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カエルの小指*道尾秀介

  • 2019/12/31(火) 20:09:38


詐欺師から足を洗い、口の上手さを武器に実演販売士として真っ当に生きる道を選んだ武沢竹夫。しかし謎めいた中学生・キョウが「とんでもない依頼」とともに現れたことで彼の生活は一変する。シビアな現実に生きるキョウを目の当たりにした武沢は、ふたたびペテンの世界に戻ることを決意。そしてかつての仲間―まひろ、やひろ、貫太郎らと再集結し、キョウを救うために「超人気テレビ番組」を巻き込んだド派手な大仕掛けを計画するが…。


『カラスの親指』のタケと仲間たちが再集結して、またひと仕事やらかしてくれる。今回も、タケ(武沢竹夫)が助けた人物が物語が始まるきっかけになる。ある日、助けた女性の娘だという少女・キョウが武沢のもとに現れ、責任を取ってくれと迫る。事情を聴いた武沢は、昔の仲間を集めて仕掛けることにするのである。途中、何度も騙されてはまたひっくり返され、誰が誰をだましているのか、誰が味方でだれが敵なのか、どこまでが本当でどこからが嘘なのか、わけが分からなくなってくるが、騙されるたびに喜んでしまうのはなぜだろう。だが、騙しだまされているときにも、隙間に覗く本心に熱いものが感じられるので、ついつい応援したくなってしまうのである。騙されても騙されてもまだその先があるのが、喜びが尽きないようで期待してしまう。物語としては、いちばん納得できるところに落ち着いたのではないだろうか。嘘をつかずに生きていけるのが、誰にとってもいちばんだろう。文句なく愉しめる一冊だった。

殺し屋、続けてます。*石持浅海

  • 2019/12/29(日) 16:37:45


ビジネスに徹する殺し屋、富澤に商売敵現る? 発売即重版となった『殺し屋、やってます。』に続く、日常(?)の謎シリーズ第二弾。


主人公はプロの殺し屋なので、本来憎むべきなのではあるが、下調べは完ぺきで、仕事は必ず成功させるという優秀さ。加えて、普段は人畜無害の極みのような趣で、経営コンサルタントなどという仕事をしているのである。憎めないではないか。この世界に殺し屋あり、と潔く認めてしまった方が、心行くまで愉しめる、というものである。今回は、そんな殺し屋富澤とは別に、中年女性の殺し屋まで現れ、その私生活も、思わず応援したくなってしまうようなものなので、これはもう応援するしかないではないか。そして、こうなったからには、彼女が富澤の敵になるのか味方になるのか、次作で追ってほしいものである。長く続いてほしい魅力満載のシリーズである。

罪と祈り*貫井徳郎

  • 2019/12/27(金) 16:53:54


元警察官の辰司が、隅田川で死んだ。
当初は事故と思われたが、側頭部に殴られた痕がみつかった。
真面目で正義感溢れる辰司が、なぜ殺されたのか?
息子の亮輔と幼馴染みで刑事の賢剛は、死の謎を追い、
賢剛の父・智士の自殺とのつながりを疑うが……。
隅田川で死んだふたり。
そして、時代を揺るがした未解決誘拐事件の真相とは 辰司と智士、亮輔と賢剛、ふたりの男たちの「絆」と「葛藤」を描く、儚くも哀しい、
衝撃の長編ミステリー。
貫井徳郎、新境地!


辰司と智士の親世代と、亮輔と賢剛の子世代が交互に語られ、やがて一本の流れになって、すべての謎をつまびらかにするという物語である。親世代の背負った重荷があまりにも重すぎ、それを知った子世代が受けとめ切れないほどなのだが、親たちが起こした事件の重大さに対して、その動機がどうにも軽く感じられてならない。時代の空気とか、憤りの強さとか、さまざま理由は考えられるが、それにしても、誰かひとりでも冷静な判断力を持った人がいなかったのかと悔やまれてならない。だが起こってしまったことは変えようがない。成長した子どもたちが、やがてその手で明るみに出すまで、口は堅く閉じられたままだったのである。残された家族にまでこれほどの苦悩を味わわせることになることを、予測できなかったはずはないのに、と歯噛みしたくなる思いである。謎がすべて解き明かされても、まったく救いがない物語で、やりきれなさすぎる。ただ、充実した読書時間を過ごさせてもらえた一冊ではある。

罪の轍*奥田英朗

  • 2019/12/24(火) 20:48:37


刑事たちの執念の捜査×容疑者の壮絶な孤独――。犯罪小説の最高峰、ここに誕生! 東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年。浅草で男児誘拐事件が発生し、日本中を恐怖と怒りの渦に叩き込んだ。事件を担当する捜査一課の落合昌夫は、子供達から「莫迦」と呼ばれる北国訛りの男の噂を聞く――。世間から置き去りにされた人間の孤独を、緊迫感あふれる描写と圧倒的リアリティで描く社会派ミステリの真髄。


587ページという大作である。だが、終始飽きさせず、次の展開を知りたくてページを繰る手が止まらなくなる。帯の惹句を見ただけで、あの事件がモチーフなのだろうということは判るが、大枠は別として、細部はまったく別の物語である。そして、何より興味深いのは、早い段階から真犯人と目されながら、さっぱり捉えどころのない宇野寛治のことである。罪の意識があるのかないのか、嘘をつくつもりがあるのかないのか、善悪の判断がつくのか憑かないのか、知能犯なのか莫迦なのか。寛治の行動のひとつひとつが、どれをとってもちぐはぐで、ひとつの人格に収まり切らない印象なのである。それゆえになおさら、寛治のことを知りたくて、先を急ぎたくなるのである。舞台となった時代背景も現在とはかなり違うので、今なら到底許されないだろう差別的な言葉も多用されるが、その時代の混沌をよく表しているとも思える。やりきれないことだらけの事件だが、通い合った情も確かにあったのだと、ほんの少し救われた気もする。とても重いが興味深い一冊だった。

きみの正義は 社労士のヒナコ*水生大海

  • 2019/12/19(木) 11:51:20


私はいったい、誰の味方なの?
社労士を主人公にした、究極のお仕事小説!

派遣社員から一念発起し、社労士の資格をとった朝倉雛子(まもなく28歳)。
小さな社労士事務所の一員となるが、舞い込んでくる案件は難しいものばかり。

・雇用の新ルールで有期雇用から無期雇用へ! それでも辞めさせたい経営者。
・年齢を偽って働いていた未成年の従業員が、就業中に怪我をしてしまった!
・人件費を減らすため、残業代を申請しないチェーン書店の店長。そんなのアリ?
・出張中に上司からセクハラを受けたという社員。しかし証言は食い違い……
・介護問題で時短を望むも、経営者からはアルバイトに戻ることを勧められた!

読んでいるうちにいつにまにか労働問題にも詳しくなれる!
ミステリー風味が効いたお仕事小説の傑作です。


ひよっこ社労士の朝倉雛子は、事務所では相変わらずヒヨコちゃんと呼ばれているが、仕事内容は日々難度が増している。今回も、一筋縄ではいかない案件ばかりである。無自覚な経営者や、我が道を行く経営者、労働者側にも問題が多々あり――と、八方塞がりに見える案件が目白押しだが、ひとつずつ根気よく整理整頓していけば、なんとかなるものである。ただ、そこまで行くまでに、経営者側に立つだけではなく、働く現場の人たちの現状に寄り添い、各人の背景にまで思いを致すヒナコの仕事は、一見無駄が多そうでもあるが、出来得る限り最善の解決策に着地させてしまうところが見事でもある。もう立派にひとり立ちと言っていい。次作にも大いに期待したいシリーズである。

昭和稲荷町らくご探偵 高座のホームズ みたび*愛川晶

  • 2019/12/18(水) 06:59:19


真打ち昇進を目前に控えた二つ目・佃家花蔵が、高座で[犬の目]を口演中に、酔客に片眼を殴打される災難に。花蔵の兄弟子・傳朝と梅蔵は長年の不仲を改め、花蔵のために一緒に協力し、花蔵を援助することを誓う。ところがその直後、今度は傳朝が夜道で暴漢に襲われる……。二つの事件の裏には、思いもよらぬ謎が隠されていた。名探偵・八代目林家正蔵の推理がまたもや冴え渡る、痛快落語ミステリー第三弾!文庫書き下ろし。


シリーズ中、最もやりきれない事件である。真打傷心を目前にした落語家の人生を決めてしまう事件なのである。本人はもちろん、周囲の受けた衝撃は計り知れない。兄弟子の梅蔵が、稲荷町の師匠や、馬八師匠の名推理から事件の謎に迫り、その後の自らの対応に苦悩しつつも精進していくという物語なのだが、その顛末が、後年の思い出語りのようにして語られる、という入れ子構造になっているところが、なんとも絶妙である。あまりに凄惨な事件だっただけに、被害者・花蔵や兄弟子梅蔵のその後の人生が重く迫るのだが、この趣向故に、温かみのある物語に昇華しているという印象である。文句ない傑作と言える一冊だと思う。

ひみつのしつもん*岸本佐知子

  • 2019/12/15(日) 19:00:34


奇想天外、抱腹絶倒のキシモトワールド、みたび開幕!ちくま好評連載エッセイ、いよいよ快調な第三弾!


こんな視点で物事を見ていたら、日々飽きないだろうなぁ、と思う。うらやましいくらいである。そしてときどき、うんうん、と同意したくなる。ここに引っかかるか、という些細なところに立ち止まり、観察し、掘り下げてしまう著者の可笑しみがじわりじわりと伝わってきて、身体の外側からじわじわと内側へと浸透していくような気がする。少しずつ岸本化していきそうである。クラフト・エヴィング商會の装丁とイラストが、これまた絶妙で、つい見惚れてしまうのである。文句なく面白い一冊だった。

虹にすわる*瀧羽麻子

  • 2019/12/14(土) 16:32:15


――職人気質の先輩と、芸術家肌の後輩。
性格も能力も正反対のアラサー男子が、“10年前の夢"を叶えることにした。――

椅子作りの才能があるのに、実家のじいちゃんと修理屋をしている徳井。
椅子への情熱を持て余し、大手工房を飛び出して、徳井のもとへやってきた魚住。
違うタイプのふたりが、学生時代の約束にしたがって、小さな工房を始める。
不器用なふたりは、友情でも恋でも仕事でもギクシャク……。
それでも、お互いの能力を誰よりも認め、お互いの存在を誰よりも求めていた。
正反対のふたりだから、かなえられるものがある! 夢を失いかけたふたりが、つまづきながらも、同じ未来に向かって歩き始める。


ここに辿り着くまでのいきさつに決着はついていないような、未消化な部分がないとは言えないが、この先に続く物語ではある。世間一般の常識に当てはまらない生き方をしてきた二人が、それぞれの夢をかなえようと、いままさに動き出したという感じである。これまでのことや、これからの人間関係も含めて、続編があるのかもしれないと思わせる一冊でもある。ぜひ続きを読んでみたい。

監禁探偵*我孫子武丸

  • 2019/12/13(金) 16:54:12


下着を盗もうと、憧れの女性の部屋へ忍び込んだ山根亮太。
ところが、そこには女性の死体が…!
しかし亮太は警察に通報できない。
なぜなら彼は、自室に美少女「アカネ」を監禁しているからだ。
翌日、死体を発見した警察は、殺人事件の容疑者として亮太を徐々に追い詰めていくが……
(第一話 山根亮太)

轢き逃げに遭い、重体で搬送された少女。
“神の手"を持つ天才外科医に奇跡的に命を救われるが、目を覚ますと記憶喪失に。
「アカネ」と刺繍されたハンカチだけが身元に繋がる手がかりだった。
やがて、看護師飛び降り事件や幽霊騒ぎが発生。
事件に強い関心を示す少女「アカネ」の勘の鋭さに気づいた研修医・宮本伸一は……
(第二話 宮本伸一)

美しき少女「アカネ」――彼女の正体は天使か、悪魔か デビュー30周年をむかえた新本格のレジェンドが、同名人気コミック原作を自ら小説化。
言葉だからこそ表現可能な新しい物語が誕生!
人間心理の歪みに迫る、驚愕のミステリ! !


コミックの原作があるとは全く知らなかったが、それが物語の興味を削ぐことはない。ひょんなことから連れ帰った少女が、こんなにも物語の核心にいる存在だとは、初めはまったく思わず、その奔放なのか作為的なのか読めないキャラクタに翻弄される。だがしだいに、彼女の賢さが見えてくると、ストーリーの先に新たな展開が望めそうな期待感で興味が募る。はたして、彼女の存在は大きいが、その分なぞも多すぎる。二話目でそれが解消されるかと思いきやそうはいかず、ラスト近くまで真相が見えてこないのがわくわく感をそそる。少女のビジュアルと、抱えるものの重苦しさとのギャップが哀しくもあるが、ほんの少し明日が見えたのではないかと思わされる一冊でもあった。

人間*又吉直樹

  • 2019/12/12(木) 12:15:03


僕達は人間をやるのが下手だ。38歳の誕生日に届いた、ある騒動の報せ。何者かになろうとあがいた季節の果てで、かつての若者達を待ち受けていたものとは?初の長編小説にして代表作、誕生!!


著者が有名人であるがゆえに、どうしてもご本人に重ねて読んでしまいがちではあるが、どの登場人物も当てはまるようでいて当てはまらず、当てはまらないようでいて当てはまってしまうのだ。著者に限らず、作中の人物には多かれ少なかれ作者自身の成分が投影されているということだろう。人間という、ひとくくりにするには厄介すぎる生きものを語るのは至難だと思う。だが、誰もが少なくとも一度は、潜り抜けたであろうと思われる、自分とは何者かという命題について、そして、それを考えたときに頭をよぎるであろう答えに似たものは描かれているように思う。「凡人Aの罪状は、自分の才能を信じていること」というのが、ひとりの人間の中にある矛盾と葛藤をよく言い表していると思う。他人の悩みを見せつけられてイラっとするところもなくはないが、それもまた人間、と思わされる一冊でもあった。

屑の結晶*まさきとしか

  • 2019/12/10(火) 12:25:10


「誰を殺そうと俺の自由」小野宮楠生は二人の女性を殺害した容疑で逮捕・起訴され、チャラい外見とふざけた供述から「クズ男」と呼ばれている。弁護士の宮原貴子は、小野宮が幼少期を過ごした町へ赴き、ある女性の存在をつかむ――。聖と悪のボーダーをゆるがす哀切のミステリー長編。



一見すれば誰にでも判るような殺人事件の裏に、実はこんなにも複雑な体験とそれに伴う心理状態が潜んでいようとは。起きたことの判りやすさとは逆に、終始、座りの悪い不安定な何かを感じていたのは、弁護士の貴子だけではなく、読者も同じである。楠生の態度や反応は、ステレオタイプでありながら、底の読めない空恐ろしい昏さを内包している気がして、その掴みどころのなさ故に、地団駄踏みたくなるようなもどかしさを感じてしまう。しかし、ある点を突かれると意外にも脆い一面をのぞかせることに気づいたとき、事件の真相はぐっと近づいてくるのである。幼児体験の影響力のすさまじさとともに、人の心の奥底をのぞき込む怖さをも味わわされる一冊である。

法月綸太郎の消息*法月綸太郎

  • 2019/12/08(日) 18:16:35


名探偵が挑む、名探偵たちの謎。
法月綸太郎 VS ホームズ、そしてポアロ。

名作に隠された驚愕の「真実」が今、明かされる!
躍動するロジック! これぞ本格ミステリの純粋結晶。
待望のシリーズ最新作!!
☆☆☆
ホームズ探偵譚の異色作「白面の兵士」と「ライオンのたてがみ」。
この2作の裏に隠された、作者コナン・ドイルをめぐる意外なトラップを突き止める「白面のたてがみ」。

ポアロ最後の事件として名高い『カーテン』に仕組まれた、
作者アガサ・クリスティーの入念な企みとは?
物語の背後(バックステージ)が息を呑むほど鮮やかに解読される「カーテンコール」。

父・法月警視が持ち出す不可解な謎を、息子・綸太郎が純粋な論理を駆使して真相に迫る、
都筑道夫『退職刑事』シリーズの後継というべき2編「あべこべの遺書」「殺さぬ先の自首」。


タイトルから想像したのとはいささか趣が違ったが、名探偵が出てくる物語に隠された謎を解き明かす、という趣向はなかなか興味深かった。名探偵の性格、別の作品中で語られたひとこと、作者の企み。そんなあれこれを示しては議論し、新事実を導き出す過程にわくわくさせられる。ラスト近くの種明かしにはクスリと笑ってしまったが、愉しめる一冊だった。

毒殺魔の教室*塔山郁

  • 2019/12/06(金) 13:29:24


那由多小学校児童毒殺事件―男子児童が、クラスメイトの男子児童を教室内で毒殺した事件。加害児童は、三日後に同じ毒により服毒自殺を遂げ、動機がはっきりとしないままに事件は幕を閉じた。そのショッキングな事件から30年後、ある人物が当時の事件関係者たちを訪ね歩き始めた。ところが、それぞれの証言や手紙などが語る事件の詳細は、微妙にズレている…。やがて、隠されていた悪意の存在が露わになり始め、思いもよらない事実と、驚愕の真実が明かされていく。『このミステリーがすごい!』大賞2009年、第7回優秀賞受賞作。


三十年前の6年6組で起こった毒殺事件に関する聴き取りが描かれる前半。立場や役割、当事者との関わり方によって、記憶には少しずつずれがある。それが意図的なものなのかそうではないのか。読者はそれも含めて注意深く読み進めることになる。一歩ずつ真相に近づいているのか、いないのか。それさえも判然としない中、僅かずつではあるが、新しい事実もあぶりだされ、割に早い段階で事件の仕組みの大枠は判ってくる。だが、さらに読み進めると、想像以上の企みが隠されていたことも見えてきて、慄然とさせられる。そしてさらにエピローグとして配された小説の抜粋に、混乱させられるのである。一体どういうことなのだろう。薄皮を剥ぐように真実に近づきながら、どんどん遠ざかっているような心地にもなる一冊だった。

某*川上弘美

  • 2019/12/04(水) 16:47:22


変遷し続ける〈誰でもない者〉はついに仲間に出会う――。
愛と未来をめぐる、破格の最新長編。

ある日突然この世に現れた某(ぼう)。
人間そっくりの形をしており、男女どちらにでも擬態できる。
お金もなく身分証明もないため、生きていくすべがなく途方にくれるが、病院に入院し治療の一環として人間になりすまし生活することを決める。
絵を描くのが好きな高校一年生の女の子、性欲旺盛な男子高校生、生真面目な教職員と次々と姿を変えていき、「人間」として生きることに少し自信がついた某は、病院を脱走、自立して生きることにする。
大切な人を喪い、愛を知り、そして出会った仲間たち――。
ヘンテコな生き物「某」を通して見えてくるのは、滑稽な人間たちの哀しみと愛おしさ。
人生に幸せを運ぶ破格の長編小説。


川上弘美さんでなければ思いつかないような設定で、興味深い。何者でもないものとは、一体何者なのだろう。本人(?)たちでさえ、確固とした答えを持っていない者たちの、それでもそれぞれに個性を持った者としての生きざまをのぞき見しているような気分である。何者でもないからと言って、何にも縛られないわけでもなく、人間関係もそれなりに築き、多少変わった個性として人間社会に存在し、変異すれば忘れられていく。現在いる場所につなぎとめられる理由はなく、さりとてつなぎとめられない理由もまたない。だが、ほかの何者でもない者のために自分を犠牲にし、あるいは、その者を大切に思ったとき、なにかが変わるのだ。「某」が幸福なのかどうかはよくわからないが、某ではないわたしは、しがらみがあっても、逃げられなくても、生まれてから死ぬまで「わたし」という者として生きて行くのが幸福だと思わされる一冊でもあった。