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踊る彼女のシルエット*柚木麻子

  • 2021/08/30(月) 16:29:30


義母が営む喫茶店を手伝う佐知子と芸能事務所でマネージャーをする実花。
出会ってから十六年。趣味にも仕事にも情熱的な実花は、佐知子の自慢の親友だった。
だが、実花が生み育てたアイドルグループが恋愛スキャンダルで解散に追い込まれたのをきっかけに、彼女は突然“婚活"を始める。
「私には時間がないの」と焦る実花に、佐知子は打ち明けられないことがあり……。
幸せを願っているのに、すれ違ってしまう二人が選ぶあしたとは。
揺れうごく女の友情を描く長編小説、待望の文庫化。(単行本『デートクレンジング』より改題)


型にはまりたくない、といいながらも、自ら型にはまりに行って、そこで縛られることから逃げ出そうとしてもがいているように、個人的には見えてしまって、あまり共感できなかった。自縄自縛という感じだろうか。唯一、見るからにふわふわと甘くアイドルの典型に見えていた春香だけが、最初から最後まで「自分」を持っていたのが救いかもしれない。どうしてそんなにがんじがらめにされに行くのだろうと思ってしまう一冊だった。

神話の密室 天久鷹央の事件カルテ*知念実希人

  • 2021/08/29(日) 11:24:04


まるで神の御業のような不可思議な「密室」の謎。アルコールが一滴もないはずの閉鎖病棟で泥酔を繰り返す人気小説家。キックボクシングのタイトルマッチ、勝利の瞬間にリングで死亡した王者。かたや厳重な警備の病院で、こなた千人以上の観客が見守る中で。まるで神様が魔法を使ったかのような奇妙な「密室」事件、その陰に隠れた思いもよらぬ「病」とは? 天才女医・天久鷹央が不可能犯罪に挑む。現役医師による本格医療ミステリ!


今回は、鷹央先生の大活躍というよりは、小鳥先生(と鴻ノ池舞)の活躍が目立つ事件だった。なんとなく、このところ鷹央先生が精彩を欠いているように見えてしまうのは気のせいだろうか。とはいえ、鷹央先生の推理力と診断力は相変わらず切れがよく、それが小鳥先生の活躍につながっていることも確かである。身勝手な思いだが、鷹央先生が、ほんの少しずつではあるが、一般社会に順応できるようになっているのが物足りなさの一因かもしれない、とふと思った。(鷹央先生にはいい迷惑である)次も愉しみなシリーズであることには変わりがない。

MR*久坂部羊

  • 2021/08/27(金) 16:26:21


大阪に本社を置く中堅製薬会社・天保薬品。その堺営業所所長であり、MRの紀尾中正樹は、自社の画期的新薬「バスター5」が高脂血症の「診療ガイドライン」第一選択Aグレードに決定するべく奔走していた。決まれば年間売上が1000億円を超えるブロックバスター(=メガヒット商品)化が現実化する。ところが、難攻不落でMR泣かせの大御所医科大学学長からようやく内定を得た矢先、外資のライバル社タウロス・ジャパンの鮫島淳による苛烈な妨害工作によって、一転「バスター5」はコンプライアンス違反に問われる。窮地に追い込まれた紀尾中以下、堺営業所MRチームの反転攻勢はあるのか。ガイドラインの行方は? 注目集める医薬業界の表と裏を描いたビジネス小説の傑作、誕生!


お仕事小説MR編である。小説なので、実際とは違う部分も多々あるのだろうとは思うが、MRという仕事のご苦労の一端を覗いた気分にはなる。どの業界でも変わらないとは思うが、仕事をするうえで、何を、誰を重視するか、どこに目線を据えるかによって、同じものを見ても、見え方が変わってくる状況がよくわかる。患者ファースト、利益ファースト、それぞれの立場でそれなりの苦悩があり、自分の掲げる理念に向かって進むために邪魔になるものを排除しようとする心理もよくわかる。医療界、製薬界に必要以上に理想を持っているわけでもないが、できれば裏側のどろどろはあまり目にしたくはないところではある。患者ファーストチームの完全勝利で終わってほしいところだが、最後の最後に厳しい現実を突き付けられたようで、思わずうならされる一冊でもあった。

神のダイスを見上げて*知念実希人

  • 2021/08/24(火) 19:28:39


地球に向けて、巨大小惑星ダイスが接近中。人類は、あと5日で終わりを迎える。人々はその瞬間、『裁きの刻』をどう迎えるのか―。高校生の漆原亮の姉、圭子が殺された。コスモスの咲き乱れる花壇で、全裸で胸にナイフを突き刺された姿で発見された姉は、亮にとって唯一の家族、“世界そのもの”だった。恋人のこともそっちのけで、亮はとにかく犯人を見つけ出し、自分の手で復讐したいと暴走。そして“あるもの”を手に入れるため、クラスの“禁忌”と呼ばれる異端児・四元美咲に接触する。優しく、美しかった圭子を殺したのは、圭子の恋人だったのでは?しかしそれが誰なのかわからない。犯人を追い求めて、亮は圭子が入っていた天文学同好会、そしてダイスを崇拝するオカルト集団「賽の目」に踏み込んでいく…。人類滅亡まであと幾日もない中で、なぜ圭子は殺されなければならなかったのか―。絶望×青春ノンストップタイムリミット・ミステリー!!


人類が滅亡するまでの5日間に、何を成し、その時をどう迎えるか、という物語である。二人だけの家族だった姉を無残に殺された高校生の亮は、姉を殺した犯人を何としても自らの手で殺してやる、と決意し、当てにならない警察を横目に見ながら捜査し、目星を付けるが、ことごとく覆される。真実と向き合うとき、その切なさと成す術のなさに打ちのめされるが、新たに得たものもあり、僅かな光が見える。ダイスが地球に直撃する「裁きの刻」の直前で物語は終わっており、読者にゆだねられるが、どちらの結果になっても、それなりに納得できる気がする。医療ミステリの方が断然好みだが、これはこれで愉しめた一冊だった。

あなたにおススメの*本谷有希子

  • 2021/08/22(日) 16:06:43


気づけば隣にディストピアーー
世界が注目する芥川賞作家・本谷有希子が描く、心底リアルな近未来!

「推子のデフォルト」
子供達を<等質>に教育する人気保育園に娘を通わせる推子は、身体に超小型電子機器をいくつも埋め込み、複数のコンテンツを同時に貪ることに至福を感じている。そんな価値観を拒絶し、オフライン志向にこだわるママ友・GJが子育てに悩む姿は、推子にとっては最高のエンターテインメントでもあった。

「マイイベント」
大規模な台風が迫り河川の氾濫が警戒される中、防災用品の点検に余念がない渇幸はわくわくが止まらない。マンションの最上階を手に入れ、妻のセンスで整えた「安全」な部屋から下界を眺め、“我が家は上級”と悦に入るのだった。ところが、一階に住むド厚かましい家族が避難してくることとなり、夫婦の完璧な日常は暗転する。


荒唐無稽と言い切ってしまえない、背中がむず痒くなるような近未来の物語二編である。こんな世界に生きていたくない、こんな状態に置かれたくない、と願いながら読むが、否応なく巻き込まれ、引きずり込まれて、もがくほどに這い上がれなくなるような無力感にさいなまれる。決してヒステリックではなく、むしろ淡々としすぎるくらいの筆致で描かれているのがかえって怖い。読みながらも、読んだ後も、厭な気持ち悪さを引きずる一冊である。

曲亭の家*西條奈加

  • 2021/08/22(日) 09:23:32


直木賞受賞後第一作
渾身の書き下ろし長篇。
小さな幸せが暮らしの糧になる。

当代一の人気作家・曲亭(滝沢)馬琴の息子に嫁いだお路。
作家の深い業にふり回されながらも己の道を切り開いていく。

横暴な舅(しゅうと)、病持ち・癇癪(かんしゃく)持ちの夫と姑(しゅうとめ)……
修羅の家で見つけたお路の幸せとは?
「似たような日々の中に、小さな楽しみを見つける、それが大事です。
今日は煮物がよくできたとか、今年は柿の木がたんと実をつけたとか……。
そうそう、お幸(さち)が今日、初めて笑ったのですよ」(本文より)


傍から見れば、人も羨む良縁のように思われるが、その実、家内は、舅の横暴、姑の癇癪、夫の癇癪と病と、地獄のような日々で、一度は実家に逃げ帰ったお路だったが、長年過ごすうちに、舅姑の本質や、夫の苦悩にも思い至り、何気ない些細なしあわせに心を潤わせることに、自らの喜びを見つけるようになっていく。その心もちが、次第に、戯作者・馬琴の一番の信頼を得るようにもなり、馬琴の晩年は、その功績に大いに貢献することとなる。波乱万丈の人生だが、子どもたちや周りの人間関係には恵まれ、それが支えになっていたのは間違いないだろう。曲亭の家の内幕をのぞき見するような興味深い一冊だった。

魔弾の射手 天久鷹央の事件カルテ*知念実希人

  • 2021/08/20(金) 07:19:48


西東京市に聳える時計山病院。十一年前の医療ミスで廃院に追い込まれたこの場所で、一人の看護師が転落死する。死亡状況や解剖結果から自殺が有力視される中、娘の由梨だけはそれを頑なに否定した。天医会総合病院の副院長・天久鷹央は彼女の想いに応え、「呪いの病院」の謎を解くことを決意する。死体にまったく痕跡が残らない“魔弾”の正体とは?現役医師が描く医療ミステリー!


今回は、素人が自分で謎を見破るのはほぼ無理と言えるだろう。だが、そこはもうどうでもいいくらい、注目すべき要素がたくさんあって、目が離せない。前回に引き続き、小鳥と舞のコンビの活躍も見事だったし、鷹央が珍しくインフルエンザで倒れるし、見どころ満載だった。毎回の謎解きはもちろん、最終的にはどこに着地するのか、これからも愉しみなシリーズである。

火焔の凶器 天久鷹央の事件カルテ*知念実希人

  • 2021/08/17(火) 18:57:34


殺人か。呪いか。人体発火現象の真相は? 安倍晴明と同時代に生きた平安時代の陰陽師・蘆屋炎蔵の墓を調査した大学准教授が、不審な死を遂げる。死因は焼死。火の気がないところで、いきなり身体が発火しての死亡だった。殺人。事故。呪い。さまざまな憶測が飛び交う中、天医会総合病院の女医・天久鷹央は真実を求め、調査を開始する。だが、それは事件の始まりに過ぎなかった……。現役の医師が描く本格医療ミステリー!


今回もいろいろと過激だった。そして、鷹央の苦悩が見ていて痛ましく、何とか謎を解明する糸口はないものかと、もどかしい思いで読んだ。小鳥先生は、相変わらず酷使されているが、今回はまさに命がけの場面もあり、絆の強さだけでは納得しきれない部分もなくはない。そして、鴻ノ池舞の新たな一面も見られ、小鳥遊・鴻ノ池コンビも、別の意味でなかなかなのではないかと思わされたりもする。小鳥先生、今回は愛車もお釈迦になってしまい、踏んだり蹴ったりだが、穏やかに過ごせる日は来るのだろうか。次も愉しみなシリーズである。

ブレイクニュース*薬丸岳

  • 2021/08/17(火) 07:30:22

ある目的のため、女はひとり、立ち上がった。

ユーチューブで人気のチャンネル『野依美鈴のブレイクニュース』。児童虐待、8050問題、冤罪事件、パパ活の実情などを独自に取材し配信。マスコミの真似事と揶揄され、誹謗中傷も多く、中には訴えられてもおかしくない過激でリスキーな動画もある。それでも野依美鈴の魅力的な風貌なども相まって、番組は視聴回数が1千万回を超えることも少なくない。年齢、経歴も不詳で、自称ジャーナリストを名乗る彼女の正体を探るべく、週刊誌記者の真柄は情報を収集し始める。すると以外な過去が見えてきて……。
デジタル社会の現代へ警鐘を鳴らす、SNS時代の新な社会派小説。



個人でインターネットニュースを配信する野依美鈴にスポットを当てた物語。彼女は何のためにこのチャンネルを起ち上げたのか、という興味が根底に流れ、さらには、彼女が取り上げるトピックの重さにまず心が重くなり、視聴者の反応に眉を顰め、美鈴のやり方に疑問を抱き、アップロードされた動画の裏側で起こっていることにさまざま考えさせられる。いずれも、判断は視聴者にゆだねられる形だが、受け取った側は、何かしら思いを巡らせることにはなるだろう。その後何かが変わるかどうかは判らないが。ラストは、一気にアナログになるが、それでも、判断は受け手にゆだねられている。情報をどう入手して、どう受け取り、どう行動するかを問われているような一冊である。

クレイジー・フォー・ラビット*奥田亜希子

  • 2021/08/15(日) 07:06:32


愛衣は隠しごとの「匂い」を感じる。そのため人間関係が築きにくい。小中高大、そして30歳を過ぎてからの五つの年代を切りとり、その時々の友情の変化と当時の事件を絡めながら、著者の育った年代に即した女性の成長を描く連作短編。


隠しごとの「匂い」を実際に感じてしまうという特性を持つ愛衣を主人公にして、その人生の部分部分を切り取って物語ができているが、人とちょっと違った特性がなかったとしても、誰にでも起こり得る事々が繊細に描かれていて、たぶん誰もがどこかに共感するのではないかと思う。なにか具体的な解決策が示されているわけではないのだが、読み終えると、なんとなく、自分の話を聴いてもらったような満足感を得られるのが不思議である。胸にじわじわしみ込んでくる一冊だった。

めぐりんと私。*大崎梢

  • 2021/08/10(火) 16:23:10


悩みを抱える〝私"たちが出会ったのは
移動図書館「めぐりん」とささやかな謎だった。
本と人々をつなぐハートフル図書館ミステリ連作集!

三千冊の本を載せて走る移動図書館「本バスめぐりん」との出会いは、屈託を抱えた利用者たちの心を解きほぐしていく。家族の希望で縁もゆかりもない土地で一人暮らすことになった規子の、本と共に歩んできた半生を描く「本は峠を越えて」や、十八年前になくしたはずの本が見つかったことを引き金に当時の出来事が明るみに出る「昼下がりの見つけもの」など5編を収録。めぐりんが本と人々を繋ぐ移動図書館ミステリ、シリーズ第二弾。


「本は峠を越えて」 「昼下がりの見つけもの」 「リボン、レース、ときどきミステリ」 「団地ラプンツェル」 「未来に向かって」

本バスめぐりんシリーズ二作目である。種川市の移動図書館・めぐりん号に乗ってくるのは、以前と変わらず、テルさんとウメちゃん。いろんな場所で、いろんな人たちと、本を通して知り合い、知恵を出し合い、利用者さんたちのちょっとした謎の答えをみつけたり、もやもやを解きほぐしたりしながら、交流の輪も広げている。厳しい経済状態のなか、明るい未来も見えていて、希望が持てる。本はいいなぁ、と改めてありがたく思うシリーズである。

にぎやかな落日*朝倉かすみ

  • 2021/08/08(日) 07:15:34


北海道で独り暮らしするおもちさん、83歳。夫は施設に入り、娘は東京から日に二度電話をくれる。実は持病が悪化して、家族がおもちさんの生活のすべてを決めていくことに。不安と寂しさと、ほんのちょっとの幸せと、揺れては消えるひとりの老女の内面に寄り添う、人生最晩年の物語。


身につまされる物語である。日ごとに老いていき、自分で思う自分と現実の差が少しずつ広がっていくもどかしさや不甲斐なさが、手に取るように伝わってくる。加えて、配偶者など身近な人がそばにいなくなったりすると、その喪失感もかなり大きいと思われる。おもちさんは、元来明るく社交的で、友人知人も多いが、普段から人づきあいが少ないと、なおさら孤独感を募らせることになるだろう。おもちさんは、蓄えもあるようだし、家族や周りの人にも恵まれているようで、比較的しあわせである。ただ、日ごろからもう少し自分の身体に向き合っていたほうがよかったかな、とは思う。老いは誰にでも確実にやってくることである。日頃から心構えをしっかりしておかなくては、と改めて思わされる一冊だった。

臨床の砦*夏川草介

  • 2021/08/06(金) 16:40:06


緊急出版!「神様のカルテ」著者、最新作

「この戦、負けますね」
敷島寛治は、コロナ診療の最前線に立つ信濃山病院の内科医である。一年近くコロナ診療を続けてきたが、令和二年年末から目に見えて感染者が増え始め、酸素化の悪い患者が数多く出てきている。医療従事者たちは、この一年、誰もまともに休みを取れていない。世間では「医療崩壊」寸前と言われているが、現場の印象は「医療壊滅」だ。ベッド数の満床が続き、一般患者の診療にも支障を来すなか、病院は、異様な雰囲気に包まれていた。
「対応が困難だから、患者を断りますか? 病棟が満床だから拒絶すべきですか? 残念ながら、現時点では当院以外に、コロナ患者を受け入れる準備が整っている病院はありません。筑摩野中央を除けば、この一帯にあるすべての病院が、コロナ患者と聞いただけで当院に送り込んでいるのが現実です。ここは、いくらでも代わりの病院がある大都市とは違うのです。当院が拒否すれば、患者に行き場はありません。それでも我々は拒否すべきだと思うのですか?」――本文より


令和三年の年明けからひと月あまりのコロナ対応最前線を描いたドキュメント小説である。涙なくして読めない。医療現場の苛烈さは、想像以上のすさまじさで、医療従事者の方々の、死をも覚悟した奮闘ぶりに、いくら言葉を尽くしても足りないほどの感謝の気持ちをささげたい。それとは裏腹に、行政の切迫感のなさには、地団太を踏みたくなるほどのいら立ちともどかしさを覚える。現場の状況をあまりにも解っていなさすぎて、哀しくすらなる。本作は、一旦小康状態になった所で終わっているが、現在の状況を見れば、医療現場のさらなる過酷さは推して知るべしであり、わが身の危険ももちろんだが、現場の医療者のみなさんの安全を祈らずにはいられない。いま読むべき一冊だと思う。

まりも日記*真梨幸子

  • 2021/08/05(木) 16:15:42


真梨幸子が放つネコミス登場!
人を魅了してやまない猫たちに惑わされた愚かな人間の行く末、そして猫たちのその後--。

第一話 まりも日記
第二話 行旅死亡人~ラストインタビュー~
第三話 モーニング・ルーティン
第四話 ある作家の備忘録
第五話 赤坂に死す
最終話

小説現代、メフィストに掲載された短編に書下ろしを加え、大幅改稿した著者懇親の猫×イヤミスの傑作登場!


エッセイ感満載の物語である。ぼーっとしているとうっかり騙されそうになるが、「実」の部分もあるというから、ちょっと嬉しくなる。きれいなグレーのもふもふ猫のまりもさんを軸として、彼女に関わる人・場所・猫のあれこれがつづられている。それらの要素が微妙にループしたり絡まったりしているので、騙されそうで油断はできない。それがまた愉しくもある。決してほのぼのはしていない猫物語という感じの一冊である。

名古屋駅西 喫茶ユトリロ 龍(とおる)くんは食べながら謎を解く*太田忠司

  • 2021/08/04(水) 06:59:04


名古屋大医学部に通う、東京生まれの鏡味龍が下宿するのは、名古屋駅西にある老舗喫茶店ユトリロを営む祖父母宅。
店で交わされた奇妙な名古屋弁での会話や持ち込まれた名産品七宝焼にまつわる過去など、
不思議な謎を、小倉トーストや味噌煮込みなどの魅力的な名古屋めしからヒントを得て、お人好しの龍が解いていく!
名古屋の魅力満載の、ご当地連作ミステリー!


龍くんの、相変わらずの爽やかイケメンぶりに、まずは心が和む。自分は自身の進路に迷いながら、祖父母の営む喫茶ユトリロで小耳にはさんだり、知人に尋ねられたりしたことがきっかけで、日常の謎の真相を明らかにしようと奔走するのは、自分の欲求を満たすためというのもあるだろうが、その人の喜ぶ顔が見たいからだろう。もうすっかり頼りにされる名探偵である。今回も、どうするのが依頼者(?)のためか悩む部分もあったが、龍なりの思いで、その人の役に立てている。次回はいよいよ自身の進路にスポットが当てられるのだろうか。おいしそうな名古屋飯と共に愉しみなシリーズである。

灰の劇場*恩田陸

  • 2021/08/02(月) 18:30:58


大学の同級生の二人の女性は一緒に住み、そして、一緒に飛び降りた――。
いま、「三面記事」から「物語」がはじまる。
きっかけは「私」が小説家としてデビューした頃に遡る。それは、ごくごく短い記事だった。
一緒に暮らしていた女性二人が橋から飛び降りて、自殺をしたというものである。
様々な「なぜ」が「私」の脳裏を駆け巡る。しかし当時、「私」は記事を切り取っておかなかった。そしてその記事は、「私」の中でずっと「棘」として刺さったままとなっていた。
ある日「私」は、担当編集者から一枚のプリントを渡される。「見つかりました」――彼が差し出してきたのは、一九九四年九月二十五日(朝刊)の新聞記事のコピー。ずっと記憶の中にだけあった記事……記号の二人。
次第に「私の日常」は、二人の女性の「人生」に侵食されていく。
新たなる恩田陸ワールド、開幕!


何よりまず気になるのは、過去に目にした新聞の三面記事のなにかが、作者の心のどこかに棘として引っかかっていて、それが時を隔てて甦り、作品にするに至るところから物語が始まるということである。現実と虚構、フィクションとノンフィクションが何重にも入れ子になっていて、読み進めながら、自分がどこに立っているのかしばしば見失いそうになる。目の前に広がる場面のどれもが、視えているのに現実にそこにはないもののような心もとなさに満ち満ちていて、唯一手に取るようにリアルに感じられるのが、発端になった三面記事の二人の女性が、これから心中に出かけようとする朝の食事の後片付けや、鍵をかけるかかけないかを悩む場面なのが、皮肉でもある。自分で決め、人知れず自分で決行したと思っていることが起こす波紋の大きさと、それが及ぶ永遠とも言える範囲に驚かされる一冊でもあった。