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歌舞伎座の怪紳士*近藤史恵

  • 2020/03/31(火) 18:57:55


生活に不満はないけど、不安はある。家事手伝いの岩居久澄は、心のどこかに鬱屈を抱えながら日々を過ごしていた。そんな彼女に奇妙なバイトが舞い込んだ。祖母の代わりに芝居を見に行き、感想を伝える。ただそれだけで一回五千円もらえるという。二つ返事で了承した久澄は、初めての経験に戸惑いながら徐々に芝居の世界にのめり込んでいく。歌舞伎、オペラ、演劇…。どれも楽しい。けれど、久澄には疑問があった。劇場でいつも会う親切な老紳士。あの人っていったい何者…?


いつも地味に生きてきた久澄は、就職先でセクハラに遭って心を病み、退職して自宅警備員(軽い引きこもり)をしながらメンタルクリニックに通っている。これではだめだと思いながらも、どうしても一歩を踏み出すことができない久澄を、眼科医の姉・香澄もフルタイムで働く母も何も言わずに見守ってくれている。そんなとき、離婚した父方の祖母・しのぶさんから、アルバイトを頼まれる。もらったチケットで、しのぶさんの代わりに歌舞伎や舞台を観て感想を送ってほしい、というものだった。初めていった歌舞伎は、思ったよりも堅苦しくなく、愉しめたのだが、前方の座席に置かれたペットボトルがすり替えられるところを目撃してしまい、動揺する。その様子に声をかけてくれた隣の席の老紳士・堀口に仔細を話すと、彼が対応してくれたのだが……。久澄が歌舞伎やオペラに出かけるたびに、何かしら不審なことに出くわし、その度いつも堀口さんにも出会って、話を聞いてもらうことになり、何やら裏がありそうな気がしてくるのだが……。少しずつ外に目を向けられるようになる久澄の姿に勇気づけられ、思わず応援したくなるが、彼女以外にも、何かしら抱え込んでいる人はいるのである。自分だけではないと気づけるようになったのも成長のあかしかもしれない。久澄の変化も、歌舞伎やオペラの描写も、謎解きもどれも愉しめる贅沢な一冊である。

まずはこれ食べて*原田ひ香

  • 2020/03/29(日) 14:00:30


アラサーの池内胡雪は、大学の友人たちと起業したベンチャー企業で働き、多忙な毎日を送っている。不規則な生活のせいで食事はおろそかになり、社内も散らかり放題で殺伐とした雰囲気だ。そんな状況を改善しようと、社長の提案で会社に家政婦を雇うことに。やってきた家政婦の筧みのりは、無愛想だが完璧な家事を行い、いつも心がほっとする料理を振る舞ってくれる。筧の食事を通じて、胡雪たち社員はだんだんと自分の生活を見つめ直すが…。人生の酸いも甘いもとことん味わう滋味溢れる連作短編集。


丁寧に作った日々の食事。それこそが、疲れた心を解きほぐし、次に向かう活力を生み出してくれる。そんな食卓を整えてくれる家政婦を雇った小さなベンチャー企業の物語である。お料理がどれもおいしそうなのは言うまでもないのだが、その丁寧さとは裏腹に、家政婦の筧みのりにも、会社のメンバーたちそれぞれにも抱えている屈託があり、その闇がどんどんあらわになっていくのが怖い。一見、とてもうまくいっているように見えているものごとも、ほんの少し踏み込めば、そこにはどろどろしたものが渦巻いていて、一触即発とでもいうような状態なのである。いままで気づかないふりをしてきたあれこれが、筧の作る心も身体も温まる料理を食べることによって、自らを取り戻しつつあるメンバーたちの表に現れ始めてしまったのかもしれない。しかしまた、その食事によって、しっかりと自らを取り戻してみれば、これから進むべき道もわかってくるというもので、この先の明るさを願わずにはいられない一冊である。

不穏な眠り*若竹七海

  • 2020/03/27(金) 07:45:23


葉村の働く書店で“鉄道ミステリフェア”の目玉として借りた弾痕のあるABC時刻表が盗難にあう。行方を追ううちに思わぬ展開に(「逃げだした時刻表」)。相続で引き継いだ家にいつのまにか居座り、死んだ女の知人を捜してほしいという依頼を受ける(「不穏な眠り」)。満身創痍のタフで不運な女探偵・葉村晶シリーズ。


これまでに増してハードな展開になっている気がする。世界一不運な探偵・葉村晶健在、である。しかも、あまりにも命の危険にさらされる頻度が高すぎて、にもかかわらず、めげずに調査を続ける葉村晶、強くしぶとい。初めのころは、もっとドジな印象があった気がするのだが、探偵業にも磨きがかかってきたということだろうか。その割に、首を突っ込んだ事件の危険度と奥の深さは折り紙付きである。これからも、命を落とすことなく、健気に探偵業を続けてほしいものである。ドキドキハラハラわくわくしながら読める一冊である。

我らが少女A*高村薫

  • 2020/03/24(火) 16:41:14


一人の少女がいた――
合田、痛恨の未解決事件

12年前、クリスマスの早朝。
東京郊外の野川公園で写生中の元中学美術教師が殺害された。
犯人はいまだ逮捕されず、当時の捜査責任者合田の胸に、後悔と未練がくすぶり続ける。
「俺は一体どこで、何を見落としたのか」
そこへ、思いも寄らない新証言が――
動き出す時間が世界の姿を変えていく人々の記憶の片々が織りなす物語の結晶


著者の作品はあまり読んだことがなく、合田シリーズも初読みである。だが、初めてにして、あっという間に惹きこまれてしまった。12年前の水彩画教師殺人事件の周りにいた人々の、そのころの在りようと、12年経って、年齢も立場もそれぞれ変わった現在になったからこそ、新たに思い出される当時のあれこれ。捜査中には目も止めなかった人々の動きの中にある真実。などなど何もかもが、本作の魅力のひとつでもある武蔵野の自然の描写の細やかさとともに、凍える冬の朝の川霧の向こうに隠され、もどかしい思いに駆られるしかないのである。どうやら事件の核心にいるようであり、さまざまな意味でだれからも注目されていたにもかかわらず、それから12年後に同棲相手に殺され、話すこともかなわなくなり、いつからか少女Aと呼ばれるようになった上田朱美の胸の裡こそが、最後までいちばんよくわからなくてもどかしい。起こったことそのものよりも、そこに行きつくまでの感情の動きに、どうしようもなく興味をそそられる一冊だった。

涼子点景 1964*森谷明子

  • 2020/03/21(土) 16:12:21


「父は、姿を消したのよ。私が九歳の夏に。それ以上のことを言わない、誰にも」。

1964年オリンピック決定に沸く東京で、競技場近くに住む一人の男が失踪した。
娘は自分の居場所と夢を守るため、偶然と幸運と犠牲を味方につけ生き抜いてゆくことを誓う。
時代の空気感を濃密に取り込みながら描いた蠱惑の長編ミステリー!


不意に届いた小学校の同窓会通知を志学女子学園の理事長室で見ている涼子。そこから、60年前に時間は巻き戻されていく。抱えてしまった秘密を守り続けるために、変わり続け、あるいはかたくなに守り続けて生きてきた涼子のその時その時を、何も知らない周りの数人が、ほんとうに何気なく、あるいは、なにがしかの疑問を抱いて思い出し、それをすべてつなげてみたときに見えてくるものがあるのである。涼子の人生は幸福だったのだろうか、と思わずにはいられない一冊である。

騒がしい楽園*中山七里

  • 2020/03/17(火) 19:37:07


見えない魔の手から子どもたちを守ることができるのか?埼玉県の片田舎から都内の幼稚園に赴任してきた幼稚園教諭・神尾舞子。待機児童問題、騒音クレーマー、親同士の確執…様々な問題を抱える中、幼稚園の生き物が何者かに殺される事件が立て続けに発生する。やがて事態は最悪の方向へ―。12ヶ月連続刊行企画第1弾!


都内の幼稚園が舞台。モンスターペアレントはここにもいるし、田舎の幼稚園よりも周辺住民からの風当たりは強い。母親同士の上下関係や、子ども同士の関係性の微妙さ、加えて待機児童問題など、配慮しなければならないことは様々あるが、それどころではない忌まわしい問題が起こるのである。警察はなかなか本腰を入れてくれないように見えるが、事態はどんどんエスカレートし、とうとう園児にまで被害が及ぶ。ここで警察もやっと本格的に捜査を始める。園長の事なかれ主義に憤り、園外の出来事にどこまで責任を負えばいいのかに悩み、子どもたちの受けるショックに胸が痛み、大人の身勝手に怒りを覚える。何より真犯人の自分のことしか考えない幼さに愕然とさせられる。いろんな感情が渦巻く一冊だった。

あきない世傳金と銀 七 碧流篇*高田郁

  • 2020/03/15(日) 16:35:46


大坂天満の呉服商「五鈴屋」の七代目店主となった幸は、亡夫との約束でもあった江戸に念願の店を出した。商いを確かなものにするために必要なのは、身近なものをよく観察し、小さな機会を逃さない「蟻の眼」。そして、大きな時代の流れを読み解き、商いに繋げる「鶚の目」。それを胸に刻み、懸命に知恵を絞る幸と奉公人たちだが―。ものの考え方も、着物に対する好みも大坂とはまるで異なる江戸で、果たして幸たちは「買うての幸い、売っての幸せ」を実現できるのか。待望のシリーズ第七弾!


もう七冊目になるのか、と感慨深い思いでいっぱいになるが、幸は相変わらず前に進み続け、したがって物語も進み続ける。次はどんな難題が降りかかり、どんな風に切り抜けていくのか、毎回胸躍らせて愉しんでいる。今回も、いままでにない企みに奔走し、「買うてのさいわい、売っての幸せ」を守り通して活路を見出す、幸と五鈴屋の面々の姿に胸打たれる。ラストでは、思いがけない人との思いがけないつながりも明らかになり、思わず涙を誘われた。さて次はどんなものを見せてくれるのか、愉しみなシリーズである。

地面師たち*新庄耕

  • 2020/03/12(木) 18:38:42


ある事件で母と妻子を亡くした辻本拓海は、大物地面師・ハリソン山中の下で不動産詐欺を行っていた。ハリソン山中を首謀者とし、拓海を含む五人のメンバーが次に狙ったのは、市場評価額百億円という前代未聞の物件だった。一方、ハリソン山中を追う定年を間近に控えた刑事の辰は、独自の捜査を続けるうち、ハリソンが拓海の過去に深く関わっていたことを知る。一か八かの最大級の詐欺取引、難航する辰の捜査、そして、地面師の世界の深奥に足を踏み入れた拓海が知る事実とは―。


まるでドキュメンタリーのような緊迫感を味わえる物語である。人間の欲望に巧みにつけいっているとは言え、こんなことをされたら騙されない方がおかしい、と思わずうなってしまうような巧妙さである。さまざまな証明書や書類の類の偽造技術の巧妙さも、ここまで来ているのかと、ため息が出るほどである。被害者側の思惑にも同情できない要素があることもあって、つい地面師たちに肩入れしそうになってしまうが、そんなころ合いに定年間近の刑事・辰の捜査状況が挿みこまれるので、一時我に返ることができる。一旦悪の片棒を担いだら、泥沼だということもよく判る。文句なく面白い一冊だった。

147ヘルツの警鐘 法医昆虫学捜査官*川瀬七緒

  • 2020/03/09(月) 16:33:56


全焼したアパートから1体の焼死体が発見され、放火殺人事件として捜査が開始された。遺体は焼け焦げ炭化して、解剖に回されることに。その過程で、意外な事実が判明する。被害者の腹腔から大量の蠅の幼虫が発見されたのだ。しかも一部は生きた状態で。混乱する現場の署員たちの間に、さらに衝撃が走る。手がかりに「虫」が発見されたせいか、法医昆虫学が捜査に導入されることになる。法医昆虫学はアメリカでは導入済みだが、日本では始めての試み。赤堀涼子という学者が早速紹介され、一課の岩楯警部補と鰐川は昆虫学の力を存分に知らされるのだった。蠅の幼虫は赤堀に何を語ったのか!


炭化した焼死体からボール状のウジ虫が出てくる描写など、目をそむけたくなるような場面が数多くあり、蟲が苦手な者としては、読むのがつらい部分もあったが、昆虫学者・赤堀涼子には、愉しくて仕方がないようなので、おつきあいすることにした。その描写以外はとても興味深く、初めて知ることもたくさんあって、刺激的な読書タイムだった。小柄で一見天然な赤堀が、「福家警部補」とダブってしまうのはわたしだけだろうか。とはいえ、警察上層部も引き続き捜査協力を依頼したようだし、次が愉しみなシリーズである。

僕はいつも巻きこまれる*水生大海

  • 2020/03/08(日) 13:10:06


大手損保会社に入社した僕―椎名逸斗は立ち寄ったコンビニで暴走車の激突事故に遭遇!一人が死亡、一人が心不全の大惨事。救命処置を行なった僕は、命を救った英雄…のはずが、死亡した被害者が強盗犯だという事実に事態は一変!なぜか共犯者だと疑われネットは炎上、会社は冷遇。窮地の僕は、6年ぶりに再会した元カノの清夏と、無実を証明するため事件の謎に迫る!


偶然が偶然を呼び、さまざまな不運が重なり、椎名はとんでもない事態に巻き込まれることになる。だがそれはほんとうに偶然なのだろうか、あるいは単なる不運なのだろうか。次々に椎名の周りに現れるアクの強すぎる人物たちにも翻弄され、会社の信用問題まで取りざたされるようになり、一体椎名は巻きこまれた厄介事から抜け出すことができるのだろうか、というハラハラドキドキの物語である。何を言っても信じてもらえない焦燥感と、誰を信じていいのか判らなくなる猜疑心にも駆られ、果てには命まで狙われる事態になるとは、物語の冒頭では想像もできなかった。翼が回復しなかったらどうなったのだろうという疑問もなくはないが、まあ納得できる結果にはなったのではないだろうか。椎名の日常をもっと見たいと思わされる一冊ではある。

虫たちの家*原田ひ香

  • 2020/03/06(金) 12:06:33


九州の孤島にあるグループホーム「虫たちの家」は、インターネットで傷ついた女性たちがひっそりと社会から逃げるように共同生活をしている。新しくトラブルを抱える母娘を受け容れ、ミツバチとアゲハと名付けられる。古参のテントウムシは、奔放なアゲハが村の青年たちに近づいていることを知り、自分の居場所を守らなければと、「家」の禁忌を犯してしまう。『母親ウエスタン』『彼女の家計簿』で注目の作家が描く、女たちの希望の物語。


紹介文には、希望の物語、とあるが、傷ついた女性たちが希望を持ててよかったと、無条件には喜べない。偏見はいつまでたってもどこにいてもつきまとい、そこから完全に逃れることは一生ありそうにない。それをわかったうえでの制限付きの希望が見えるだけのような気もする。もっと言えば、本作の主題は、傷ついた女性の希望の復活、というよりも、氷室美鈴個人の真実探求の物語だったような印象である。折々に挿みこまれる抑圧された異国の暮らしと、現在の彼女たちの置かれた状況が一本につながるとき、視点が一変してさまざまなことが腑に落ちるが、それで何かが解決されるわけではないので、思ったほどのカタルシスは得られない。しかも、わき役的な登場人物の扱いが、いささか軽く、ラストを急いだ感じがしてしまう。とはいえ、読書中は次に何が明らかにされるのかというスリルを楽しめる一冊だった。

賞金稼ぎスリーサム!*川瀬七緒

  • 2020/03/04(水) 16:36:46


警察マニアのイケメン、コミュ障な凄腕ハンター、母親想いのくたびれた元刑事、前代未聞の凸凹トリオ!!報奨金の懸かった放火事件、何者かが執拗に攻撃。犯人はとんでもない凶悪犯!?サスペンス&ユーモアミステリー。


新しいトリオの誕生である。ひとりひとりを見ると、なかなかにこじれた人物たちである。だが、そんなアンバランスな三人が、賞金のためにひとつになるとき、見事に狩場の猟師になるのだから面白い。三人がともに行動する理由にはいささか無理がある気もしないではないが、今後何かが飛び出してきそうな気配も感じられるので、是非ともシリーズ化してほしい一冊である。

わが殿 下*畠中恵

  • 2020/03/02(月) 12:55:01


新銅山の開掘、面扶持の断行、藩校の開設、類を見ない大型船の造船…。七郎右衛門は、幾度も窮地に陥りながらも、利忠の期待に応え続ける。だが、家柄もなく、殿の信頼を一身に集め、旧態依然とした大野藩の改革を続ける七郎右衛門には、見えざる敵の悪意が向けられていた。そんな中、黒船の襲来により、日本中に激震が走る。時代は移り変わろうとしていた―。新時代を生き抜くヒントがここにある!


七郎右衛門、相変わらず殿の打ち出の小槌に日々勤めている。何か事が起こり、窮地に立たされるほど、己の裡にあるものが閃きとともに表出し、突拍子もない策として形になるような印象である。常に次の手を考えているという証だろう。利忠公との信頼関係も、さらに深まり、公はもはや完全に七郎右衛門を信頼し、それ故、新しいものごとに向かって無茶をすることにもなる。止まるということを知らない殿である。だが、年月は容赦がなく、誰もが年を取る。悲しい別れも幾たびも経験することになるのである。殿と七右衛門と彦助との最後の穏やかなひとときには胸を熱くさせられるた。江戸が終わって明治の代になるとともに、感覚的には親しみを覚えるが、地続きには武士の時代の波乱があったことを、不思議な感慨をもって実感できるようになった気もしている。充実の上下巻だった。