘密があるんだよ」過去でも未来でも、現実の世界でも夢の世界でも、自由自在に出入りができる旅行者(トラベラー)である少年。白馬を道連れに、“傍観者"として覗いた世界をそれぞれ「箱庭」に見立てた、14のショート・ストーリー。
飼い猫の正体は“惑星調査員"(「マミオ、地球を去る」)、無職の兄と遭遇した時間の“ずれ"(「俺と兄貴が火曜日に」)、伯母にしか見えない小さな鬼(「鬼が来る正月」)、カバンの中に住む“なにか"(「シュシュと空きカバンの住人」)、 キリストと同じ誕生日の女(「クリスマスの呪い」)、“あの世"に行く前にかけた魔法(「跨線橋の秋」)、人間だけが知らない世界の原理(「バルル原理」)、ナブラ族の勇士と結婚した孫娘(「サトミを泣かせるな」)、夢の世界を自由に行き来できる男(「夢見王子」)、“天国に繋がった海"で出会った少年(「さよなら、旅行者」)などなど。
物語はいつまでも終わらない――直木賞作家が綴る、切なくて心温まる珠玉の連作短篇集。
トラベラーとして、さまざまな世界を行き来する少年が見たもの、彼の姿を見て言葉を交わした者、現実世界に何食わぬ顔で潜む異世界の者たち。なんと言うことのない暮らしに人知れず紛れ込む不思議の物語の数々である。なるほどそうだったのか、と納得してしまうものあり、ちょっぴり背筋が寒くなるものあり、味わいもさまざまな一冊である。
亀と観覧車*樋口有介
- 2016/08/02(火) 07:30:03
ホテルの清掃員として働きながら夜間高校に通う涼子、16歳。家には、怪我で働けなくなった父、鬱病になった母がいて、生活保護を受けている。
ある日、クラスメイトからセレブばかりが集う「クラブ」に行かないかと誘われる。
守らねばならないものなど何もなく、家にも帰りたくない。
ちょっとだけ人生を変えてみようと足を踏み入れた「クラブ」には、小説家だという初老の男がいた。
生きることを放棄しかけている親を受け入れ、人と関わらず生きる日々を夢見てきた涼子は、自らの人生に希望を見出すことができるのだろうか――。
涼子の境遇には、同情すべき点がありすぎて、その健気さには胸が痛む。もし現実にこんなことがあったとしたら、絶対に平穏ではいられないだろうとは思うし、涼子にとってはさらに苦難が待ち受けることになるだろうとは容易に想像できるが、物語のなかでは、スズコではなくリョウコのままで、心穏やかに暮らしてくれたらいいのに、と願わずにいられない。流れる空気は、薄暗く湿ったものだが、胸のなかにはあたたかな思いが満ちているように思われる。大切にすること、されることの意味を考えさせられる一冊でもある。
大きな鳥にさらわれないよう*川上弘美
- 2016/08/01(月) 18:44:38
遠く遙かな未来、滅亡の危機に瀕した人類は、「母」のもと小さなグループに分かれて暮らしていた。異なるグループの人間が交雑したときに、、新しい遺伝子を持つ人間──いわば進化する可能性のある人間の誕生を願って。彼らは、進化を期待し、それによって種の存続を目指したのだった。
しかし、それは、本当に人類が選びとった世界だったのだろうか?
絶望的ながら、どこかなつかしく牧歌的な未来世界。かすかな光を希求する人間の行く末を暗示した川上弘美の「新しい神話」
遠い未来の物語、ということなのだが、遥か太古から絶えず繰り返してきた生命の営みのようにも思われて、他人事とは思えず、味わい深い。人は、同じようなことを繰り返していると思っているが、実は少しずつ、大きな力に操られるように道を逸れて違う世界に足を踏み入れているのかもしれない。そして、最初の内こそ抱いていた違和感をも呑み込んで、何事もなかったように別の生き方を始めるのである。それさえもいま現在の人間社会を見せられているようで、背筋が寒くなる心地でもある。誰もが諍いなく平和に穏やかに暮らしたいと願っているわけでもなさそうである。含むところが深い一冊である。
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