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上流階級 冨久丸百貨店外商部Ⅱ*高殿円
- 2019/08/30(金) 19:15:55
仕事ができて何が悪い! 人気作家が描く、闘う女の人生エンターテインメント!
ひょんなことから芦屋の高級マンションをシェアして暮らす、富久丸百貨店外商員の鮫島静緒と桝家修平。バツイチ独女で仕事に燃える静緒とゲイでセレブな修平は、月のノルマ2000万円!?に奮闘しながら、今日もお客様に究極のサービスを売る!
今回もまたまた面白かった。百貨店の外商部という普段覗くことのない仕事の裏側を多少なりとも知ることができ、外商部員たちが関わる上流階級の暮らしぶりも、ちょっぴり垣間見られて、興味津々である。ただ、どんな階層、どんな職業にあっても、それなりの苦労はつきものなのだということもよく判る。だれもが、自分の置かれた場所で、精いっぱい頑張っているのだ。ある者は劣等感を、またある者は社会的に弱い立場を、そしてまた別のある者は恩義を、活力の源として。静緒と桝家の同居生活がこの先どうなっていくのか、葉鳥さんの影響力がどこまで及ぶのかも興味深いし、静緒が企画した特別催事の成否と、冨久丸百貨店の変化にも注目したい。次も愉しみにしたいシリーズである。
その日、朱音は空を飛んだ*武田綾乃
- 2019/08/28(水) 10:40:21
幻冬舎 (2018-11-22)
売り上げランキング: 81,129
学校の屋上から飛び降りた川崎朱音。彼女の自殺の原因は―そもそも本当に自殺だったのか。ネットに流れる自殺現場の動画を撮ったのは誰?映っていたのは誰?いじめはあったのか、遺書はあったのか。クラスメイトに配られたアンケートから見え隠れする、高校生たちの静かな怒り妬み欲望…。少女の死が浮き彫りにした、箱庭の中で生きる子供たちの本当の顔。ヒエラルキー、マウンティング、役割分担、キャラ設定…。青春小説界の新鋭が描き切った「わたしたちの」物語。
タイトルの朱音は、プロローグですでに屋上から飛んでしまう。その後は、章ごとに視点を変えて、クラスメイトたちが語り手になる。各章の冒頭には、事件の後に行われたアンケートが配されている。読み進めるごとに、少しずつ謎が解消され、最後に朱音が飛んだ本当の理由が明らかにされる物語だろうと思いながら読んだのだが、それだけではなく、語り手各人の胸の裡に隠し持ったものの手強さを知らされることにもなる。誰が悪いのか、誰が悪くないのかを突き止めることはまったくの無駄で、アンケートなどほぼ何の役にも立たないことがよくわかる。ひとことで総括でき、万人が納得できる理由などどこにもないのだろう。高校という狭い世界のなかだからこそ余計に凝縮された、人間の怖さが沁み出してくるようでもある。ちょっと人間が信じられなくなるような一冊でもある。それでも彼女たちは、ごく普通の大人になるのだろうな、と思うと、なおさら怖い。
道然寺さんの双子探偵 揺れる少年*岡崎琢磨
- 2019/08/27(火) 09:50:47
朝日新聞出版 (2019-05-13)
売り上げランキング: 420,665
福岡の夕筑市にある寺院・道然寺で暮らす中学3年生のランとレン。
人の善意を信じるランと悪意を敏感にかぎ取るレン、正反対の視点を持つ双子が活躍するシリーズ第2弾。
熊本地震から逃れ、転校してきた少年の秘めた思いが引き起こした事件の謎を解き明かす。
複雑な境遇にある双子のレンとランが、身近な問題を解きほぐす物語の二作目である。置き去りにされていた赤ん坊のリンが加わったことで、誰かに守られること、そして誰かを守ることをより意識するようになったように見える。そんな折に、熊本地震で家を失って転校してきた志垣雄哉に関して心配事が出現し、レンがこの頃仲良くしている蓬莱司が深くかかわっていることがわかる。何とかしようともくろむ二人(特にラン)だったが、事態はそれほど単純なものではなかったのである。人の心のなかというのは、表からはうかがい知れないほど複雑で、良かれと思ってしたことが裏目に出ることも少なくない。人と人との関わりの難しさを、中学生のランとレンのみならず、保護者的な立場の僧侶である一海も、改めて認識させられたことだろう。そして、難しくはあるが、誠意をもってあたれば、思いは通じる、というのもまた真理であるような気がする。少しずつ成長していく双子と、一海さんのこれからも、見守り続けたいシリーズである。
夫が邪魔*新津きよみ
- 2019/08/25(日) 19:19:34
仕事がしたい。
なのに、あの男は“私の家"に帰ってきて偉そうに「夕飯」だの「掃除」だの命令する。
苛立ちが募る女性作家のもとに、
家事を手伝いたいと熱望する
奇妙なファンレターが届く(表題作)。
嫌いな女友達より、恋人を奪った女より、
誰よりも憎いのは……夫かも。
あなたが許せないのは誰ですか。
第五十一回日本推理作家協会賞
短編部門候補作を含む極上ミステリー七篇。
(解説:杉江松恋)
目を惹くタイトルであり、多くの妻たちの共感を得られそうな印象だったのだが、実際は、設定が一般的とは言えないこともあり、いささか期待外れではあった。それでも、それぞれの物語の女性の気持ちが、実際の行動にどう結びついていくのかを想像しながら読むのは興味深くもあった。視点の移動による小さなどんでん返しもあり、著者らしい一冊と言えると思う。
アンド・アイ・ラブ・ハー*小路幸也
- 2019/08/23(金) 18:38:21
一進一退を続けるボンの容態に、落ち着かない日々を過ごす堀田家。しかしトラブルが起これば、すかさず助太刀参上!進路に悩む研人に、「老人ホーム入居を決めてきた」と宣言するかずみ。そして長年独身を貫いてきた藤島がついに―。それぞれが人生の分かれ道に立った家族、でもつながっているのはやっぱり「LOVE」があるから!人気シリーズ待望の第14弾!
もう14作目か、という感慨ひとしおである。小さかった人たちは大人になり、もっと小さかった人たちも小学生になり、大人たちはさらに歳を重ね、充分に歳を重ねていた人たちは、さらに老いていく(サチさんを除いて)。おめでたく明るい反面、どうしても一抹の寂しさも感じるのは、致し方のないことなのだろう。そんなすべてを受け止め見守る覚悟が、人生には必要なのだということを、本作が教えてくれる気がする。シリーズが続くほどに人間関係が広がっていくのは当然のことで、堀田家にもずいぶん新しい関係が築かれている。若い人たちが増えて、これからさらに広がっていくだろうと予想もされ、頼もしくも思われるが、読者としては、どこまで着いていけるかという不安も多少あるのが本音である。今回も厄介事が持ち込まれはしたが、それよりなにより、「ゆく人くる人」感の強い一冊だった。
チョコレート・ガール探偵譚*吉田篤弘
- 2019/08/21(水) 10:50:24
フィルムは消失、主演女優は失踪、そして原作の行方は……。
巨匠・成瀬巳喜男監督の幻の映画「チョコレート・ガール」を追う作り話のような本当の話。連続ノンフィクション活劇、今宵開幕!
「作り話のような本当の話」と書かれていて、たぶん本当のことなのだろうとは思うのだが、そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、架空の物語めいて見えてくるのが不思議である。それが、普段の著者の作品によるものなのか、著者ご本人の気質によるものなのかはよく判らないが。ともかく、現実にしても想像の産物にしても、「チョコレート・ガール」を追いかける旅にはこの上なくわくわくさせられ、あちこちにさりげなく配されたヒントをたどり、(この現代にあって、出来得る限り電網の世界の助けを得ずに)足で探したチョコレート・ガールの実態が、それはまた魅力的なのである。知らない顔で探すということの難しいけれど幸せ至極な充足感が伝わってきて、こちらも満ち足りた心地になる。愉しい探偵の時間をくれる一冊である。
検事の信義*柚木裕子
- 2019/08/18(日) 16:50:39
任官5年目の検事・佐方貞人は、認知症だった母親を殺害して逮捕された息子・昌平の裁判を担当することになった。昌平は介護疲れから犯行に及んだと自供、事件は解決するかに見えた。しかし佐方は、遺体発見から逮捕まで「空白の2時間」があることに疑問を抱く。独自に聞き取りを進めると、やがて見えてきたのは昌平の意外な素顔だった…。(「信義を守る」)
「裁きを望む」 「恨みを刻む」 「正義を質す」 「信義を守る」
検事・佐方貞人の物語である。調書を読みながら、些細な違和感にこだわり、事実の向こう側にある真実をとことん調べ尽くして、正しい裁きが下されるように力を注ぐ。その姿勢が好ましい。時に周りから疎まれ、諭されても、自らの信義を貫く佐方を尊敬する。ただ、もう少し、プライベートで気が抜けることがあるといいのに、と他人事ながら心配になりもする。事務官・増田ともいいコンビで、ますます愉しみなシリーズである。
作家の人たち*倉知淳
- 2019/08/16(金) 18:19:42
押し売り作家、夢の印税生活、書評の世界、ラノベ編集者、文学賞選考会、生涯初版作家の最期…。可笑しくて、やがて切ない出版稼業―!?
出版業界の内幕暴露本である。とは言っても、多分に自虐的な要素を含むコメディ仕上げなので、遠慮なく笑えてしまうところもある。昨今の出版業界を思えば、さもありなんということも多く、このまま手を拱いていれば、いずれこうなるかもしれない、と思わせることもあって、出版業界に身を置く人たちの苦悩をも想わされる。最終章で作家の倉ナントカさんが、この世の最期に書きたくて仕方がないと切望した小説を、ぜひ読んでみたいものである。ブラックながら愉しめる一冊である。
黄色い実 紅雲町珈琲屋このみ*吉永南央
- 2019/08/15(木) 18:46:33
草が営むコーヒー豆と和食器の店「小蔵屋」の頼れる店員・久実。ついに久実に訪れた春の予感に浮き立つ店に、衝撃のニュースが。元アイドルの女性が店の敷地内で暴行を受けたと訴え出たのだ。犯人は地元名士の息子。大騒動の町で気付けば久実は浮かぬ顔で…。暴行を受けたと訴え出た元アイドル。他にも被害者が?小さな町の大事件が小蔵屋の日常を揺るがせる。
とうとう久美にも春が、とわくわくしながら進展を見守っていたのだが、降ってわいたように厭な事件が起こり、どことなく久美の様子にもわだかまりがあるような……。地元名士である大学教授の息子が、恋愛問題のもつれから、傷心で帰ってくるということで、彼の就職に際して、お草さんもひと口絡んだ経緯もあり、教授一家のあれこれも気になる。そして、段々と事の真相が、お草さんの嫌な予感の通りに明らかになっていくのだった。ものすごく後味の悪い事件ではあるが、それはそれとして、小蔵屋の商いに関するいろいろは、想像するだけで愉しく明るい心持にさせられる。お草さんのアイディアが形になったちいさなものたちが、まるで希望の光のように小蔵屋で、来る人を待っていてくれるようである。久美と一ノ瀬のこれからがどうなるのかは、まだ定かではないが、あちこちに希望が見えるようなラストで救われた一冊だった。
あとは 切手を、一枚貼るだけ*小川洋子 堀江敏幸
- 2019/08/14(水) 07:58:46
中央公論新社
売り上げランキング: 7,511
かつて愛し合い、今は離ればなれに生きる「私」と「ぼく」。失われた日記、優しいじゃんけん、湖上の会話…そして二人を隔てた、取りかえしのつかない出来事。14通の手紙に編み込まれた哀しい秘密にどこであなたは気づくでしょうか。届くはずのない光を綴る、奇跡のような物語。
かつては誰よりも近しく過ごしたにもかかわらず、いまは触れることもできず、見ることもできない「私」と「ぼく」の、長い隔たりの後にやっと可能になった手紙のやり取りが、そのまま物語になっている。なぜ、どうして、と、謎や疑問が頭のなかを渦巻くが、反して二人のやり取りは研ぎ澄まされ、無駄なことなど何ひとつないようでいて、二人以外の人にとってはなくて何ら構わない事々で成り立っている。私とぼくの親密さがそこからも察せられ、いまの状況を思うとき、切なさに押しつぶされそうにもなるのである。だがそれに反して、二人のやり取りのなんと静謐でありしかも情熱的なこと。視えるということは、もしかするとさほど大切なことではないのではないかとすら思わされる、胸打たれる一冊である。
初恋さがし*真梨幸子
- 2019/08/11(日) 18:32:25
成功も失敗も、かけがえのない記憶。だから会いたい、あの人に――。所長も調査員も全員が女性、その探偵事務所の目玉企画は「初恋の人、探します」。青春の甘酸っぱい記憶がつまった初めての恋のこと、調べてみたいとは思いませんか? ただし、ひとつご忠告を。思い出の向こう側にあるのは、地獄です――。他人の不幸は甘い蜜、という思いを、心のどこかに隠しているあなたに贈る、イヤミス極地点!
何となくほのぼのささえ感じさせるタイトルとは裏腹な表紙のイラストである。そして実際に、ほのぼのとは程遠い物語である。そこは著者、さもありなんである。ひとつの依頼ごとに章を成しているので、一話完結の物語集といった趣なのだが、次第にそれだけではないことが明らかになってきて、最終章ですべての点がつながるのである。そうまとめたか、という感じである。一話一話が充分厭な感じなのに、こう繋がることで厭度がさらに増し、背筋が寒くなる。他人事として読むには興味をそそられる一冊である。
マタタビ町は猫びより*田丸雅智
- 2019/08/10(土) 18:31:51
1話5分で楽しく読める! ショートショート"猫"の不思議な世界15編。
謎の猫の案内に導かれて、「短い短い物語」の魅力がいっぱいにつまった夢の世界で遊んで楽しめる一冊です。
ネコ・猫・ねこのショートショートである。ちょっぴり近未来っぽくもあり、猫もさまざまであるが、人のそばにいるのは、いつでもどこでも変わらないようである。次はどんな猫が出てくるか、愉しみに読める一冊である。
うちの子が結婚しないので*垣谷美雨
- 2019/08/09(金) 18:22:02
新潮社 (2019-03-28)
売り上げランキング: 7,055
老後の準備を考え始めた千賀子は、ふと一人娘の将来が心配になる。 28歳独身、彼氏の気配なし。自分たち親の死後、娘こそ孤独な老後を送るんじゃ……? 不安を抱えた千賀子は、親同士が子供の代わりに見合いをする「親婚活」を知り参加することに。しかし嫁を家政婦扱いする年配の親、家の格の差で見下すセレブ親など、現実は厳しい。果たして娘の良縁は見つかるか。親婚活サバイバル小説!
婚活を通り越して、親婚活の物語である。結婚相手探しは、もはや本人だけには任せておけないという親の切実な思いはどこから来るのか。年金制度の頼りなさや、給与の低さ、待遇の不安定さなどもろもろの理由で、子世代の(娘だとなおさらである)将来設計が成り立たないことを憂うとともに、自分たち亡き後の我が子の人生まで考えた末の親婚活なのである。自分たち世代の結婚観や、取り巻く社会状況と、子世代のそれとの違いも、考えるほどに顕著に思われ、結婚という制度そのもののことから考え直すきっかけにもなる。いざ親婚活に参加してみれば、古い世代の親たちの結婚観と嫁の立場に打ちのめされることもあり、社会的立場の差による無言の圧力も感じたりして、問題点はさらに増えていくのである。コミカルでありながら、これ以上ないほどシリアスで、愉しんで読みながらも、やり切れなくなってくる。ラストは、いささかうまくまとめ過ぎな感もあるが、このくらいの希望はあってほしいものである。これからの結婚がどうなっていくのか、気になって仕方なくなる一冊でもある。
ゆりかごに聞く*まさきとしか
- 2019/08/08(木) 16:48:05
新聞社で働く柳宝子は、虐待を理由に、娘を元夫に奪われていた。ある日、21年前に死んだはずの父親が変死体で発見され…。遺留品には猟奇的殺人事件の大量の記事の切り抜きと娘に宛てた一通の手紙。「これからも見守っている」。宝子は父の秘密を追うことになるが、やがてそれは家族の知られざる過去につながる。一方、事件を追う刑事の黄川田は、自分の娘が妻の不貞の子ではないかと疑っていた。
親になるとはどういうことだろう。母性は人のなかにいつ芽生えるものなのだろう。父性はどんな条件でどの段階で芽生えるのだろう。そんな、人の生にまつわるあれこれを考えさせられる物語である。親に愛されること、子を愛すること。それは誰にでも無条件に与えられるものではないのだということが、本作を読むと痛いほど伝わってきて、胸が締めつけられる。さまざまな命の扱われ方を考えさせられる一冊でもある。
上流階級 冨久丸百貨店外商部*高殿円
- 2019/08/06(火) 18:50:55
売り上げランキング: 7,286
芦屋にある老舗百貨店で働くアラフォーの鮫島静緒は高校卒のたたき上げ契約社員。仕事が認められ、晴れて正社員になったとたん、男性しかいない外商部に配属される。実はカリスマ外商員・葉鳥の退職を控え、後任者を探すべく、全店舗から選りすぐりのメンバーが集められたのだ。一筋縄ではいかない同僚たちとともに、数十万、数百万、数千万円の商品を売る外商の世界に戸惑いつつも、静緒はお客様のところに今日も足を運ぶ――。
静緒は脳内ではすっかり竹内結子である。なので、本作の描写とはいささか違うのだが、すでにそこに違和感はない。異色の経歴を持つたたき上げ外商部員である静緒が、外商のプロになれるのか、というお仕事ものがたりであり、成長物語でもあるのだが、生い立ちや経歴、そして性癖など、それぞれに並々ならぬものを抱える人たちとのつきあい方指南としてもおもしろい。上流階級の暮らしや、だからこその大変さもほんの少し垣間見られる気がするのも、興味を掻き立ててくれる。続編も愉しみなシリーズである。
カゲロボ*木皿泉
- 2019/08/04(日) 16:19:11
今日も、誰かがささやく。「あいつがカゲロボらしいよ――」。いつも、誰かに見られている……。最初は他愛のない都市伝説の筈だった。しかし、イジメに遭う中学生、周囲から認知症を疑われる老人、ホスピスに入った患者、殺人を犯そうとする中年女性など、人生の危機に面した彼らの前に、突然現れた「それ」が語ったことは。いま最注目の作家が描いた、救いをめぐる傑作。
荒唐無稽とはいいがたく、じわりじわりと身の回りに迫りつつある現実物語のような気がする。ものガタリの前半では、カゲロボの存在は、都市伝説のようであり、なんというか、いわゆる良心のようなものでもあるように思われるのだが、物語が進むにつれて、少しずつ現実味を帯び始め、とうとう最後には、確固とした現実になっていて、それこそが恐ろしくもある。それは、こんな風にして、現実の世の中も、少しずつ自分の力の及ばない何者かに侵食されていくのかもしれないという恐怖なのかもしれない。カゲロボの存在が人間の敵なのか味方なのか、それはもしかすると人間次第なのかもしれないとも思わされる一冊だった。
月とコーヒー*吉田篤弘
- 2019/08/01(木) 18:41:22
喫茶店“ゴーゴリ”の甘くないケーキ。世界の果てのコインランドリーに通うトカゲ男。映写技師にサンドイッチを届ける夜の配達人。トランプから抜け出してきたジョーカー。赤い林檎に囲まれて青いインクをつくる青年。三人の年老いた泥棒、空から落ちてきた天使、終わりの風景が見える眼鏡―。忘れられたものと、世の中の隅の方にいる人たちのお話です。小箱の中にしまってあったとっておきのお話、24ピース。
ほんとうに、ちょっとしたお話がたくさんたくさん詰まっている。どの物語をとっても、めくるめく出来事や波乱万丈のドラマがあるわけではないが、ひとつひとつが、その物語の主人公にとっては大切な事々なのだということが、しっかりと伝わってくる。きれいな月が出ていて、おいしいコーヒーがあれば、人生捨てたものじゃない。この世界のどこかに、今日も彼らがいるのではないかと思うと、ちょっぴりうれしい気持ちにもなれる。静かでやさしくて、実り多い一冊である。
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